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links.  作者: バルサン赤
アンビギュアスに還る
33/37

意味を知る先

 夜は明けた。

 押し潰すような感覚から逃げるように、リリューシャ達は山道を登っていく。と、言っても、ただの道ではない。複雑に入り組む地形は人を迷わせるに値する。自然洞窟を抜けて、湧水の溜まる泉を過ぎて、雰囲気は多少ぎこちなくではあるが順調に進んでいた。会話はぽつりぽつりと、それが疲れを伴っていく。漸く言葉が明らかな感情を持って吐き出されたのは、草木すら生えない外壁を伝っている最中だった。人一人が通ればもう足の踏み場もない程の幅だ。慎重に外壁に片手をついて足を踏み出していると、背後から疲れた、と投げやりにアルヴが叫んだ。

「あとどのくらい?」

「もう少しのようですぞ」

 先行するバーナードが僅かに上を指し示す。道の先にはまた洞窟が、そしてその上には決して徒歩では侵入できないであろう、山を半分切りだしたかのように水平になった土地が見えた。神殿と、頭だけ見える民家の屋根。目指すところであるのは確かであった。洞窟を抜ければ恐らくは辿りつけるのであろう。

「全く、奴らは何を考えている」

 毒づくようにセスが呟いた。それもそうだ、移住するまでは遥か下、地表に居を構えていたのだ。それが急に、引きこもるような人を遠ざける場所へ移るなど。そう言わんばかりの表情である。息こそあがっていないが、額にはいくつか汗が浮かんでいた。それもすぐに、高度と土地柄による寒さで乾いてしまうが。

「……なんか聞こえない?」

 最後尾のアルヴが呟く。その前にいるセスは僅かに注意を払う動作をしたものの答えは返さず、代わりに中央に居るカーラがあ、と虚を突かれたような、間抜けな声を出した。

「あれ!」

 指差した先は、バーナードと同じ場所であったが、先程は無かった影がそこにいくつも密集していた。ばさりばさりと蝙蝠のようなシルエットの翼が群れをつくるように集まっている。だんまりを決め込んでいたリリューシャの耳には人の悲鳴と、キィ、と鳴く魔物、そしてアルヴが言った『音』であろう、その魔物の出す超音波のようなものを捉えた。走るしかない己に歯噛みしながら、バーナードを急かした。

 洞窟に滑り込んですぐ、その日何度目かの松明に火をつける作業を行う。中は広く、しかし奥に上り階段のような、小さな坂がある。青や紫に輝く水晶が壁に埋まるようにして道を阻害するが、傷がつくのも構わず全員が駆けた。水晶に触れればひやりとぞっとするような冷たさが全身に伝わる。坂道を登れば、魔物の声は全員の耳に届いた。洞窟の中が驚くほど音を反響させるのだ。いくらか道は分かれているが、出口に向かって、のろのろと道を描くように苔が緑色に輝いている。水晶がその光を反射して、辺りは幻想的に照らされている。松明を踏みつぶして火を消し、苔を辿った。

「ねえ! この苔、濡れてるわ」

「今はそんなことより――――」

「違うの、水とかじゃない! 粘ついてるし……ここに棲む魔物の体液?」

 ばっとリリューシャは振り向いて、苔がどこまで続いているかを視認した。自分達が登って来た坂の、更に向こう。その奥まで、奥に広がる程、苔は敷き詰められたかのように光り輝いている。つまり自分達は魔物の巣の前にいるのだ。

「っ、早く行くんだ! 気付かれれば、前と後ろで挟みうちになる可能性もある!」

 陽光の差し込む出口はもう十メートルもないだろう。躊躇いを含まないセスの足取りが、彼を先頭へと運ぶ。出口に差し掛かろうと言う時、漆黒が光を遮った。ばさばさと羽ばたく音、耳障りな、引っ掻くような鳴き声が洞窟内へと爆音で送り込まれる。思わず全員が耳を塞いでその場に釘付けにされた。中に何匹か入り込んだのか、変わらず羽の音だけが響く。目を開ければ、大男程はあろうかという体長の蝙蝠が天上に何匹もぶらさがっていた。鼻は赤く、一切の緑を跳ねのける黒い体毛、目が本来あるであろう場所にはラッパのように大きく穴が開いていた。馬の脚を思わせる太い足の先には容易く人間を裂けるだろう巨大な鉤爪が収まっている。

 そして同時に、退路を塞ぐように地響きが苔を踏みつぶした。挟むようにして、リリューシャ達の前に人間大の蝙蝠が立ち塞がる。しかし翼の膜は随分と薄く、肥え太っているのか腹は膨れている。代わりに骨格は目に見えて硬質で、翼と足の爪はそのサイズに合わせて更に大きくなっていた。最早蝙蝠ではなく、蝙蝠をモチーフとした巨人と言っても差し支えない。咆哮を上げるように口と、顔の二つの穴から山も崩れようかという程の音の奔流が飛びだした。その巨人に一番近い所に居たリリューシャは風圧に耐えきれず後方へ飛ばされてしまう。既に出口は解放されたのか、そこにごろんと転がされたリリューシャはふらふらと立ち上がる。

「ああ、もう! リリューシャ、外の蝙蝠片づけといて! こいつ、外に出したら不味いって!」

「アルヴ、一人では」

「私とバーナードさんも挟まれててこちらからは動けないわ。セス、貴方も外へ! リリューシャは長くは戦えないの!」

「私に命令するな!」

 チッ、と舌打ちを一つして、しかし大人しく出口際から外に出る。空を覆うように、どうやって洞窟に収まっていたのか、おびただしい数の蝙蝠が地に影を作る。打ち身の痛みを引き摺って、リリューシャは剣ではなく背丈以上の長さを持つ槌を虚空から取り出した。

「任せた、危なくなったら直ぐにこちらに来るんだぞ!」

 了承する三人を背に、民家の屋根を食いちぎる蝙蝠の一匹を凍らせる。足にいつも以上の強化をかけて地面を蹴る。三メートルは高く飛び、屋根に着地する間もなくその塊を砕いた。取り囲むように上空から何匹もの蝙蝠が降り注ぐ。槌をぶんと一回り振れば蝙蝠達が遠くに吹っ飛び、しかし際限なく鉤爪がリリューシャめがけて振り下ろされる。自分を中心に台風のように氷の渦が辺りに出現した。生きているかのように上空へ螺旋を描いて登り続けていく。隙間を通り抜けた蝙蝠達が全方向から彼女を襲う。武器を振るう前に、リリューシャごと巻き込みかねない衝撃が、ぱん、と音を立てて破裂した。弾き飛ばされた蝙蝠達が氷の渦に呑まれていく。

「危ないだろう!」

「貴様ごと殺すつもりでやった、当然だろう」

 氷の渦が霧散し、流されていた蝙蝠達は細々とした霰となって淡雪のように風に流されていく。リリューシャを狙うのは危険と判断したのか、耳障りな音信が蝙蝠達の間に飛ぶ。崖の先に建つ神殿めがけていくつかの群れは羽ばたいた。

 逃がすか、とセスが駆けだそうとするが、まだ上空に待機していた残りの蝙蝠が降下し爪を振りかぶった。杖でそれを防御するが、数は多い。何事かを呟けばその場の重力が何倍にも膨れ上がったかのように、蝙蝠達が地面に縫いとめられた。地面は黒く染まるが、まだ羽ばたく音は彼の周りを渦巻いている。

「貴様は神殿の方へ行け! この程度、一人で十分だ」

 言葉と同時に蝙蝠の何匹かが内側から弾けて鮮血をまき散らす。肯いたリリューシャは屋根伝いに神殿へ向かった。白い大理石から構成される、装飾も少ないその建物の表面に齧りつくようにして黒が斑模様を作っている。悲鳴をあげて住人達が飛びだすが、蝙蝠達はいとも容易くその体を掴んで上空へ連れ去っていった。

「全員、伏せろ!」

 大声を絞り出す。怒号はおののく被害者達に届き、縋る思いで全員が地に伏せた。これ幸いと掴みにかかる蝙蝠達を、真空の刃が切り裂く。真っ二つになった体は力なく地面に落ち、残りの蝙蝠達に更に刃は飛ぶ。ぼたぼたと魔物と、既に事切れた死体が降る。逃げるように遥か上空へと舞い上がった蝙蝠達を逃すまいと、リリューシャはそっと瞼を閉じた。頭の中で、空気中の水分を自身の手で掬いあげるようなイメージを浮かべる。触れた水分は、全て凍った。ぱちんと瞼を上げれば、雪が頬を濡らした。ひゅう、と音を立てて、かちこちと凍った蝙蝠達が空中でばらばらになりながら雪と共に地面に激突し、そして砕けた。

 静寂が、辺りを包む。そろりと頭を上げた住人達は、驚いたように瞠目して、そして誰かがやったぞと呟いた。それを皮切りに歓声があがる。抱きしめあう若者たち、涙を浮かべながら笑顔になる老婆、ありがとうと彼女の手を握る者まで現れた。出来る限りの笑みを浮かべて、神殿へと一歩足を近づける。刹那、視界はぐらりと傾き、頭の制御が効かなくなり、ああ、また倒れてしまう、と受け身を取ることも忘れて体から力を抜く。

 しかし、地面との衝突はいつまでたっても起こらなかった。

「お怪我は、ありませんか?」

 柔らかい掠れ声が、耳元で囁かれる。体を受け止められているのだと薄く開いた目で理解した。華奢な、細い体。絹のような手触りの衣服に包まれて、がんがんと鳴る頭が急に静まり返った事に気付く。ばっと体は起き上がった。

「あらあら。そう照れなくてもいいでしょう?」

 抱きしめるように離れた距離を詰められ、下から覗きこむように、薄紫の瞳がふっと微笑んだ。色素の薄い青や紫を含んだ銀の長い髪が、綺麗に結われている。人形のような、しかし柔和な顔立ちは歓喜の色に染まる。触れ合う所を探すかのようにリリューシャの指先を絡め取る指。もう片方の腕は首にまわされ。

「な、き、君は」

 貞淑な美しい笑みをその顔に浮かべ、女性は鼻先が触れあいそうな距離で、ふふ、と吐息を零した。

「貴女をお待ちしておりました。深淵を統べる竜。……私の、竜」

 いっそ妖艶とも言える甘い声音に、赤と緑の双眸が、何とも言えない色に染まった。

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