百五話 『みんなが主人公』
誰に感謝すべきだろう。
この戦争の果てに、もしコフィンが生き残ったならば、誰に対して感謝を表明すべきだろうか。
国の主神モルグは、一度は堕ちたその身で再び空に舞い上がり、人々の心に希望と戦意を甦らせてくれた。
兵士達、戦士達、騎士達は、国王亡き後もコフィンのために戦い続け、全てが足りぬまま死地に臨んでくれた。
王家の臣達は滅びの予感の中ルキナを支えてくれ、民もまた、その多くは生を諦めず、コフィンの民で在り続けてくれた。
最後の戦いに味方として参じてくれたセパルカ人達にも、いくら感謝してもしきれない。
そして……魔王だ。あの孤独な男は、この国を愛した全ての人間に、戦うための牙を貸してくれたのだ。
青白い死者の群と生者の混成軍が、王都に侵入した敵を押し返し、バリケードの穴から城壁の外へと展開していく。過去現在のコフィンの全ての力が、戦場へと解き放たれた。
ルキナは目元をぬぐい、喉元までせり上がってきていた嗚咽を呑み込んだ。ぎっ、とバリケードの向こうを睨むと、その瞬間頭上から大きな体が降ってくる。
とっさにルキナをかばうガロルの隣に、ヘラジカの骨をかぶった狩人が立っていた。
狩人の目が、ルキナ達を見る。青白い人さし指がバリケードの向こうを指し、次いで親指が狩人自身の胸を指した。さらには同じ手の人さし指がルキナを指し、後に城壁を指す。
「……自分達が敵を攻めるから」
「背後の守りを固めろと?」
ルキナとガロルが交互に言うと、狩人は返事も、うなずきもせず、そのまま走り出した。
屍を踏み越え、バリケードを出て行く彼女に、ルキナは思わず大声で叫んでいた。
「チビは我が王家が預かっている! ……あなたが守った子だ!」
狩人は、一度だけ弓を高く上げ、そのまま戦場へ駆けて行った。
ルキナはぶるりと体を震わせ、隣のガロルへ強く声を向ける。
「態勢を整える! 壁を守る人数を半分に減らし、残る半分でバリケードを修復! しかる後外の味方の援護を開始する! 即席の矢を作り、弓兵を壁に再配置! 梯子や必要物資をかき集めろ! 王都の裏手へ回ったケウレネス達にも人をやれ!」
「御意!」
「ルキナ様!」
バリケードが突破された際にすでに石壁から離れていた兵士達が、興奮した声を上げる。見れば彼らは石壁の内側で死んだ敵の体をあさり、新しい剣や槍、手斧、そして弓矢と、火炎瓶を手にしていた。
貴重な飛び道具を得たコフィン兵達が、泣いているのか笑っているのか分からない表情を自分達の王女に向ける。
ルキナはぐ、と口を引き結び、一度強くうなずいた。
「弓矢、火炎瓶で石壁周辺の敵を攻撃しつつ、バリケード修復にかかれ! 今度はこちらが攻める番だ! 機を見てスノーバ本陣へ斬りかかるぞ!」
「……これは、死んだな」
混沌とした戦場の中心で、ユークがぽつりとつぶやく。
彼の周囲を一糸乱れぬ動きで通り過ぎて行くスノーバ兵は、ユークの衣のすそにすら接触することなく、それぞれの敵に向かって進軍する。
ユークははるか頭上の、人間梯子の頂点で指揮を執るマリエラを見上げ、どこかうつろな目で再び口を開く。
「コフィン人の王都から現れた増援……おそらく魔王がよこした、見覚えのある負け犬どもの姿……あれを見て、お前もさとったはずだ……」
ユークの投げ上げる声に、マリエラは応えない。
猛然と髪を振り乱して戦場の動きに対応しようとしている今の彼女には、周囲の騒音から最愛の恋人の声を拾い取る余裕すらないらしかった。
「我らが同胞、勇者マキトは、死んだ。その表現が正しいかどうかは分からんが、とにかく彼という人格は滅び去ったのだ。
マキトはそういう男だ。彼がほんの少しでも力を残しているなら、私にこんな光景を見せることはない。体内の全ての蛇を使い潰してでも、あの増援どもの背後に食いついているはずだ。
だが、今、私の視界に彼はいない。丘の上にある蛮人どもの都から、彼は出て来ていない。未だに……」
兵士の波の中に埋没したユークの視点からは、高い場所にあるコフィンの王都の石壁や、遠いセパルカの戦車の上に立つ人影が、わずかに見えるだけだ。
視界の大半を埋め尽くすのは、赤い蛇に体を支配された、生ける屍どもの背中。生きた味方の姿は、亡者の群によって隠されている。
「一人、か」
ユークは敵によって修復されていく王都のバリケードを眺め、無言で目を伏せた。回帰の剣を握り締め、静かに息を吐く。
「結局……この俺は、一人で戦っているというわけか。他の有象無象は仲間ではなく、道具程度の働きしかしないというわけか。
仲間なら、俺を一人にはしないはずだ。どんな時も俺を支え、俺と共に戦うはずだ。名を呼べば命に変えても駆けつけるはず。声をかければ即座に応えるはず。
いいだろう、マキト。お前もやはり取るに足らんクズだった。同じ男を祖先に持つだけの他人だった。いいさ、お前など、もう要らん」
ユークが、回帰の剣を鞘から引き抜く。そうしてゆっくりと、背後を振り返った。
「物語の本当の主人公は、一人で十分だ」
剣を振りかぶるユークに、破れたマントをかさぶたのようにまとったライデ・ハルバトスが、咆哮と共に斬りかかって来た。




