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links.  作者: バルサン赤
箱庭の少女
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明朝、眠るまで遠く

 たおやかな白い布。ベッドの天蓋としてかけられたそれを細い手首が押し上げる。布の隙間から覗く、鮮やかなピンクの髪。腰まで届くそれは朝日に反射して輝いている。それを眩しげに見つめる海の色。ぼうっとする頭にかけられた、優しい声音。ハル、おはよう。




 貴族の家には規則が多い。立ち振る舞い、言葉遣い。外から来た者にとってはそれが苦痛でしかたないらしく、昨晩泊まって行った兄の友人は窮屈そうにして、朝は手を振って出て行った。見送りを終えた兄、ユウは毎朝とは言わずとも、時間があけばハルを起こしに来る。本家の屋敷とは比べ物にならない程少ない使用人の手を煩わせるのも、彼にとっては不愉快なのだ。

 優雅な仕草で立ち上がり、服を着る。使用人が彼女の長い髪を整えた。その甲斐あって、彼女の髪は美しい。部屋から出て、屋敷の中に居るであろう兄を捜すまいとホールに出た。照明に照らされる、長身の影にハルはぱっと顔を輝かせて駆け寄る。飽くまで上品に、簡素だが上等な生地をつまんで。

「お兄様、おはようございます。ごめんなさい、先程は挨拶も返せなくて」

「いや、いい。お前も眠いのならもう少し休め。明日は本家の屋敷に行くんだ。

 あそこに居るのは辛いだろう」

「いいえ。お兄様が居ますから。お兄様は、私よりも、自分の心配をしなければいけません」

「十分体調には気をつけている。風邪ひとつひいたことがない」

「それはそうですけれど……」

 つかつかと二人は進む。街一つ分、本家から離れているこの屋敷は領地の管理を任されている。指揮をとるのはユウだ。あつらえられた執務室へ向かうユウの目の下にはうっすらと隈が残っている。それを心配して言いだしたことだが、昔から彼女は口で彼に勝てたことがないのだ。


 執務室前でユウと別れ、屋敷の廊下をつかつかと歩く。いくつかの扉を過ぎて、書斎に入る。

 机に小難しい本を並べ、うんうんと唸る男に、ハルはそっと声をかけた。

「ジンさん。ナギさんを見ませんでしたか」

 少々やつれた風の男はそこで顔を上げる。そして非礼を詫びた。男の髪は鳶色であるが、毛先や頭頂部はやや青みかかっている。その奇妙な髪色は、男がこの辺りの出身ではなく、遠く離れた大陸の生まれだと言う事を示していた。彼女はそれに抵抗はなかったが、未だ差別があるということは知っている。

「いいえ。ですが、恐らくは外に居るでしょう。あれは朝、外を散歩するのが好きですから」

「そうですか……。いえ、なんでもないんです。ただ、明日、少し不安で」

 ハルは苦笑してそっと下がろうとしたが、男は目敏くそれを制した。

「ハル様。僭越ですが、昨日出した課題がまだ上がっておりません。出来具合はどうでしょうか」

「う、あの、その……ちょっと分からないところがあって」

「では、ここで少し復習しましょうか。聞いた事を覚えて整理するのも大事ですよ」

「はい……」

 ジンは手元の本を閉じて、引き出しの中から羽ペンと羊皮紙を出す。ただの紙もあるにはあるが、男はその古風な雰囲気を好んだ。机にたてかけられた杖を落とさないよう、ハルは適当な椅子を引っ張って座る。

「まずは簡単なところから。魔法についてです。何故使えるのでしょう」

「精霊がこの世界に居るからです。原則、普通の手順では加護を受けた一属性分の魔法しか使えません」

「正解です。エルドラントは魔法の代わり、武器防具などの方が発達していますが。

 魔法を習いたければバキッツァの方がいいですね。魔女信仰の強い土地です。

 では、魔女とは」

 ぐ、と言葉に詰まる。エルドラントの人間は魔法については疎い。態々教えを乞うたのは、少しでも自分の身を守れるようにしろと兄に言われたからだ。先日教えられたことを必死に思い出す。楽しげににこりと微笑む男は羊皮紙になにやらすらすらと書きながら、ハルの答えを待っている。

「……精霊の、遣いです。えっと……、当時の人間の中で唯一精霊魔法を使えた人で、彼女だけが緑の目を持っていました。私たちが精霊魔法を使えるのは、魔女が世界に沢山精霊を呼びこんだ、からです」

「はい、もう一息」

「うー……、あ、魔女は特殊な能力を持っていました。それは彼女の血を継ぐ人たちにも受け継がれて、それと、竜の血を分け与えられ、不死であった……。ですが、突然人に敵対し、竜と人間、魔物が力を合わせて倒した……あってますか?」

「ええ。十分です。魔女が生まれる前は人間は古代魔法を使っていました。

 ですが自分の生命力を使うので、総じて短命であったと言われていますね。それを憐れんで、精霊が魔女を寄こしたのだという説もあります。では何故魔女は人と戦ったのでしょうね?」

「……昔の人たちは、何度も文明を築き上げて、何度もそれを破壊されました。人は進化すればするほど堕落します。魔女はそれが許せなかったんだと思うんです」

 男はそれには答えず、興味深そうにハルを見遣った。いくらか書きつけられた羊皮紙をハルに渡して、手を伸ばして杖をとった。

「今復習したのは基礎の部分ですが、十分課題をこなせるだけの情報ですよ。どうしても分からなかったらそれを見ればいいでしょう。では私は、時間ですので」

 ゆっくりと歩き出すジンに先んじて、ハルは部屋を抜け出した。

 どうして魔女は人と戦ったのか? 彼女の記憶では、それは教えてもらわなかったことだ。同時に疑問に思う事でもあった。今はもう、子供の童話に名前だけが出る悪者であるのに、何故だかとても可哀そうだと思う。出会ったこともないと言うのに。

 けれど何処か遠く、遺伝子に刻みつけられたかのように、自分は異形に酷く心惹かれるのだ。


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