深夜、明りをつけて
首都郊外。立ち並ぶ屋敷に整えられた林。それらを少し離れたところから覗く湖。馬車に揺られてでしかまともに見たことがないその風景に、息を呑む。美しさからではない。門番と思わしき甲冑を着こんだ人影二つが、柵の向こう側でおびただしい量の血を流して倒れている。
「おい、大丈夫か!?」
ライカが駆けだすが、ぴくりとも動かないその体は紛れもなく事切れているのだと言う事を実感させる。うつ伏せになった死体の一つをひっくり返せば、鉄の鎧が横にぱっくりと裂けていた。一つではない、複数の爪に裂かれたかのような痕。しかし有り得るのだろうか?
「これは……魔物かしら? でも食べられたりはしてないわ。それにこんなところまで来るのかしら」
「しかし人間がやったとは思えませんね。私の剣でも、こうはいきません」
「もしかしたら中でまた誰かが殺されたのかもしれないな。報告ついでに入ろうぜ」
誂えられた銀の柵を押せば驚くほど簡単に開く。鍵はかかっていないようだ。しかしそれも不自然である。玄関に備えられたベルを鳴らして、ハルは振り向く。
「門番って、普通は門の外に立っているものじゃないんですか?」
「そりゃ、内側に居たら問題が起こった時に対処できないだろ」
「私の住む屋敷は、いつも門の鍵は閉まっていました。ここに来る時も、内側から人が開けていたんです」
「何が言いたいんだ?」
沈黙が続く。漸く口を開こうとした時、玄関が開いた。初老の男性が出迎える。
「おお、ハル様ではありませんか!」
「ここの使用人の方ですね。……あの、あちらを」
一歩横に引いて倒れ伏す門番の方を指差す。男は青い顔をしてがくがくと震えだした。何事かを小さな声で口走り、とても話が出来る状態ではない。
「……この人には悪いけれど、入りましょ。今は時間が惜しいわ。私たちが得た情報よりも、状況は悪化してるのよ」
屋敷の中は薄暗い。照明がいくつか割れていて、窓は最大限に開いている。絨毯は引き裂かれた跡が目立ち、引き払われて数年したかのような荒れ具合だった。扉は固く閉ざされ、重い空気が漂っている。半螺旋状になっている階段の塗装すら剥げているのだ。まるで何かが強い力で蹴り続けたかのように。そうして視線を踊り場へ移せば、給仕らしき女性たちが固まってこちらを見下ろしている。表情は今にも泣きだしそうだ。その異様な雰囲気に、何があったのです、と問いかける。
「今朝、せ、セツ様が……。お休みになられていた部屋で、体を二つに……」
三男の名前が出る。使用人の一人が集団から抜け出し案内を務めると言いだした。若い女性で、こげ茶色の髪はすっかりと艶を失っている。
「他には何が?」
「レン様がお亡くなりに。ユウ様、キョウ様、ハク様の行方も掴めません。
犯行は全て深夜から明け方にかけて行われ、しかしセツ様は誰も信用しないと仰り部屋に引き籠ってしまいました……ここです」
女性が案内した部屋は無残に壊されていた。木製の扉のノブが引き抜かれ、豪奢なベッドには上半身と下半身に割れた男性の体が横たわっている。名前通りの白銀の髪が赤茶けた汚れに浸されていた。瞳は虚ろに天井を見つめている。
「これは……なんてひどい」
「鍵はしていたのね?」
「はい。昨日の時点でここから逃げ出す話も上がったのですが、容疑がかけられている以上、ここから出ることは適わなかったのです。
先程のお出迎えに上がったロドリゲス様は当主様のご側近で、今は私たちに指示を出されています。
ロドリゲス様は……その、門番に、屋敷から出ようとする者は全て始末せよと」
「ナギ、貴方は?」
「私にも容疑はかけられていましたが、給仕の方達と寝食を共にし、無実が証明されました。
ロドリゲス様の指示で、彼女達は一睡も許されておりません。屋敷の捜索、互いのアリバイ証明の為です」
「……ロドリゲスさんと話をしましょう」
部屋を後にする。既にハルを除くすべての兄妹が行方知れずが死亡済みだ。冷や汗をかきながら、ライカとトトに指示を下す。
「すみませんが、皆さんに協力してお兄様を探していただけませんか。
容姿は、私よりも少しくすんだ髪と、青い目です。お願いします」
「構わないけど、そっちは大丈夫なのか?」
「警戒するのは暗くなってから、ってことでしょ。今は人手が欲しいでしょうし。何かあってもナギがいるわ」
使用人が恐る恐る申し出る。
「既に全ての部屋を見て回りましたが、どこにもお姿はありませんでした。
ただ、使用人の中に、隠し部屋の噂を聞いたことがある者がちらほらと居るのです」
「隠し部屋か……。定番なのは、本棚の後ろとか?」
「まあ、力仕事はこっちの出番だ。行こうぜ」
二階奥に向かうライカ達とは反対に、階段を降りて行く。玄関先で震えていた筈のロドリゲスが、ハル達を見るなり目を剥いて駆けよって来る。その様子は尋常でなく、気が触れているようでもある。
「ああ、ハル様、柵を、門を開けてはなりません!」
「門を?」
「そうです! 私めは見たのです! 部屋の窓から、屋敷の裏から、あの柵を飛び越えようとする化け物の姿を!
しかし柵に触れることもままならなかったのです! あの化け物を外に出してはなりません、ああ、ユウ様。このような状況で、一体どこに……!」
ふらふらと彼は大広間を出て行く。左右に通る廊下を過ぎて、客室の一つへと入って行った。ナギをちらりと見る。視線に気付いたのか、申し訳なさそうな顔で呟いた。
「あそこまで取り乱す方ではありませんでした。
それに、化け物だなんて。魔物に隠し扉を行き来する知性があるのでしょうか?」
「隠れているだけかもしれないわ」
「ならばとうに見つけているのではありませんか? ロドリゲス様の話からするに、屋敷の中に居るのは確実なのですから」
「……とりあえず、行方知れずの三人を探すしかないようね。日が暮れたらライカ達を呼んで一つの部屋に固まった方がいいわ、魔物相手なら、まだ対抗出来るもの」
「賛成です。ただ、私はハル様の護衛につかせていただきます」
「いいわ。私は使用人たちにもっと詳しいことを聞いてくるから。お父様にも会わなきゃいけないし。
万が一何か見つけたら、まず私たちを呼ぶのよ、いい?」
「う、うん……」
シャーリーは階段を上って使用人たちに呼びかけた。
ハルはしゃがんで破れた絨毯の傷跡を見るが、やはり『化け物』の犯行とみるのが一番しっくりくる。指でなぞるが、ほつれ具合も強引に引きちぎったあとのようだ。それも、細い爪で。
「どこへ向かいしょうか」
「……本当に、頭のいい魔物が紛れ込んだりしてるのかもしれません。この屋敷にも書斎はあった筈です。そのような魔物が居るかどうか、調べてみましょう」
「了解しました」
こちらです、とナギが先陣をきって歩きだす。
実のところ、この犯人についてはいくつかの推論は出来てある。勉学はそれ程得意な所ではなかったが、旅に出てから、妙に頭が冴えている。今日が終わる頃にはきっと自分は検討をつけてしまうだろう。胸に手を当てて余計な事は考えないようにと、深呼吸をひとつした。