過去を辿る先
切っ先がほんの僅か、知覚できるかも怪しい時間男の喉元に触れた時、ふと自分は恐怖に震えた。一瞬の躊躇、そして浮く体。確かに安堵した。戦う者として、これは失格ではないのか。結果的に勝ったのだけれど。
壁に寄りかかるリリューシャの元に、拘束が解けた三人が駆けよる。ぼんやりと、その隙間から見える気絶した神官が視界に入った。剣を通して、激しい怒りと憎しみが彼女に伝わったのだ。まるで人を殺してしまった時の、その走馬灯を覗き見てしまったかのように。けれど彼からは決してそのような暖かい思い出は伝わらなかった。一瞬でも覗いた事を後悔する。身の毛のよだつような、人としての尊厳を奪うような記憶がそこにあった。
「怪我は大丈夫なの?」
「塞がっている。打ち身はどうにもならないようだが」
「怪我は治るからって、最後適当に突撃してなかった? ボクはらはらしたんだけど」
「そう見えたかな。一応、相手の攻撃は食らわないように気をつけていたんだ」
「無茶は程々にされねば、爺と一緒に説教部屋ですからな」
くく、と苦笑する。カーラに手を貸してもらい、立ちあがった。男の近くに転がった槌を拾って消す。少し離れた所に落ちている杖も回収して、身動き出来ないよう縄で縛った。
「でも詠唱無しで魔法を使えるんなら、あまり意味がないんじゃないかしら」
「魔法を使う時には魔力が自然と集まるものだから、その時は武器でも出して脅せばいいんじゃないか」
縛り終えたバーナードは男を壁際に置いた。いつ起きるのかは分からない。
話し合いはどこから脱出するかと言う話になる。目の前で寝ている男が知っているのだろうが、素直に話すとも思えない。何かを交渉材料にする必要がある。けれどリリューシャはこれ以上なく目の敵にされていた。
「何か心当たりある?」
「いや。……ただ、そうだな。彼は恐らくこの時代の人間ではない。君達は聞こえたか、部屋の扉を開けるたびにぷつんと何かが切れる音がしたんだ」
「うーん、したっけ?」
「私達には聞こえなかったわ。魔法への適正が関係あるのかしら」
「そうか。以前、マーシュを抜ける際に私は結界を用いた。あれにも沢山の種類があるんだ。そのうちの一つ、確立されて比較的新しい『時止めの結界』だろう。古代から既にあったのは驚いたが」
「それなら生活感に関しても納得がいきますな。あのメモが風化せずに残っていた理由や、試験管の中の生物が何故生きていたか」
「棺桶に閉じ込められて、部屋ごと結界が張られていたってこと? この人、神官でしょう?」
リリューシャは苦い表情で押し黙る。それに気付いたカーラがどうしたのと声をかければ、悩むように全員の顔を見比べた。
「……私は見ての通り混血児だ」
「何、今更? この人って混血児じゃないよね?」
「そうだな。八百年前と言えば、魔女が生きていた時期だ。子孫が明確に発見されたのはその後だからな」
「じゃあ?」
「急かすな。私は魔女の血を引いている。これは先程の問答でも言った通りだ。つまり、彼女には及ばないが力の一つを行使する事が出来るんだ」
沈黙が流れる。それは嫌悪感などからではなく、続きを促すものだ。
「私は人の感情の流れを明確に認識できる。読心とまではいかないが、近い事は出来るんだ。時折それが高じて、相手の記憶を見てしまう事がある」
「見てしまったんですな」
「ああ。……あまり、言うのは気が進まないが。閉じ込められていた理由としては、彼の強大な力のせいだろう。古代魔法は精霊魔法より汎用性は低く、使い方にもよるが劣る場合が多い。それでも私の精霊魔法と競り合った。
彼は魔女を倒した人間の一人だ。役目を終えて、後は恐れられてこんな処置を取られたんだろう」
カーラは悲痛そうに眉を下げた。その記憶を読み取ったというリリューシャに対しても、足元で寝ている男に対しても。
「どうして抵抗しないんだろう。人類を救った英雄でしょ?」
「……私がこの国から逃げているのと、同じ理由かもしれないな」
「それって?」
「自分の考えていることを晒すのは中々気恥ずかしい、体験してみろ」
アルヴを小突いて、また一つ溜息をついた。起こすぞ、と宣言する。反論が返ってくる前に、リリューシャは男の頭上に大量の水を降らせた。ばしゃん、と見るも無残に水浸しになる。寝癖だったのか、うねっていた髪はすとんと落ちて、男は身震いしながら目を覚ました。恨みがましげにリリューシャを見上げる。
「出口はどこだ」
「教えるものか」
「教えなければ私達はずっとここに居ることになる訳だが」
「…………」
「君の大事な実験体がどうなっても知らないのならそこで縛られておけばいい」
「脅迫のつもりか、屑め」
「……。君は竜を祀る一族の者だろう。この神殿に居るということは」
「それがどうした」
「ここから北に、君の一族の末裔が仕切る神殿がある。目覚めたからには仕事すべきだと思うが」
「私の竜は死んだ。今代の竜の事など、今代の大神官に任せればいい」
「ぐだぐだ言わずに外に出せ」
男の寄りかかっていた壁に蹴りをいれる。爪先は耳すれすれの所に触れている。いつの間にかその手には剣も握られていて、今にも刺されかねない勢いだ。その強引さにカーラが難色を示して剣を取り上げた。
「拷問も脅迫も駄目よ。余計に警戒させるだけだわ」
「……カーラに免じて暴力的な手段は避けよう。だが君、知っているか? 下手をすれば今代でこの国の竜は死に絶える」
「竜は単体で子を産む事が可能だ、ある訳がない」
「いや、ある。竜は魔女に呪いをかけられ、知性と本能を分かたれた。これはこの場にいる全員が知っていることだろう。ならば、知性を得る事の出来ない竜はどうなる?」
「野生の魔物になって、ボクらを襲うのかな」
「そうだな。そうなれば、討伐されても仕方がない。
通常竜が生まれれば、直ぐに竜の血をひく混血児を竜に食わせる儀式が執り行われる。そうすることで漸く竜は人間程度の知性を得るんだ。今の竜が生まれて、もう何年たったかな」
「まさか、食わせる人間が居ないのか?」
僅かに焦った風の男が問いかける。答えを焦らすように彼女は首を振った。アルヴは、あ、と何かに気付いたように顔を青ざめさせた。カーラとバーナードはまだ疑問符を浮かべたままだ。
「アルヴにはもう言ったんだったな。私が、竜の血を引いている」
「魔女の血を、竜に食わせる事になるのか。汚らわしい」
「外に出す気にはなったか?」
「……ついてこい」
縛られていない足を踏ん張らせ、男はなんとか立ちあがる。リリューシャは動揺するカーラから剣を受け取って縄だけを綺麗に裂いた。扉に手をかけたその時、別の場所からがちゃりと音が鳴った。眉を顰めて男はリリューシャ達を振り返る。
「レーテ達だ。急ごう」
階段を上る。通路に出る扉を開け、その目の前の壁に男は魔力を込め始めた。魔力が風を起こすように渦巻くと同時に、またがちゃりと音が鳴る。人二人分程の幅の通路に、レーテを先頭としてぞろりと人が現れる。その中に混じるトトの目を見て男は舌打ちをするが、準備は整ったらしい。壁に縦の亀裂が入り、がらがらと音を立てて横にスライドする。生い茂る木々がその隙間から顔を覗かせ、地表に出たのだと言う小さな感動が四人の胸に広がった。水を差すようにレーテが呼びとめた。
「待ってください、逃げればそれだけ貴方が不利になるだけでしょう!」
「戻れば殺されるだけだ。レイ、君もそうだろう?」
レイナードは一歩前に出た。ならばこのまま国に追いかけられるままでよいのかと問う。つまり彼は国を変える気なのだ。首都で起こったテロも既に耳に入っているだろう。抵抗しろと言うのだ。
「……私は、あのままで良いと思うよ。圧政でも、どれだけ格差があっても。革命が起こる度に民は飢えに苦しむ。争いがあるからだ。君は今、平和に暮らす人間さえも平等に地獄に陥れようと言っているんだ」
「リリューシャ、いいから逃げましょう! どちらかが折れなきゃ、ずっと平行線よ」
手をひかれるように一人分の隙間から出る。沢山の足音、そこから鬱陶しげに逃げるようにして男も脱出する。ひゅんと矢が飛んだ。それは男の頭を掠めて、どこかへ飛んでいった。
「何故私まで狙われなければならんのだ!」
「っ、おい! 杖だ!」
リリューシャが持っていた杖を放り投げる。放物線を描いてくるくると回りながら、それは男の手に納まった。閉じ込めるように開いた出口に不可視の盾を張り、そこから離れる。透明の壁に阻まれて、レーテ達は出ることが出来ない。炎や水の魔法がその壁にぶつけられる。
「あれは貴様の連れか!? 躾ぐらいしておけ!」
「不審者は捕縛しろと教えている!」
石造りの階段を登りきったころ、ぱりんと盾が割れる音が響き渡った。矢の射程が掴めない以上、離れるのが先決だ。半ばとばっちりで着いてくる事になってしまった男については何も言わず、五人はエレフィナ高原に足を踏み入れた。




