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links.  作者: バルサン赤
終幕を告げる音
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デルフィニウムに輝く

 全身に叩きつけられるような風圧が、人々の怒鳴り声に変わる。音もなく地面に横たえた翼を伝い、その地を踏んだ。地獄のようだった。

 硝煙のにおい。血に塗れた石造りの民家に寄りかかるようにして助けを呼ぶ子供。武器と盾が奏でる死の音。悲鳴が絶えず響き、秩序は欠片も無かった。煙る視界はごうごうと燃える炎だけを鮮明に映し、首都の中央に通された道は誰のものかも分からない程ぐちゃぐちゃになった死体が積み重ねられている。振り返る。国を国たらしめるもの、それが無事かを確かめるために。鉄柵は炎に溶かされたのか先端がぐずぐずになっており、所々穴があいている。関所を守る筈の衛兵は姿すらなく、意匠の凝らされたその先の建物はがらがらと崩れているのだ。二度に渡る進行、前回の比ではなかった。魔物が吼える。巨大な狼のような魔物は大きな口に人の腕をぶらさげていた。吐き出せば、皮一枚で繋がっていた肩と腕が千切れてどこかへ飛んでいってしまう。寒気がした。

 五年前に起きた戦争を思い出した。レーテは当時、まだ兵ではなかったのだ。母親が高名な研究者で、不慮の事故で死んでしまったからと彼女の知り合いの一人に引き取られていた。それがまた、軍の権力者で、戦争の終わり際に彼は暗殺され、二人の遺産と共に残された家で暮らしていた。最前線の恐ろしさを、彼は知らなかった。

「何を固まっている! 治療出来るものはここに残り市民の救出を、残りの者は魔物の討伐にあたれ! 私は王宮へ向かう。レーテ、君は別方向から王宮へ侵入し敵対するもの全てを排除しろ。既にペルネア達も向かっている筈だ」

「っ、はい!」

 王宮の中は複雑に入り組んでいる。中枢へ近づけば近づくほどだ。反射的に体が反応し、足は脱兎の如く駆けだす。いくつかある入口のうち、リリューシャが向かった先とは反対側の非常口へ飛び込む。荒らされた部屋と腐臭のたちこめる通路を抜けて、生存者を捜す。首都付近には生息していない魔物が低いうなり声を上げながら、人を食っている。骨の砕ける嫌な音と共に踏み出せば、レーテに気付いたのかその人型の、魚面をした魔物がこちらを向いた。苔に近い青の鱗に全身を包まれたそれはぎょろつく大きな目を光らせて、顎から血を滴らせながら突進する。手に馴染む槍を横に一薙ぎした。青紫色の血に、銀の刃が濡れた。戦闘力はそれ程高くはないのか、腹を一突きすれば痙攣を繰り返しながら動かなくなった。

 足を動かす事を止めずに、精神を集中させた。痛みと恐怖がより強くなっていく。それを発する場所へ爪先を方向転換させ、飛びかかる魔物を薙ぎ倒していく。反響するように脳に直接伝わる声と、耳から届けられる悲鳴が重なっていく。がんがんと頭を揺さぶられるような衝撃に、声を手繰り寄せる事を止めた。音量は小さくなる。荒っぽくドアを開ければ休憩室に蹲るようにして何人かの官僚が集まっていた。彼らに囲まれるようにして腹から血を流す男が横たわっている。包帯は芯だけがいくつも転がっており、無事であるように見えた官僚たちも服の隙間から包帯がちらりと見えた。それに滲む赤色も。

「何が起こった?」

 詰問するような口調にいくらかパニックになった女が言葉をもつれさせながら答えて行く。

「と、突然空から何匹も魔物が降って来たのよ! それから人間が魔物に捕まって降りて来て、街も王宮も滅茶苦茶なの! 助けて、あんた軍人でしょ! 彼が死んじゃうのよ、もう包帯も薬もないわ!」

 横たえる男の口からはひゅう、と喉から苦しそうな呼吸音が漏れ出ている。腹の表面が食いちぎられているのだ。いつ失血死してもおかしくない状況に表情を曇らせながら、傍に膝をつく。腹に手をかざすようにして、あまり使いなれない回復魔法をかけた。炎のような温かさが視覚化され、ぼんやりと輝く朱の光は溢れ出る血を止め、泡立つ血管の動きを緩やかにし、少しずつ肌色を取り戻させていく。魔力はそう高くは無い。数分をかけても薄皮一枚が出来あがるだけで、それ以上の処置は無理だと判断する。なんとか血はとまったが、傷ついた内臓は治ってはいない。後はこの男次第だと立ち上がり、官僚の制止の声を振り切って走りだした。

 怯えるでもない人間の声が、通路の曲がり角の向こうから騒ぎに混じって聞こえる。その先は殆ど形ばかりとなった謁見の間であり、革命と言うからには王を狙っているのは当然のことだ。討たれる訳には行かないと、角を曲がる。開け放たれた扉の向こうで、剣を握る女と、突きつけられる男の姿が周りの騒ぎから切り離されたように在った。直ぐにそれはリリューシャと、この王宮に残ったフェルトネートである事を悟った。こちらに気付いたのか、彼は数度瞬いて笑顔をつくった。この状況では不気味極まりない。

「フェロ、君は自分のしていることの意味を分かっているのか、地獄を作る事の意味が!」

「勿論だよ。凄惨だろ、ちょっとばかし手引きしてやるだけでさ。この国はゆっくり壊れていく。いや、バキッツァの連中が乗り込めば、直ぐにかな?」

 レーテが踏み出そうとすれば、フェルトネートは目配せする。黙って聞いていろ、という事なのか。リリューシャは激昂しているのか、レーテに気付く様子はなかった。男に剣こそ突きつけてはいるが、命を奪う気はさらさらないようだった。時にレーダーにもなりえる魔女の能力が一点に向けられている。それでもフェロの本意は分からないようだった。混沌としているのだ。狂っていると言った方がいいのかもしれない。この状況に心底歓喜し、人間に敵意を向けていながら、同時に恐怖を感じる程の優しさが宿っている。

「君は戦争を嫌っていただろう、何故また繰り返す。この国を売るつもりなのか」

「売るんじゃなくて叩き潰すんだよ。どいつもこいつも俺達の事を戦争の道具としか思っていない。俺達が前線で死にかけた時、ここにいるやつらはワイン片手にパーティーだ。おたくが居るからってさ、勝つ事前提で話を進める。俺達の生死なんて気にもしてない。その癖、秘密を知ったからって国の外へ出る事だって許されない」

「外に出ることが出来ないだけだ。不自由なだけで、私達は恵まれていただろう。飢えに苦しむ事はないんだ」

「一生暗殺されるのに怯えながら生きてろって? 冗談じゃない。俺はこの国を壊して、バキッツァへ行くんだ。その為に内通者もつくって、船を爆破した。知らないだろうけど、バキッツァの辺境には村がある。混血児もルシアニア人も受け入れる、差別なんてない村がさ。三人分のチケットと、移住権を貰ったんだ。俺達が自由になるために!」

 喜ばしい事を口にするかのように、笑みがより深くなった。母が子に向けるような慈愛を持つそれではない。かといって何かを楽しむそれでもない。感情のない笑みだ。金の瞳が細められ、さて、と再び言葉は紡がれる。動揺するリリューシャは、オーバーに身ぶり手ぶりを交える男に対し一切の行動を取れずにいた。

「レイナードさんも無事レーテくんが連れて来てくれた事だし。俺はバキッツァの連中ともうちょっと話をしなきゃいけない。暫くあの女と戯れててよ、もうすぐ来る時間だしね」

 部屋の真横を指差した。赤いカーテンに隠された僅かな出っ張りが爆破されるように吹き飛び、焼け焦げた赤は力なく地面に崩れ落ちた。出て来たのは炎を纏う獣を連れた、青紫の髪の女。エルヴィローゼ、とリリューシャが小さく呟く。視線が奪われている間に、フェロが足音を消して動き出した。逃がすものかとレーテは追いかけるが素早い動作で矢が射出される。身をよじって回避しようとするが、矢はゼリー状の水に包まれぽとんと落ちた。

「大丈夫!?」

 ペルネアの声だ。赤い瞳はフェルトネートが逃げて言った方向をじっと見つめて、レーテに駆け寄った。侵入者の方を指す。対峙するリリューシャに、援護の声がかけられた。

「中佐、こいつが首謀者ですか?」

 ペルネアがリリューシャに近寄る。

「……ああ、そうだ。革命軍のリーダーだ。魔物を操る。気をつけろ」

 ぐ、と構えられた切っ先は、今度は殺気を伴った。炎の獣の後に続く、冷気を奮わせる鳥、蔦を絡ませる少女、宙に浮く球状の物体は風を運んできている。彼女の選りすぐりの魔物だろう。二人の間に交わされる言葉はなく、ただ、リリューシャが先陣を切った。

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