灯りを握る先
酷く混沌とした夜だった。殺気を隠そうともしないその眼光を受け止めて、挑発するように抜き身の銀に手を絡ませ、一切の睡魔を跳ねのけた。いつかの再現のように、輪になって、中央に火を灯した。それが五人に増えただけだ。対角線に位置取るその双眸はゆらりと蠢く炎の隙間から、絶え間なく怨念を送ってくるようだった。その息苦しさに、誰かが溜息をつく。
誰も口を開こうとはしなかった。不当な、一方的な憎悪は止まることを知らないのだ。リリューシャに対する態度は異常なまでだった。他の面子に対してはまだ抑えが効くようだった。つまりは、魔女に付き従う人間はどうでもいいのだ。魔女の血を根絶したがるその男は、渋々と口元に食料を運んでいた。眉間に皺を寄せて。不味かったのか、それとも機嫌が悪いからなのか。その判別はつかなかったが、乾パンを渡した張本人であるカーラの気分は悪い。いい加減にして、と叫びたいところだ。しかしそれが出来るだろうか? いつもは絶え間なく歌を口ずさむアルヴでさえ、居心地が悪そうに口を引き結んでいる。バーナードは無言で食事を済ませ、寝袋の準備をしているところだ。彼はこの状況がどうしようもないことを悟っている。続いて食事を終えたリリューシャが立ちあがった。大陸の北に位置するからか、エレフィナよりもずっと冷たい気温から身を守るような厚手のコートが翻る。少しの明りの中でもはっきりと映るその青の生地は木々の隙間に消えて行こうとしている。麓には林が散らばって、それを抜ければ急な傾斜を伴って山道が広がる。どこへ行こうというのか、カーラは立ちあがった。
「ここに居ると肩が凝る。散歩だよ、散歩」
「……じゃあ、私も行くわ。貴方一人じゃ心配だもの」
その様子を黙って見ていたセスが、抗議の声をあげる。軽く受け流すように答えは直ぐに返った。
「逃げるつもりはない。そこに、アルヴもバーナードも居るだろう」
深緑に吸い込まれるようにして姿は見えなくなった。カーラの白い服も夜の闇に掻き消える。セスは気に入らないと言うように、最後の一切れを口の中に放って、服が汚れるのも気にせずマント越しに横になった。
「ねえ。体は大丈夫?」
「魔法を使った事なら、問題ない。……いや、あの神殿だからだよ。今もそうかと言えば、そうではないんだ」
切り出された地形の隅、崖になったそこに静かにリリューシャは座りこんだ。月と正面から向かい合う形になって、眩しげに目を細めて光を浴びている。眼前にはエレフィナ高原がさあ、と風に靡くように広がり、その奥にこじんまりと家屋が固まっている。緩やかではあるが、自分達は随分高いところまで登って来たのだなと実感した。そのせいか、カーラは少しだけ息苦しいと感じる。実際はまだそんな領域まで登って来てはいないのだ。
「あの人達、貴方の知り合いなんでしょ。あんな態度を取って、しかも今のこの国を肯定するなんて」
「どっちつかずだな。君は、革命を起こそうとしたエルヴィローゼ達と戦っただろう。なのに、私も否定するのか」
「無関係の人を巻き込んだからよ」
「ならば、誰を殺せばいい? 兵士か、官僚か、王か? その内に、私の顔見知りは何人も居る。止めようとすれば、君は私についてくるだろう。君の意思はどこにある」
逡巡するように、カーラは口を噤んだ。彼女の言う通りだ。所詮他人事だからどうとでも言える、今の彼女の背中はそう言っているように見えた。ただ寂しく、しかし鋭利に。正しく戦場を生き抜く戦士のような、研ぎ澄まされた、何者も寄せ付けない孤高さ。同時に、それを望んでいないように見えた。カーラはゆっくりと彼女の背後で両膝をついて、母が子にするように抱きしめた。リリューシャは何も言わなかった。
「貴方を守るわ。だから、貴方についていく。死なないで、お願い」
「……私に、誰かを重ねるのは止めろ。そういうのはいらない」
「確かに最初はそうだったかもしれないけれど、貴方は貴方よ。リリューシャを、一人の人間として見てる」
言葉につまったのは、リリューシャの方だった。その温かみはとても居心地がいい。羊水のように安息だけを彼女に与えるものだ。けれど、だからこそ、それを許すことが出来なかった。誰かに重ねていたのは、リリューシャの方だった。家族に飢えて、後ろめたさに目を背けて、いつでも自分を肯定するカーラに縋っていたのは。
はねのけるようにリリューシャはカーラを振りほどいた。月に背を向けて、真正面からカーラと向かい合う。怯えるように後ろずさって、ごつごつとした地面が途切れる所で、漸くその動きは止まった。俯く顔は逆光で見ることが出来ない。戸惑うようにその場から動けないカーラに、消え入りそうな呟きが届いた。
「もういい。もういいんだ」
震える声音は、泣いているようだった。けれど実際にはそうでなくて、彼女は泣くことが出来ないのだと思った。そっと近寄ってリリューシャを抱き寄せ、背中をあやすようにぽんと叩いて、崖から離すように引っ張る。
「貴方を大切に思っている人は、沢山いるのよ。自分が気付かないだけで。
それに気付いてみて。いつでも、愛が溢れているわ」
「私だって、人間が好きだ。君達が私を仲間だって思ってくれている事も知っている。
だからじゃないか。だから、人を守るために」
「本当にそれしか道はないのかしら。決めつけているだけよ、今の貴方は」
金か緑か、色の変わっていく髪を梳くように撫でて諭す。腕の中で僅かに肯く気配がして、ふっとカーラは微笑んだ。
「今は殺気立ってるだけよ。貴方はそれにあてられてるだけ。ね?」
子守唄のように、言葉は紡がれていく。穏やかな声が、夜の闇に溶けていく。腕の中で、リリューシャは剣すら握ったことのない村娘に戻った。戦いの匂いはどこかへ行って、少女と女が月の光に照らされている。嗚咽すら出すことの出来ない少女を不憫に思って、髪を撫でる腕の動きは止めず気の済むまでそうしていた。




