十一話 『報い・前編』
コフィンにおける元老院とは、本来は国王の助言機関だ。
貴族の中から選挙で選ばれた議員で構成される元老院は、民の代表として市井の声を拾い、国王の治世に適切な意見をすることを最大の機能としていた。
だが、現在コフィンは国王を戦で失い、玉座を空にしている。
元老院と同じく貴族の身内が多く所属する騎士団から、先王の一人娘のルキナを臨時に女王にすえるべきだとの意見も上がったが、これを元老院は断固として拒否した。
コフィンは建国から脈々と男系国王の系譜をつなげており、王女は貴族の中で最も優れた人望ある男を夫とし、けっして自身は王を名乗らず、その息子に玉座を継がせてきた。
その歴史と伝統はコフィンという国の誇りであり、侵してはならぬ聖域である。
ゆえにルキナを女王とすることは国家に対する反逆であり、その御子の誕生を待つのが筋である。
これが元老院の主張であったわけだが、敗戦直後、スノーバの占領下にある現状でルキナが貴族の男を夫に迎え、子を産むということはあまりに現実的ではなかった。
ルキナ自身がスノーバの将軍に日々呼び出され、屈服を促されているのに、彼女に夫や子供ができようものなら間違いなくスノーバの人質に取られ、交渉の手駒にされてしまう。
元老院は民の代表、さらには国王個人の助言機関であることを理由にルキナや騎士団に主張を押し通し、結果ルキナは先王の忘れ形見という微妙な立場のまま、スノーバとの交渉に立ち向かわざるを得なかったのだ。
ガロルはしとしとと雨の降りしきる中、元老院の議場を血走った目で睨んだ。
民に対する誠実さ、正義を象徴する、白く上等な石材で組まれた巨大な建物。
その荘厳さが、今はひどく空々しく見えた。
コフィンの王都は優れた数学者と建築家の綿密な計画の下、王城から民家にいたるまで、全ての建物がある意図をもってデザインされている。
石畳は歪むことなくまっすぐに伸び、隣接する建物の幅はきっちりと揃えられていた。王都の周囲をぐるりと囲む石壁も、寸分の狂いもなく高さを揃えられている。
かつて、スノーバ軍に撤去される以前には王都の南端に『神梯子』なる、雲にも届かんばかりの物見やぐらがあり、その頂点から見下ろすことで、コフィンの王都の真の姿を目にすることができたのだ。
上空から見下ろす王都の町並みは、竜の形をしていた。
石壁の完全な円形に縁取られた王都は、石畳の線が翼を広げた竜の姿を再現しており、建物がその内に、さながら竜の肉のように存在していたのだ。
それはコフィンの国旗の図柄の再現であり、当然ながら守護神モルグを表すものだった。
空を舞うモルグに対して、コフィンという国が何を崇拝しているのかを直接示すための、都市計画。すなわち王都そのものが、国の信仰に直結する神聖さを秘めた、守護神へのメッセージでもあったのだ。
スノーバに多少荒らされたとはいえ、王都の構造、形作る線そのものは変わっていない。
そしてモルグの図柄の中で最も重要な、顔面……守護神の両の目の中に納まった建物こそが、王城と、元老院の議場だった。
国を守護する者の眼に、常に王家と民が映るように。
王都を建設した者達の、願いのこもった配置だった。
だが今、守護神の左目にある建物の屋上には、二つの国旗がはためいている。白地に黒い線で描かれたコフィンの国旗の隣には、真っ赤な布に灰色の狼の顔が描かれた、スノーバの旗。
コフィン国民の代理人が集うはずの元老院議場に、今、堂々と他国の旗が立てられているのだ。
王城の国旗でさえ、コフィンの自主性を断固維持するという姿勢の表れとして、他の何とも並立させていない。
あくまで王の支援機関であるはずの元老院のこの態度は、独断専行、ひいては暴走と非難されても仕方のない行為だった。
「元老院はコフィンの敵です。やつら、自分達が亡くなった先王の助言機関であり続けるためにルキナ様の即位を阻止したに違いありません」
「新しい主を迎えることを拒否したのです。つまり、自分達が好き勝手に振る舞うために王族を議場から追い出した。助言機関という名でありながら、生きた王に対する助言を放棄する……先王のご遺体を盾に、独自に政治的活動をするつもりです」
「あの国旗からも元老院の意志は明らかです。やつらはスノーバの侵略に立ち向かう気がない。このままではコフィンの国旗すら折られるでしょう」
背後で低く声を上げる戦士達に、ガロルは前を向いたままうなずいた。
これ以上元老院の勝手をゆるすわけにはいかない。
祖国がスノーバの統治を受け入れたのも、そもそも元老院の独断が原因だったのだ。
ガロルは雨に直接髪を濡らしている部下達に、手振りだけで指示を伝える。戦士達が十人ずつ左右から議場の裏口に向かい、残る十人がガロルと共に抜剣し、正面から乗り込む。
議場の出入り口にはかがり火が燃えていたが、門番はいなかった。
歴史ある純白の石床に、戦士達の靴が泥の足跡をつける。建物の中は明るく、大量のろうそくを立てた燭台と巨大な反射鏡が廊下の隅々まで照らし出していた。
途中、ろうそくを交換していた侍女達が、ガロル達を見て悲鳴を上げた。戦士の一人が威嚇の声を吐いたが、即座にガロルが「捨て置け!」と叫ぶ。
ガロルは侍女達のそばを駆け抜けざま、家に帰るように命じると、そのまま建物の中心、議員の集会場たるホールの大扉に肩から突進した。
ぶ厚い石の扉の向こうで、鎖が鳴る音が響く。
内側から封鎖されているらしい大扉に、後続の戦士達が次々と突進し、咆哮を上げながら鍛えた体を押しつける。
すぐに鈍い音が響き、鎖がはじけ飛ぶ気配があった。大扉が押し開けられ、剣を持った戦士達が広大なホールに殺到する。
石材で組まれた長大な腰かけ台が波紋のように並ぶホールには、五十人を超える議員達ががんくびをそろえていた。
驚がくの、あるいは諦めや怒りの表情を向けてくる彼らに、ガロルは剣をかかげて怒声を放つ。
「我ら、栄えあるコフィン王国戦士団! 敗戦の混乱に乗じ国家をむしばむダニを始末しに来た!」
「ガロル! 貴様血迷ったか! 神聖な議場に武器を持ち込むとは何ごとだ!!」
純白の衣をまとった議員の一人が、無防備にガロルの前に出た。瞬間ガロルの鉄の長靴が、その腹を蹴り飛ばす。
まるで木偶人形のように吹っ飛び、ごろごろと腰かけの上を転がる議員。
その体はホールの中央、天空竜モルグの像が置かれた演説スペースまで落ちて行き、そこに立っていた議長の足元に倒れ伏した。
長身の議長は禿げ上がった頭を傾かせ、倒れた議員を見下ろす。
石段を転がり落ちた議員は頭から血を流してうめき声を上げ、その右腕は無惨に折れ曲がっていた。
議長が、濃い眉毛とわし鼻のついた顔をゆがめ、ガロルを睨む。
開け放たれた大扉から、さらに裏口から突入した戦士達が駆けつけて来た。
「戦士団は、王の下に結成された平民上がりの兵隊だ。軍の中で、特に剣の腕が立つ雑兵が拾い上げられ、戦士団員となる。ただ、それだけの集団だ」
低く言う議長の元に、ガロルがかつかつと長靴を鳴らして降りて行く。
議員達はあわてて道を空け、議長とガロルに緊張の視線を送った。
目の前にやって来る剣を握った巨漢に、議長はまっすぐに目と、言葉を向け続ける。
「言い訳があるなら聞こう。雑兵集団の長よ。民の代弁者たる議員の砦で血を流す、いかなる権利が貴様にあるのだ?」
「民の代弁者? 笑止な。議場内に引きこもり、扉を鎖で封印し、その上でどんな民の声が聞こえると言うのだ? お前達の世話をする侍女や、召使いどもが、ルキナ様をたばかり国をスノーバに売れとでも言ったか」
議員達がいっせいに息を呑む気配が、風のようにガロルに届いた。
そうだ。貴様らのしていたことは既に露見しているのだ。言い訳をするのは貴様らの方だ。
ガロルは剣を胸の前で立て、厳しい表情の上にひとすじの汗をたらす議長を鬼の形相で睨む。
「スノーバの将軍と通じ、囚人達を差し出したな。闘技場の殺し合いにコフィンの民を使うことを勝手に許可した。議長、答えてもらおう。そんなことを決めるいかなる権利が貴様らにあるのだ?」
「犯罪者などどうでもよいではないか!!」
議長ではなく、ホールにいる議員の一人が声を上げた。
ガロルの視線を受けた議員はぐっと喉を引きつらせてたじろいだが、すぐに別の議員が言葉を引き継ぐ。
「コフィンの法を犯した者はコフィンの民にあらず! まっとうな民が食うのに困っている現状で悪党どもの食い扶持まで確保できるか!」
「そうだ! コフィン国内での食糧生産は絶望的、スノーバからの食糧支援は不十分! このままではいずれ多くの餓死者が出る! 今のうちに切り詰めるべきところを切り詰めねばならん! ならば罪人をスノーバに提供し、剣闘士として戦わせるのは合理的だろうが!
事実犯罪者でない者も食事を得るために剣闘士に志願している! 戦わず飢えるよりはマシということだ!」
「犯罪者は自分の意志では闘技場を抜けられんが、それこそ願ったり叶ったりであろう! 牢獄の管理にさく人員を節約できる上、試合に負けたなら刑の執行も勝者が代行してくれるわけだからな!」
口々に叫ぶ議員達を、ガロルが剣を立てたまま「やかましい!!」と一喝した。
瞬時に静まり返るホールに、ガロルの、いまや色濃い殺気をはらんだ声が響き渡る。
「牢獄にいた者が全て死に値する人間だったとでも思っているのか! まして裁判を待っていた未決囚もいたのだぞ! それをひとまとめにして殺し合いの場に差し出すとは何ごとだッ!!」
議員達は口を引き結び、うつむいたりガロルを睨んだりしていたが、やがて小声でぶつぶつと何かをつぶやき始めた。
それが不平不満や悪口雑言の類であることは疑いようもない。
目をとがらせるガロルに、議長がゆっくりとした口調で、声を放る。
「問題はそこではないだろう。戦士団長」
「……何だと」
「貴様が刃を振りかざし、怒り狂っている一番の理由は、我々元老院がルキナを……」
ガロルの手が即座に風を切り、議長の顔面に剣の鍔を叩き込む。
議長のわし鼻から血が噴き出し、折れた前歯が床に転がった。議員達から悲鳴が上がる。
「ルキナ『様』だ」
「……王女を……」
敬称をしつこく避けようとした議長に、今度は剣を握っていない方の拳が突き刺さった。
頬を殴り飛ばされ、身を折る議長に、議員達からとうとう怒声が上がる。
「いい加減にしろ! 暴力しか能がないのか!!」
「元老院の議長は全国民の意志の象徴だぞ!」
「王女のおもり役が調子に乗るな!!」
「……ガロルよ、元老院は剣では倒せぬぞ……」
血の混じった唾を吐きながら言う議長の喉に、ガロルは怒声の中、まっすぐに刃先を突きつけた。
議員の何人かがガロルに突進しようとしたが、すぐに他の戦士達に拘束される。
ガロルが、一切の慈悲の色のない目で、議長を見た。
「さあ、言い訳をしろ。口上の出来次第ではこの場の全員を斬り殺す。王家を裏切り国を売った罪は、貴様が考えているよりはるかに重いぞ」
「……そんなにルキナ王女を泣かされたことが許せんか?」
議長の台詞に、ガロルの顔面から表情が消えた。
数秒の間の後、議長が再び背筋を伸ばし、ガロルとほぼ同じ高さにある口を開く。
「お前はコフィン王家に仕える人間だ。今はルキナ王女に全てを捧げている。ならばこそ王女の意志と、権威を認めぬ我々を許せんのだろう」
「貴様らは……貴様らは王家に尽くす者でありながら王家に唾を吐いた。ルキナ様のことだけではない、スノーバから国を守ろうと、最期まで剣を手放さなかった国王陛下の遺志すら踏みにじった!
陛下が神の毒牙にかかったと知るや、ルキナ様にお伺いも立てずに勝手に降伏の意志を敵国に伝えるとは、助言機関の分際を超えた越権行為だろうがッ!!」
「あの時は一刻も早くスノーバに屈服する必要があった。さもなくば死者は現状程度では済まなかったはずだ。我々がスノーバに降伏を申し出たからこそ、今、国民も、貴様ら戦士も、生きていることができるのだぞ」
ガロルの剣を持つ手が、あまりの怒りに震え始めた。
議長はその剣先を見つめながら、さらにとんでもないことを言ってのけた。
「ガロルよ。気に入らねば後でわしの首をはね、屍を蹴るがいい。だがコフィンに残った戦士を束ねる者として、元老院の意志を正しく理解しておく義務が、そなたにはあるはずだ」
「理解だと……?」
「我々元老院には、王家を裏切っている自覚がある。闘技場の一件が、ただ民の一部を切り捨てているのみならず、国の指揮系統を混乱させ、ルキナ王女の立場を危うくさせ、さらには国の法機能、自主性を敵にあずける危険な行為であることも、本当は理解していたのだ」
理解した上で、国を売っていた。
議長の言葉に、ガロルは思わず剣を下げ、柄を両手で握り締めていた。
全力をもって抑えていなければ、利き手が勝手に議長の喉を裂いてしまいそうだったからだ。
視線をめぐらせると、議員達はいつの間にか、全員がうつむいていた。ガロルをまっすぐに見すえているのは、もはや議長一人だけだ。
「ガロルよ、正直に言うがよい。もし、この国に我々がいなかったなら……祖国は、コフィンは、どうなっていたと思う? 元老院ではなく、王家の人間が国を最後まで動かしていたなら、スノーバはこの国を、どうしていたと思うのだ?」
「貴様……!」
「国王ルガッサの戦死を受け、その兵団は最後の一人まで戦い抜いただろう。城の守りを命じられていたお前達戦士団、騎士団も同様だ。民もまた、その多くが武器を取り、敵に立ち向かっただろう。
この国は、そういう国だ……誰もが歴史ある王家を誇り、尊敬している。そしてルキナ王女は、そんな国民の声に応えただろう。そうして我々は、一人残らず、あのおぞましい神とその軍団に殺されていた」
「国の滅亡を防いだとでも言いたいのか! 自分達の裏切りが、暴走が、コフィンの未来を切り開いたとぬかすのか!!」
「死んだ国王に国は守れん。そしてルキナ王女は、国を支配する器ではない」
抑えていた剣先が、爆発するようにガロルの手元から飛んだ。議長の右の肩に突き刺さり、その体を石でできたモルグの体に叩きつける。
議員達が騒ぐ前に、戦士達が剣を振りかざし、石床を踏み鳴らす。
動く者は斬る。そう全ての戦士の目が告げていた。
ずるずると守護神の足元にくずれる議長の肩に剣を残したまま、ガロルはがつんと両の拳を叩き合わせ、裏切り者の長を指さした。
「国王の崩御に際し、国の行く末を勝手に決めた貴様ら元老院が、今日まで生かされていた理由が分かるか。それはルキナ様が、我らが王女様が、元老院をお許しになったからだ。
攻め寄せるスノーバの軍勢が、貴様らの行為によって一応は剣を収めた。たとえ最悪の裏切りであろうと、元老院は元老院なりにコフィンを守り、民を救ったのだ。ならば自分には責めることはできぬ。そうおっしゃられたのは、今、貴様が馬鹿にしたルキナ様なのだ!」
「……だから……あの王女は、支配者の器ではないと言うのだ……」
「まだ言うか貴様ッ!!」
「わしは、八年前から、ルキナ王女を見限っていた……」
モルグの像にもたれたまま、議長が流れる血を見下ろし、笑った。
八年前。ガロルは眉間にしわを刻み「何の話だ」と低く問う。
「八年前……コフィンは、半年も続いた未曾有の大豪雨のために、多くの食用の草木を失った。セパルカ戦役の直後だったこともあり、国外から十分な食料を買いつけることもできず……飢餓が、国中を襲った」
ゆっくりと話す議長に、ガロルは目を細めて記憶を掘り起こす。
確かに、そんな時期があった。草原の国コフィンが、腐った植物と鳥獣の死骸で腐臭にあふれていた頃だ。
豪雨が収まり、草木が甦るのに丸二年がかかった。
その間国民は腐った草原をさまよって食料を探し、王が開放した備蓄食料や、セパルカからたまに送られてくる支援物資としての麦や芋を頼りに食いつないでいた。
壊滅した村が、いくつもあった。故郷を捨て、国境を越えようとする者も多かった。
そんな時に、ルキナが何をしたのか。彼女は当時、まだ十一歳の子供だったはずだ。
議長はガロルを見上げ、傷口を押さえながらうめくように言う。
「国民が飢えて苦しむ中……あの愚かな王女は、王城で断食をしていた。ドレスを着るのをいやがり、侍女と同じ部屋で寝たがった。国民の苦しみの声に悩み、もだえ、その気持ちを理解しようとした。腐った草の根をしゃぶる民を差し置いて、パンを食べることなどできないと泣いていた」
「…………」
「その姿をお優しい聡明な姫ともてはやす者もいたが……我々元老院は、心底失望していた。何故か分かるか、ガロルよ。それは、王家を継ぐ者の資質の問題なのだ」
記憶が鮮明によみがえる。当時、すでに戦士団の一員だったガロルは、ルキナのそうした行動をうわさや伝聞のみならず、王城の警備係としてじかに目にしたことがあった。
銀の食卓に並んだ食べ物を前に、唇を噛んでうつむく子供の姿。
家臣や侍女達は確かにご立派な態度だと感心していたし、ガロル自身もまた、幼少にしてそのような民を思いやる心を持つ王女に、神聖めいたものを感じずにはいられなかった。
だが既に妃を病で亡くしていた国王ルガッサは、そんな娘が心配で仕方ないようだった。
なんとか食べ物を口にさせようと説得するのだが、ルキナの意志は固く、また溺愛する娘に強くものを言うこともできず、武勇の誉れ高い国王がすっかり手を焼いていたのを覚えている。
そんな一幕を解決したのは、誰だったか。
ガロルは脳裏に浮かび上がる男の顔に、思わず顔をしかめていた。




