百六話 『裏切り者の戦い』
打ち合わされる刃が耳障りな音を立て、火花を散らす。ユークは己よりも頭三つ分は高い位置にあるハルバトスの顔を睨みながら、回帰の剣で敵の刃を押し返した。
あらゆる魔を切り裂く、聖なる剣。だがそれは生身の人間に対しては、ただの鉄の剣と大差ない殺傷力しか発揮できない。
切っ先を返し、再び剣を振るうハルバトス。ユークは青白い衣のすそを刻まれながら後方に跳び、ちらとマリエラを睨め上げた。
マリエラはやはり、こちらを見ていない。周囲に響く戦闘音、破壊音、絶叫、さらには前進し続けるスノーバ兵の軍靴の音が、彼女の耳を支配しているのだ。
ハルバトスの咆哮にも、人間梯子の真下で響いた剣戟の音にも、気づく様子はない。
「……貴様を一度でも味方として扱ったのは、間違いだったな。おかげで兵士達も貴様を素通りとは」
「殺してやる!」
吼えるハルバトスが両手で剣を握り、突進して来る。再び接触する刃。
ユークは身をのけぞらせながら足を踏ん張り、ハルバトスと互いの刃を押しつけ合う。
前進し続けるスノーバ兵達が、背後からハルバトスの背中にぶつかった。
ユークの周囲を避けて進んでいた兵士達は、ハルバトスに対してはまるで彼が存在しないかのごとく、足や肩をぶつけてくる。
歯を剥くハルバトスが、必死に己の剣でユークを圧しながら、恨めしげな声でうなった。
「死ね、死ね、死ぬのだ将軍……! この私の剣の錆となれ……!!」
「ゴミめが。今更表舞台に出てきたところでどうにもならんぞ。貴様の戦いなぞ誰も見ていない。勝とうが負けようが、ライデ・ハルバトスなぞ誰の記憶にも残らん端役に過ぎん」
気合と共に剣を押し下げるハルバトス。ユークはぶるぶると震える手で剣を掲げ続けながら、くわ、と目を剥いて口が引き裂けるような笑みを浮かべた。
「祖国を裏切り、王家を裏切り、己の勝手な救国計画を推し進めた結果がこれだ。貴様と元老院の行動はひたすらにスノーバへ益をもたらし、コフィンに災いを呼び込んだ。仲間を売り渡すことで国を存続させようとした貴様らの醜悪さが、この結末を招いたのだ」
「黙れ! いったいどの口が……」
「全て貴様らのせいだ。王女ルキナ、フクロウの騎士、狩人、剣闘士マグダエル、魔王ダスト……スノーバ皇女サンテ。この俺に牙を剥いた連中は、元老院とライデ・ハルバトスの妨害さえなければ、あるいはコフィンを救っていたかもしれん。
やつらが密告や工作に分断されることなく、もっと早くに一つのパーティーとして結託していたなら、俺もスノーバ軍も寝首をかかれて撃滅されていただろう。
コフィンに残っていた希望をあえて刈り取り、スノーバの庇護を求める連中が居なければ、今頃は……」
浅く呼吸を繰り返すハルバトスを、ユークがじょじょに押し返して行く。
ハルバトスの額を流れる汗が目に入り、やがて涙のようにほほを伝った。
それを見たユークが、高く声を上げて笑う。
「このままコフィンが滅べば貴様のしたことはただの売国行為になってしまう。間接的にコフィン民族を根絶やしにした、大罪人になってしまう。
だから今更に俺に斬りかかり、言い訳をしようとしているのだ。『騎士ハルバトスは本当は国を愛した勇者だったのだ』と誰かに言ってもらうために、体裁を整えようとしている。それがお前が俺に挑んでいる理由だ」
「ちっ……!」
「何度でも言うぞ。この戦いを見ている者などいない。貴様のためにあまったるい同情の言葉を吐いてくれる人間など、この世のどこにもおらんのだ」
回帰の剣がまっすぐに持ち上がり、ハルバトスの喉に切っ先が向く。
歯を食いしばるハルバトスへ、ユークはまるで、より幼い少年のような無邪気な声を放った。
「全てに憎まれたまま死ね」
回帰の剣が、鉄の刃をすり抜けるように突き出された。
「……かつて……貴様にサンテを差し出した時……私は確かに、言ったはずだ……」
回帰の剣の刃先が、鮮血にまみれ、虚空を突く。
目をまん丸に見開いたユークは、首をかしげるようにひねったハルバトスのあごからこめかみへと走る裂け目を見つめる。
喉に突き立つはずだった刃は寸前で顔を背けたハルバトスの皮膚と顔肉を裂き、右耳を切り飛ばして空中にぬけていた。ハルバトスは未だ殺意のこもる視線を、伸びきったユークの右腕に向ける。
かわされた、と脳が認識した直後、ハルバトスが鉄の剣をユークのひじに突き込んだ。肉と、骨が切り裂かれる音が響き、どす黒い血液がハルバトスとユークの顔面に吹きかかる。
「ライデ・ハルバトスは、汚辱にまみれる者だ。全ての人類の軽蔑は……我が宿命」
ユークの顔がゆがみ、唇に歯が食い込む。声を押し殺した将軍が、つらぬかれた右手でなおも回帰の剣を握り締めながら、左手で敵の喉を突く。
ぐっ、とわずかに相手が身を折った隙に、腕を全力で剣から引き抜いた。
そのまま転がるように背後に退くユーク。
低くうめく彼に、ハルバトスは周囲を歩く兵士の肩や足に身を叩かれながら、ゆっくり顔を上げ、剣を持ち上げた。
「悔やまぬ。謝らぬ。たとえ間違っていようと……死後に屍を蹴られようとも……! これが私の選んだ道だ!!」




