選択する終わりの先
「……君の家系は皆変態だったんだな」
「うるさい。これ程人目を憚らない女は私も初めてだ」
「人目を憚ってこんな事をする奴はいるんだな」
神殿に住んでいる巫女の私室に通されたリリューシャとセスは至極複雑そうな顔をして椅子にかけていた。直接の関係がある人間しか通せないと締め出されたカーラ達は今頃宿で二人の心配をしていることだろう。
机を挟んで置かれたソファに向かい合うようにして座った二人だが、リリューシャの傍らにはその部屋の主人が幸せそうに顔を緩ませて座っている。それだけなら変態呼ばわりはしない。彼女はリリューシャの体に隙間を作るまいとひっついて、しきりにその体を触っている。げっそりとした表情と、その隣の、人を魅了しかねない笑みの少女。多少の哀れみを覚えて、自分も過去は竜に対してこれに近い事をしていたのかもしれないと頭を抱え始めるセス。酷く、部屋はシュールだった。
「……それで、君は何故私を竜と呼ぶ?」
半ば強引に、傍らの少女に問う。話しかけられたことが大変嬉しかったのか、花の咲くような、また違う笑みを見せて詰め寄った。少し顔を動かせば、唇同士が触れてしまいそうな距離である。リリューシャは、ぐい、と上半身を大きくのけぞらせた。
「私は巫女です。竜の声を聞き、その意思を人に伝える存在。その方は過去に大神官をされていたそうですが、同じことです」
「どう見ても竜ではなく人間だろう」
「いいえ、姿形に意味はありません。私は生まれながらに竜の声を聞くことは出来ませんでした。けれど、ある日突然首都の方から嘆き悲しむ声が聞こえたのです」
リリューシャの抵抗する手が止まる。
「それは最初は小さく、夢の中でしか受け取ることは出来ませんでした。しかし年月を経るごとに、段々と大きくなっていって。戦争が始まればより一層と。私だけにしか聞こえない声、私だけの竜」
恍惚とした表情でソファの上にリリューシャを押し倒すように体重をかけ始める少女から何とか逃げおおせて、セスの座るソファの背後に隠れるように縮こまる。少女は残念そうに眉を八の字に下げ、続けろ、とセスが促した。
「神官達は、今代の竜への供物を探しあてることが出来ませんでした。この山には幾つか集落もあって、よく混血児も生まれるのですが……。毎回、都合よくは行きませんね。竜が混血児を取り込み、理性を取り戻さねばこの国を守る力は安定しません。海の向こうにだって、影響を及ぼしています。彼らは私の言葉を信じました。そして願わくば、貴女に、今代の竜の役目を果たしてほしい」
「待て、だから、どうして私が竜なんだ」
「……それは、貴女が一番よく知っているのでは?」
「人間が竜になるなど、平常時では有り得ん。貴様が余計な事をしたんだろう」
二人がじっとリリューシャを見つめる。冷や汗が、頬を伝う。身に覚えはあった。ゆっくりと、しかし確かに肯く。口にするのも憚られる、おぞましいことだ。カーラ達ならばともかくとして、二人の前で言う訳にはいかない事情だった。
「でしょう? 貴女はこの国を守る竜になる資格があります」
それは一つのシステムだ。生物としての竜、しかし同時に国を守る機能としても、竜と言う呼称は用いられる。何から国を守るのか、それを確かめる術は無い。確かめる間もなく全てが滅ぶだろうから。少なくともリリューシャの知識では、竜はこの国に生きる全ての生き物を生かし、他の二国の竜と力のバランスを保って天変地異を防ぐ、という事ぐらいしか分からない。けれども、その役目は果てしなく重いのだ。それまでは未だに理性を取り戻す事の出来ぬ、白痴同様の竜の供物になる事でこの国の礎になるのだと思っていたのだ。けれど、彼女にこの国を守り通すことは出来ない。
「待て。資格があっても、やりぬけるかは別だろう。守ると言ったって、何をすればいいのかも分からない」
「ただ、そこに居ればいいのです。貴女はもう役割を担っているんです。『生きる』という事によって。けれど、貴女を入れれば竜は三匹居ることになってしまう。他国よりも多く、それ故、今エルドラントやバキッツァでは軽くではありますが天災が起こっています」
唇を噛み、その事実に目を伏せる。自分が竜としてカウントされるのであれば、それはもう随分前からだ。十年近く、世界をゆっくりとであるが破滅に導いてしまった。思わず立ち上がり、自身の感情を度外視した意見を述べてしまう。
「なら余計に、私が供物になればいいだろう。そうすればバランスは取れる。竜は長寿だ、私よりもずっと長くこの国を守る事ができる」
「いけません。……私は、貴女の声を聞いて育ってきたのです。人の死を悼む感情、人間と言う種に対しての悲しみ、そして心底他人の生を喜べるその心。貴女は優しい。この国を生かすどころか、破滅に導く竜とは違います」
「破滅に導く? 貴様、随分な言い様だな」
「いいえ。人を喰らわねばならないその有り様は、間違いなく破滅へと私達を導くでしょう。混血児は、目に見えて減ってしまいました。子を作っても、その色が遺伝しなければ意味がないのです。竜の血をひく混血児を、私は今日まで目にすることはありませんでした」
仮に生まれたとしても、それは淘汰されてしまうものだ。最早竜は竜として生きられなくなっている。新しい時代を守るのは、人間であると、彼女はそう言っているのだ。
「……君は、どうやって私が竜になったか、おおよそ見当がついているんだな? その口ぶりからすると」
「ええ。竜はただ、子を為せばいいのです。子が居なくなれば、長い年月をかけてもう一匹を産む。根絶やしにするつもりがなければ、彼らが種として途絶えることはまずありません。つがいを必要としないのですから」
「……どういうことだ?」
セスが口を挟む。しかし本当に分からないのではないのだろう。顔は僅かに青ざめ、口調に余裕は見られない。微笑ましいものを見るかのように、少女はにこりと笑みをつくった。
「竜が人を食い、『竜』として完成するならば。その逆だって、同じことでしょう?」
がたんとセスが立ちあがった。近くに居たリリューシャの胸倉をつかみ上げる。憎悪を体現したような眼光が、リリューシャの罪悪感を更に募らせた。
竜は魔女の呪いによって二つに分かたれた。力は魔物の形に宿り、その叡智は彼らの血をひく人間に宿った。完成形の形に拘らないのであれば、確かに竜の混血児が竜を食っても成り立つのだ。
「人が竜を支配すると? 貴様、狂いでもしたか!」
「いいえ。時代の流れですよ。ずっと同じことを続けていられるのは、整備された機械だけです。……このままでは、竜の混血児は途絶えてしまう。ならば全てが共倒れです」
「……私はこの国を守れない。竜は、強大だ。この体に取り込んだ瞬間、死ぬかと思った。それからずっと私に力を与える代わり、体を蝕み続けている。今はもう、体に魔法をかけなければ満足に動くこともできない」
手は離され、どさり、と床に落ちる。げほ、と咳き込みながら、更に言葉を続けた。
「私は精霊魔法なんて使えない。……分かるだろう、魔法を使わなければ生きていけない。古代魔法は人の寿命を縮める」
「ならば、表で使った魔法はなんだ! 氷と風を操っていただろう、あれは魔女の使っていた精霊魔法そのものだ」
「自分なりの応用さ。魔法陣を描いて、精霊を呼び出し契約する。その手順が鬱陶しかったから、古代魔法と同じように、自分の生命エネルギーを使った。全ての手順をそれで簡略化する。強引に呼び出す形になるから、使役と殆ど変わらない」
忌々しげに、セスは舌打ちをした。くるりと背を向ける。不愉快だ、と呟いて、部屋を出て行った。残された少女はリリューシャにかけよって、服装を直す。心配そうに揺れる瞳がリリューシャを見つめた。たおやかな手が頬に添えられ、大丈夫です、と呟かれる。
「竜の肉は貴女に力を。竜の血は、貴女に永遠を」
そういえば、私の名を言っていませんでしたね。私はアネモネ。貴女を、本当の竜たらしめる女です。




