百二話 『最後の一人』
三十九話 『魔王と皇女』参照。
真っ二つになったマキトを、フクロウは静かに見下ろす。
体外に放出された小さな蛇がキィキィと断末魔を上げ、次々と霧散していく。
その様子をじっと見つめていたフクロウが、やがてマキトの右半身、肺の辺りがもぞもぞとうごめくのを認めるや、無言で一歩退いた。
内臓の断面から、ずるりと成体らしき蛇が一匹だけ這い出してくる。
その蛇はマキトの右半身に尻尾を埋めたまま、左半身の肉へと素早く頭を潜らせた。
びくびくと震える蛇の体が伸縮し、マキトの両断された体を引き寄せる。
マキトの指が地面をかき、起き上がろうとしているのを確認してから、フクロウの騎士は周囲に転がっている戦死者達の武器に視線をやった。
レオサンドラの剣が、ちょうどフクロウの騎士に柄を差し出すように土に刺さっている。手を伸ばし、引き抜きながら、血を吐くマキトへ低く声を飛ばす。
「仕損じたか……だが、その蛇が今度こそお前の命をつなぐ最後の蛇なのだろう。一匹だけではもはや傷を縫い合わせることもできまい。重心の崩れた体では、次の一撃はかわせん」
「殺す……お前だけは……刺し違えてでも殺す……!」
マキトの体の断面が合わさり、びちゃりと赤黒い血液が宙に飛んだ。
足で地面を踏み、ふらふらと立ち上がろうとする勇者へ、フクロウの騎士は大きく息を吸って剣を構える。
だがその時、マキトの背後に不意にひとつの人影が立った。眉をひそめるフクロウの騎士の前で、マキトが緩慢な動きで首をひねり、人影を見る。
広場に残っていた最後の冒険者。腰に二本の剣を差した男が、マキトを見下ろしていた。
背中を丸めたマキトが血の混じった唾を吐き、首を傾げる。
「何だよ、ザコが……まだ残ってたのか」
「……」
「邪魔だ。脇役は後ろで死体あさりでもしてろよ。……いい所なんだから……助けなんか要らない」
「……」
なぜ黙っている――そうマキトの口が動いた直後、双剣の冒険者が目にも止まらぬ速さで右の剣を抜いた。
あっと思う間もなくマキトの髪がつかまれ、戦斧に断ち割られた傷を再び剣が切り裂く。
ぶ厚い刃が胸の辺りに達すると、肺の中から蛇の悲鳴が上がった。目を剥くマキトの腹に、冒険者の靴底が杭のように打ち込まれる。
「ぎっ! ……!!」
フクロウの騎士の方へ吹っ飛んだマキトが、再びばかりと二つに割れた。
霧散する最後の蛇に手を伸ばしながら、マキトは地面に倒れ込み、大きな血溜まりを作る。
自分の血の中に沈む彼に、双剣の冒険者は長い黒髪を揺らしながら、黄金の瞳を輝かせ、唾を吐いた。
「誰が誰を助けるだと? 最後まで、ふざけた野郎だ」
「何だ……何だ、これは……! この……!」
「総長レオサンドラを殺した貴様を、なぜ俺達スノーバ冒険者が助けなきゃいけないんだ? ただユーク将軍の幹部だというだけで、文句も言われず、報復もされず、許されると本気で思っていたのか? 俺達はお前にとって木っ端同然の『ザコ』だから……道理にうとく、自分で考えることも、侮辱に牙を返すこともないと……そう、みくびっていたんだろう」
「誰だ! 貴様は……どこの馬の骨……ッ!!」
「最悪の形で報復してやる」
木っ端の剣で死ね。
鬼の形相をさらした冒険者が二本目の剣を抜き、双剣を頭上高く振りかぶる。
「やめろ! こんな死に方……!」そう叫びかけたマキトの両の首筋を、しかし刃は一息に、無慈悲に断ち切った。
骨の音が鈍く、大きく響く。マキトの頭部が二つの肉塊となって地面を転がる。
――それっきり、マキトは二度と声を発しはしなかった。全ての蛇を失い、ただの死体と成り果てたマキトの顔を、冒険者は刃を引き抜きながら睥睨する。
やがて黄金の瞳が、フクロウの騎士を見た。
冒険者はマキトの顔を踏みつけながら、最強のコフィン人へとゆるやかに歩み寄る。
「あんたには名乗ろう。俺の名はアルス。総長は五大剣聖だの、双剣のアルスだのと呼んでいたが……まあ、結局は雑兵だ。この場にいた他の冒険者達と同じく、な」
「……」
「怒っているな。勝負の最後の一撃を横取りされたのだから無理もない。……だが俺にも、こいつにはくれてやらねばならない一撃があった」
アルスと名乗った冒険者が、踏みつけたばかりのマキトの顔を蹴り飛ばした。
白いズボンを履き、素肌に直接胴当てを着けたアルスが、重たげな髪に手を差し入れて頭をかく。がりがりとフケを散らしながら、眉間にしわを刻んでフクロウを睨む。
「あんた、スノーバの冒険者をただのゴロツキだと思ってるだろう。俺達をただの暴虐好きの、侵略者だと思ってるだろう」
「違うのか」
「いいや、大正解さ。少なくとも俺の仲間の大半はそんな連中だ。そこのクズも含めてな」
マキトだった肉塊を剣先で指すと、アルスはさらにがりがりと音を立てて自分の頭をかく。
フクロウの騎士はおもむろに首をひねり、王都の入り口の方を見やる。
レオサンドラの剣を握ったまま、抑揚のない声で言った。
「かかってくるなら、早くしてくれないか」
「王女様を助けに行きたいんだろう。ナイトだもんな。俺達より振る舞いも戦う動機もお上品だ。
俺も仲間や総長の仇討ちとでも言えれば格好がつくんだが、あいにくどいつもこいつも自業自得の惨死と来てる。冒険者ってのは、いつだって自分勝手な生き物だ」
ばりっ、と、アルスの指から皮膚を破る音が響いた。フクロウの騎士が視線を戻すと、アルスはばりばりと頭をかきむしり、血の筋をあごに伝わせている。
その目は血走り、ぎらぎらと異様な光をやどしていた。
「だから俺も、正直に、自分勝手な動機で戦う。せっかくマキトを倒したのにがっかりさせて悪いが……あんたは王女様の加勢には行けない」
「何故だ」
「あんたの前にいる馬の骨は、マキトより強いからさ」
アルスが、双剣を高く構えて息を吐いた。
「不死身なんて、強さの内に入らない。何度負けてもいいなんてズルいだけだ。だから単なる剣の腕ではあんたや俺みたいな、普通の人間にも劣る。
――あんたは知らんだろうが――俺は総長に、全冒険者の中で一番にユーク将軍に紹介されるような男なんだ」
身構えるフクロウの騎士に、アルスは双剣の切っ先をかち合わせながら、野太い咆哮とともに自らを語った。
「バケモノや称号持ちだらけのこのご時世じゃ、ちっとも目立たないが……俺がスノーバ側の『最強』だ。少なくとも、自分の力だけで戦う冒険者の中ではな」




