未知の先
長い間人の手が入っていないのか、神殿は荒れ果てていた。入口は両端の柱の間に設置されている。恐る恐る扉に身を添うようにして開けると、外開きの扉は驚くほど簡単に開いた。が、扉間の隙間から矢が飛びだす。直線状に立っていた木の幹に刺さり、その表面が毒々しい紫に染まっていった。その木は歪な形に枝や幹を歪ませており、何人もの人間がここに立ち入ったと言う事なのだろう。
中に入って壁に肩を預ける。左肩に刺さった矢を掴み、引き抜いた。鮮血が迸る。その痛みにうあ、と僅かに呻いた。
「なんて無茶を……、今回復するから大人しくしてて」
「いや、いい。ここなら大丈夫だ」
左腕で制した。普通なら激痛で動かすのも大変だろうに、顔色一つ変えず。彼女の視線の先、前方に広がる白い通路と、並ぶ蛇のような、あるいは竜の像。左右には登り階段。下る階段もある。
「ここはあの街よりも落ちつく。……もう血も出ていない。ここはそういう所なんだろう」
歩く彼女の足取りは軽い。その先は地下への階段だ。
「地下? 袋小路じゃないの?」
「罠や仕掛けがあるということは、地下に隠し部屋があってもおかしくないだろう」
突飛な発想に、渋い顔をしてアルヴがついていく。肩を貸すか提案するが、いいと断られた。本当に回復しているらしい。かつんと靴の慣らす軽快な音が止むころ、照明も何もない暗闇の中で火を起こした。階下は日差しが差し込む隙間すらない。足元にはこれ見よがしな魔法陣や、古びた本の仕舞われた本棚などがある。試しにと無造作に置かれた本をその魔法陣の中に投げ入れた。ぼふんと煙があがり、その本に手足や目が浮かび上がる。脳があるのかないのか、ばたばたとそれは走り始めた。足元まできたそれを踏みつけると抵抗もなく倒れ動かなくなった。
「無機物に命を与えるのか、それとも物質を変異させるのか。あれは避けた方がいいだろうな」
部屋に異様に散らばる本も気になる。魔法陣を避けさせて罠を踏ませる魂胆なのかもしれない。バーナードはごほんと一つ咳払いをして、何事かを唱えた。彼の足元に土くれの塊が表れた。それが増殖するように体積を増していき、次第に魔法陣や本を覆う。白い石の床が土まみれになってしまった。踏んでも足場はしっかりしている。
「古書を汚すのは出来るだけ避けたいのですが……今は安全が最優先ですからな」
「ありがとう」
扉のノブだけを回し、それを開いて壁に隠れるように退く。数秒反応を見たが何もないらしい、ちらりと扉の向こうを覗く。きらりと輝くそれに気付いて、入っていこうとするアルヴの手を引いた。
「へっ?」
「よく見ろ。……いや、その角度では見えないのか」
屈みながらその光の位置を指差す。一本張られた線が輝いていた。金属らしい鋭利な光沢を放っている。す、と僅かに触ると、それだけで指の腹が裂けた。カーラが青い顔で唾を呑みこむ。
「少し屈めば大丈夫だろう。……他はないようだ」
全員が通った後、アルヴの剣を借りてそれを切断した。気が重い。リリューシャは溜息をついて剣を返し、次はとカーラの杖先に燃える炎を照明代わりに部屋を見た。正方形の、紙束以外に何もない部屋だ。足元に散らばった紙を拾い上げて読もうとするが、どうやら古代語らしい。古代語の話し言葉は現在でも通じるものだが、書き言葉は違う。文法が滅茶苦茶だ、と頭を抱えた。
「あー……これは、ボクも読めないねえ」
「爺も古代語は学んだ覚えはまったくありませんのう」
「私もよ。というより、単語は共通だからごちゃごちゃになるんでしょうね」
掠れたインクから辛うじて幾らか単語を拾う。『大神官』、『巫女』、『魔女』、繰り返し並べられたその言葉を指差す。全員がその紙を覗きこむが、他に拾えるものはないようだ。
「これは恐らく……、昨日私が話した村の事を覚えているか。あの村に建つ神殿に住まう一族の事だ。ここは引き払われたんだろう」
「どうして罠なんて……」
「この神殿に満ちる力だ。それを悪用されないように、と推測は出来るが」
いつの間にか、裂けた指も治っている。ぐるりと周りを見渡すが、やはり紙束だけだ。しかし今引き返せば鉢合わせする可能性は十二分にある。あちらは神殿の入り口で待っているのが最善だろう。中に入ったリリューシャ達には籠城か、別の出口を見つけるしかないのだ。
「隠し部屋ねえ……あるかな」
「風が通っていたり、叩くと音が違ったり、と良く聞きますが」
「部屋に何かすると罠に引っ掛かりそうよ?」
「ならば怪我覚悟でいけばいい。私が先導しよう」
一歩踏み出したリリューシャをアルヴの声が引き止める。純粋な疑問からだ。
「ねえ、怪我は治るんでしょ。 じゃあ罠って意味あるの? 確かにデストラップもあったけどさ、掠ったりするだけとか、普通にあると思うけど」
「それもそうだな。……確かに、効率が悪い」
「怪我が治るのも何かの罠の布石とか? いえ、流石にそれは考えたくないわ」
「それよりも、今はどうやって逃げるかではありませんかな」
こんこんとバーナードが手近な壁を叩く。特に異常は無い。アルヴも恐る恐る剣の鞘でトントンと叩きはじめた。隠し部屋がある保証もないだろうに。しかし自分の案に乗ってくれたのだ、リリューシャはしゃがんで指先に唾液をつけて立てた。僅かに、指が冷たくなる。角度を変えればそれは顕著で、風が吹いてきている証拠だ。方向にアタリをつけて、そちらに近寄る。壁の隅を覆うように紙束が積み重ねられている。それをそっと取り払った。指先になにか突起のようなものが触れ、それを押した。低く唸るような地響きが鳴る。
「え、何? リリューシャ? なんか押した?」
「押した」
「ちょっと不味くないかしら……きゃっ」
部屋の中央にいたカーラがぱっと姿を消した。続いてその近くに居たバーナードも、更にはアルヴはうわあと悲鳴を上げながら。壁際に居たリリューシャはそれを認識した途端空中に浮かんでいるような浮遊感を感じ、そして足元を見た。中央を境目として、部屋全体が落とし穴となっているのだ。乗っていた床は二つに割れ、その床の先を掴む。宙ぶらりんになるが、時間が経てば再び床としての機能を持つのだろう。その際自分の指は挟まれてしまう。下は暗闇に包まれていて良く見えないが、あいたっ、と小さく聞こえたその声に望みをかけて、リリューシャはぱっと手を離した。風がリリューシャを包んで、そして落ちて行く。




