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links.  作者: バルサン赤
終幕を告げる音
35/37

ネリネの追憶

 ぶぅううん、と鈍い低音が、ガラスの向こうで唸っている。病室にも似た白い空間の中、その中央に置かれた簡素な寝台の上に寝かせられたひと。悲痛そうに青年は目を細めた。遠く離れたエルドラントの地で普及する医療器具は、この国の中には数えるほどしか持ち込まれていない。外の動乱から切り離されたように静寂だけが耳へと伝わり、何も出来ない己を呪った。

 青白い、死人のような顔色に、表情は何も載ってはいなかった。ただ、眠っているだけだと言う。脈をとればそれは絶えず鼓動を刻み、薄く上下する胸は明らかに彼女が生きていることを示していた。もう一週間が経つ。栄養分を補給する点滴が、白い手首へ伸びている。痛々しい。患者服のような、ゆったりと布の余る服を纏って、されるがままになっているその姿は彼が見たどの姿にも当てはまらない。尊敬する人が、終には人の手に堕ちてしまったのだ。

 音をたてないようにノブを捻る。ベッドの近くに置かれたパイプ椅子に座って、針を刺されてはいない方の手を取った。痩せ細っていた。それは点滴のせいではなく、元からのものだろう。ほんの一ヶ月まえの事を思い出す。目に見えて情緒不安定になっていく彼女は見ていて空恐ろしく感じた。噴火を無理に抑えているような、今にも爆発しそうな感情の塊であった。自分と相対する時、表面上は抑えられるそれはその実、内でぐつぐつと煮えたぎっていたのだ。何のせいか。彼女の旧友の行方が知れないからだろう。それ以外にはないか。彼女は何も言ってはくれなかった。焦りと諦めに包まれた彼女にどんな言葉が届いたのか。少なくとも、彼女を最も本質的に理解できるであろう彼には無理だった。何かを吹きこまれて、助ける前に逃げ出した。再び相まみえた彼女は軍服を纏っていた時からは考えられない、直情的で己のままに動く人間になっていた。そうして自由になった。その時、自分は何を考えた? 貴女だけが解放されるのかと、尊敬と敬愛の中に確かに小さな恨み言が姿を現した。いずれ憎悪に育つかもしれないその芽は摘み取らなければいけなかった。しかし、手遅れだったのだ。彼女はもう、誰の手に落ちようとも羽を手に入れてしまったから、どこに行くことだってできるのだ。

 執念の交じる視線を止めさせたのは、ガラス窓から響く二度のノックだった。くるり、と振り返る。同僚の青い髪の少女ではなかった。冷静なミルクの瞳とかちあう。どうした、口だけを動かした。

『レーテ。暴動が起こった。先に行く』

 シルヴィアは興味を無くしたように窓から消えた。暴動、その口の動きに辟易する。この部屋から出たくは無かった。外で起きている事は、少しのきっかけで柵の内側に傾れ込むだろう。首都ファヴニルは崩壊してしまった。人々の争いだけが、渦巻いているのだ。食糧を抱え込む王宮と、外付けされるように左右に広がる軍部と政府。サーカス団に扮した革命軍、いや、テロリストにこの国は滅茶苦茶にされてしまったのだ。立ち上がる。パイプ椅子がバランスを崩して背後に倒れようとし、素早くそれを片手が支えた。離れようと足を動かすが、もう片方の手が、白く冷たい手に絡め取られたままだった。取ったのはレーテであったのに、いつの間にか握られていたのだ。薄く開く赤と緑の双眸。声が出る前に、彼女の唇が言葉を紡いだ。同時に、彼女に比べれば微弱な異能が痺れるように震え、その意思を救いあげた。紫色の瞳は確かに、魔女の力を受け継いでいた。感覚器官が広がるように周りを捉え、未だ制御の聞かぬ力は人々の意思や感情の揺れ動きを察知する。再び眠ってしまった彼女が、僅かに残った力の一部をレーテに分け与えたのだ。伝えられた言葉は、いつも絶え間なく言い含められていた言葉だった。

 ただ、生き延びろと。






 暗く深く沈んだ意識は確かに覚醒していた。体を動かす事は出来なかったが。離れてしまった仲間達、己に道を示した巫女と元大神官。どこにいるかを探そうとすれば、たちまち残りの命は擦り切れてしまうだろう。そっと思いを馳せる。思考は彼女の手足だ。唯一動かす事を許された動作だ。直ぐにまた、今にも自分を絞め殺しかねない視線を投げながら、起きてくれと懇願する青年がやってくる。因縁は深いものだった。罪悪感すら感じた。思考の海に足を浸して、彼が戻ってくるまで、記憶を引っ張り上げよう。自分は何を選んだのか、守るべきこの国がどうなってしまったかを。

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