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links.  作者: バルサン赤
アンビギュアスに還る
18/37

我が身の先

 人混みの中に揺れるように身を任せる。人々は彼女に目もくれず、毎日のように開かれる宴へと興じた。噴水の縁に腰かける。僅かに水しぶきがかかるが、知ったことではないと肩の力を抜いた。

 人の声がずっと頭に響いている。それは現実に拾えるものであるのか、いや、そうでなければおかしいだろう。彼女の血が引き継いだ能力はあくまで読心術ではない。ただその人間の感情や纏う空気、相手をどんな人間か判断する事、対話を円滑にする事にしか使えない。魔女に比べれば随分劣化したものだが、それでも生きている人間の中ではかなり強い力の持ち主だろう。耳を塞いでも通りがかる人間の疲れや愚痴、負の感情まで引き受けてしまうのだ。一つどころに固まっていては体も重くなるばかりだろう、伸びをして歓楽街と化した中央部に足を運んだ。

 野次や歓声の飛び交う石床の上で、何か目ぼしいものはないかと周りを見渡す。昼間から飲んでいたと思わしい顔を赤くした男が街灯にしがみつき、手品を披露する道化が子供に風船を手渡す。どこかにサーカス団のテントも張られているのかもしれない。知り合いはこの国を転々と回ると言っていたから。武器屋や道具屋を過ぎたあたりからぐっと酒臭くなる。もう子供もいない。出所を探せば橋の上だろうに、川の流れと同じ方向に分かれ道があった。酒場の看板が数多く立てかけられている。喧騒は更に酷くなった。奥まで進み橋の縁に肘をついて真下を見た。この重量を柱があると言っても支えられるのか、と思えば下は大きな正方形の石で中央を塞いでいた。両脇、といってもかなりの広さがあるが、そこから水は絶え間なく流れている。恐らくその石は中身がくりぬかれて貯水所にでもなっているのだろう。興味深い造りであるが、この街に長く留まりそれを調べるのもリスクが高い。今の所兵士の姿は見ないが、いつ来てもおかしくは無いのだ。くるりと踵を返して鼻をつんと刺激する酒の匂いから逃げ出そうとすれば、酒場脇で歌っていたと思われる詩人らしき人間がばたんと倒れた。被っていた帽子はころんと転げ落ちる。その先にある大きめの缶には沢山のチップが溢れており、倒れた隙にとかすめ取ろうとするぼろを着た男の手を軽く踏みつけた。

「横取りはいけないな。……生活に困窮しているならともかく、君、随分と酒臭いな?」

 にい、と凶悪に微笑む。当然仮面に隠れているのでそれは見えるわけがないのだが、男はその雰囲気に気圧されてひいっと情けない悲鳴を上げながら足をもつれさせて逃げ去った。足元からうう、と男とも女とも判断のつかない呻き声が上がる。どうやら気絶したわけではないらしい。しゃがんでその詩人の手を取る。煙のように広がる酒臭さに、ああ、と察した。起き上がるのに貸した手をひっこめたくなった。

「うー……ん、あ、ありがとう。ちょっと頭がくらくらして……あぁ、飲み過ぎたよお……」

 転がる帽子を手さぐりに探し、一本くるりと跳ねたアホ毛の後ろに被った。髪は青緑一色で、民族衣装のようなものに身を包んでいる。身長はいくらかリリューシャよりかは高いぐらいだ。中性的な顔立ちで、糸目が穏やかそうな性格を感じさせる。詩人はいそいそと缶の中身を財布に移して、地面に置いた革袋の中にすべて放り込んだ。

「まさかとは思うが……これから酒場に?」

「あっはっはー、勿論。ボクは、酔い潰れるまで、飲む……うえっ」

 拳を握って宣言したは良いものの、急に起き上がって気持ち悪くなったのか口元を手で押さえて再び地面に手を着く。あまり酒には強くないのだろう、顔は青い。

「やめておけ。大人しくその金で宿をとって休むんだ。この国の酒は度が強い。体も熱いぐらいだろう」

「外は寒いから前々問題ないね! だいたいボクはねえ、好きで飲んでる訳じゃあないんだよお……、うっ、ボクの何がいけないっていうのさあ~!」

 呂律が回らなくなり始める言葉に、殆ど涙目でリリューシャに訴える。頼む、飲ませてくれ! 全てを忘れさせてくれ! そう言わんばかりの駄目人間っぷりに彼女も折れた。いや、何も付き合う必要はないのだ。しかし今ここで目の前の酔っ払いを放置すれば間違いなく背後から人でなしだの冷血人間だの罵声を浴びせられるだろう。目立つのは避けたい。というより泣き上戸の酔っぱらいなんて何をしでかすか分からない。大人しく肩を貸して手近な酒場の扉を開けた。からんころんと軽快な鈴の音が鳴り、体格の良い中年の男がらっしゃいと声を張り上げた。丸テーブルに座る客はどれも粗雑そうであったり、あるいは冒険者たちの集まりであったり。既にダウンしかけている詩人と、それを支える華奢な道化はどう考えても場違いであり、一瞬視線が集まるが、直ぐに興味を無くし店内は騒がしくなる。壁際の席を取って軽い物を二人分頼んだ。

「うー……ありがとう、ほんとありがとう。ボクが酔い潰れても気を使う事ないよ。常連だから、マスターが多分何とかしてくれる……」

 未だに気分が悪そうに頭を押さえて机に突っ伏す詩人はテーブルにグラスが置かれた音を聞くや否や素晴らしい速さで飲み干した。白い頬は赤く染まって、ああ、これはもう引き返せないなと諦める。照明が少ないのか薄暗いが、目の前の酔っ払いの表情は鮮明だ。鬱憤が溜まっている顔である。

「ボクはね! 怒ってるんだよ! この世の中の理不尽さに!」

「……まあ理不尽だな」

「そう、そうなんだよ! エルドラントの山奥のさあ、ほんとに田舎の村にいたわけ。そこの風習でね、なんやかんやあって性別を明かすんじゃないって長老がほんとに煩いの! だからさあ、ボクに性別どうのこうの言われたって答えられないんだよ。ボク自身もさ、男だから付き合うとか女だったら好きとか言われても困るの! ほんともう! 説明しても分かってくれないんだよお、愛があるなら答えられる筈だとか言ってさ!」

「お、おう」

 捲し立てるように喋りはじめる酔っ払いの目は完全に据わっている。下手に口を出すのは不味いだろう。

「最初田舎から出て来てね、都会で、歌でお金稼いでたんだよ。そこで綺麗めで清楚っぽいお姉さんが声かけてきて都会の人超アグレッシブとか思ったの。ほいほいついてって半年ぐらい半分ヒモ……ヒモ? みたいな生活してたんだけど、いやボクニートじゃないよ、ちゃんと一人で生きていけるぐらいの収入はあるけど、でもそういう問題じゃあなくて」

「分かってる分かってる」

「ある日突然言われたんだよ! 『自分より男の人に声掛けられる人が恋人なんて嫌!』分かる? この理不尽さ! ボクは彼女一筋だったんだよ、声掛けてくる人は男女問わず跳ねのけたとも! なのに、なのに……うう」

 すん、と鼻を啜る。二杯目を一気飲みして、更に酔いが回ったのか視線をふらふらだ。無言で水を差しだし、店主に何か適当なつまみを頼む。まもなくクラーケンの塩焼きなどという不穏な物体が小皿に乗って出て来た。二人で一本ずつつまみながら話を聞く。

「傷心のままね、こっちに船で渡ってきたんだよ。でさあ、今度はシュトーゲルでね、いかにも好青年って感じの子となし崩し的に付き合ってさあ。傷心中だったからボクもちょろかったんだよ、今は正直後悔してる」

 どこの昼下がりのOLの会話だろうと半ば放心しながら酒を口にする。この国の人間は大抵十もいかずに暖をとるため酒を呑むので総じてアルコールには強い。平然と口にしているそれも目の前の酔っ払いが飲めば一発で倒れるだろう。

「とんでもないギャンブル狂いでね、賭博場で三日連続ですってくるんだよ。ボクが毎日酒場とかいろんな所で凄い凄い言われながら貰うお金がポーカーでパア、信じられる? でも昼間は全然まともなんだよ。だから真人間に戻そうとして、でももう駄目なんだよ……。うう、ボクと付き合う前から、というかボクが浮気相手だったんだよお。貢がされるとか最低! モットモヒクイ!」

「変に希望を持つからそうなるんだ。世界にはその二人だけじゃないだろう、まともな奴もきっといるさ」

「優しいね君、こんな愚痴に付き合ってくれてさあ。マスターなんて三日で音をあげちゃったんだよ。だからいっつもきつい酒回して気絶させてくんの。……クラーケン美味しい」

「焼くと小さくなるんだな……。店主、これをもう一つ」

 アルコールに溺れて行くたび、夜は更ける。




「遅いわね……何かあったのかしら」

「今のところは何も騒ぎは起こっていないようですが、探しに行きましょうか?」

「そうね、……いえ、あれは」

 宿の前で腕を組んで待つ二人の前方に、街灯とネオンに照らされながら進む二つの人影。光の下に出たそれらはリリューシャと……見慣れない顔だ。彼女は肩を貸しながら、じりじりと進んでいる。一方、恐らく酔い潰れているのだろうその人間はふらふらとした足取りで建っているのもやっとという具合だ。カーラ達はリリューシャに駆け寄った。

「どうしたの!? ……酒臭いけれど」

 責めるような口調に、二人とも僅かに顔を背けながらしかし確かに酒場、と呟いた。

「飲んでたのね? 私達が心配してたのにも関わらず飲んでたのね?」

「……はい」

「いいえ、リリューシャは悪くないんです! ボクが悪いんだ、ずっと愚痴に付き合ってもらって」

「アルヴ、君が謝る必要は無いんだ。いつだって切りあげることは出来た。いや、君の愚痴だって当然のものだよ。あんな人生を送っては、酒に逃げたくもなる」

「……どうやら、我々の知らないところで何やら絆が生まれたようですな」

「仕方ない、わね。いえ、時間をきちんと決めていなかったこちらも悪いわ。自由行動もいけないとは言っていないし」

「今日はもう夜も遅いことですし、とりあえずは中に入りませんか? 爺は寒いのが苦手で苦手で」

 はあ、と節ばった手に息を吹きかけて宿の扉を開く。アルヴと呼ばれた詩人はすみませぇん! と呂律怪しく喚いてリリューシャに運ばれていく。カーラは密かに溜息をついて、その背中を見送った。

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