その視線の先
差し込む日差しが金に輝く髪を照らした。蜜のように濃く輝くそれが眩しくて思わず目を閉じる。彼女は寝ずの番を務めきった。以前は休息を異常に欲していた体なのに、と視界を暗闇に閉ざしたままより深く木に寄りかかる。
自身の体に起こる異変について、とうに想像はついている。きっとそれが合うのだろうと言う事も。いっそ全てを彼らに語り、これからの道を決めてもらうのもいい。呆けのように流されて生きていきたい。彼女の精神は疲れ切っていた。多少の優しさの中に意図を含めても気付かないぐらいには。情緒不安定に陥る前にと立ち上がる。日は森の高さを越して見える程まで空に浮かび、鳥の囀りさえも聞こえる。十分だろう。そっと二人の肩を揺り起こし、起き上がらせた。
自分が御しきれなくなりそうだ。一刻も早く彼らと別れてしまいたい、まだ彼らと旅をしていたい、矛盾する考えに躍らされながらも、太陽の方向を記憶と照らし合わせて道なき道を進む。深い茂みの中であれば見つかる可能性も減るだろう。焦るような姿を見せるリリューシャはそれでもするりと慣れたように蔦や木を避けて進む。その背を追いかけるカーラは苦戦するように、バーナードは身軽に追いかける。
時折飛び出すように小型の魔物が出てくるが、騒ぎにならないようにとバーナードの拳が脳天に直撃させられ、いつの間にかこの辺りに住む狼型の魔物が点々と道を作っていた。殺してはいないので目がさめれば何処かへ行くだろう。苦戦することもなく時間が進んでいく。
「……待て」
手で制す。木々、葉の隙間から、揺らめく赤い色が見えた。ぱちぱちと弾ける音、屈んで隙間からよく目を凝らせば、軍服を着た人間達がテントを張って談笑している。演習か? 警備のようでもない。ならば目的は自分だろう、当たりをつけて更に観察する。
「それでよ、俺は言ってやったんだよ。どーせ枕で取ったんだろ、ってよ」
「はっ、違いねえ。絞れるだけ絞ってどっかで遊んで暮らすつもりだったんだろ。今じゃあよ、バキッツァだったか? そこでルシアニア人ばかり住まわせてる町もあるぐらいだぜ」
「そうだよなァ。だいたいおかしいよな、隊長とか偉いさんは皆口揃えてだんまりだぜ。こりゃ一人二人じゃすまねえよ」
「あー、顔だけはよかったのによお。爺どもばっかり甘い汁吸いやがって。先月の給料見たか? あれの十倍以上はすんだってよ、中佐にもなると」
「世の中不公平だよなあ」
俗に塗れた話だ。眉をひそめながらそれを聞く。有益そうな情報は得られなさそうだが、このまま動けば見つかる可能性もあるだろう。ちらりと後ろを向いてどうすると視線で問う。
「そういや知ってるか? 捜索班に潜入班が一組出来たって話」
「ああ、司令部長の独断でつくられたって奴だろ。しかもその班によ、司令部長の部下一人とあの女の部下が配属されたんだってよ。コネだろ? 事実上の昇進だしよお」
「名前にかこつけて自由に動けるらしいじゃねえか。俺なら探してるフリして街でも行って女ひっかけるわ」
「違いねえ」
何よあれ、カーラが小さく呟く。下世話な話はもう聞きたくないと言わんばかりに首を振った。彼らを越えればもうすぐミーシャの街に着く。大きな橋の上に建つ街だ。関所だけなら抜けられるが、それ以前に今彼らに発見させるのは不味い。話声は二人だが、他に何人いるかは掴めないのだ。
「……奥にまだ人の気配がする。それに捜索班は少なくても五人はいるだろう。この近くをうろついているかもしれない」
「私が囮になるわ。道を聞く振りをするから、貴方達は進んで。向こうに着いたら宿を取るわ。そこで会いましょう」
「……分かりました。無茶はされてはいけませんぞ」
カーラは土や葉で服を少し汚す。わざと大きな音をたてて茂みを横断していった。すぐに話声が聞こえてくる。ちらりと彼女が行った方向を見やりながら、低姿勢で潜り抜けた。人の気配も随分遠くに感じる頃合いまで来れば森はもう浅くなってしまって隠れ蓑の役割を果たさない。
目の前には関所らしき建物が橋をふさいでいる。下を見れば十メートル程下に大きな川が流れていた。やはり、通らざるを得ないだろう。目配せで先に入るよう指示する。
からんと鈴が音を立てて扉は開く。リリューシャはさっと扉の影に隠れた。ノブを掴んだままの体勢で話し合いに応じるバーナードは中に入るよう促され扉を閉めて中に入る。小さな窓から覗けば並べられた椅子のうちの一つに座って何やら書類を書かされている。この国の人間でなければ身分を証明できるものを提示しなければならないのだ。その先にはこれ以上なく面倒くさい書類地獄が待っている。関所には側面や正面に大きな窓が備え付けられており、通ろうとしてもバレてしまう。天井にも窓がつけられているため上から行くことは出来ない。しかし中に居る役人は一人だ。突破は可能である。
頃合いを見てドアの窓に頭だけ映す。わざと足音を立てれば簡素な造りの壁の向こうには丸聞こえだろう。僅かにドアと地面の間には隙間も空いており、靴も見える筈だ。つまり、扉の向こうで不審な動きをする人物が居るというのを確認できる。あまりにもわざとらしいが、それは知っている立場の人間だから言えるのだ。警戒する気もない、形だけの役人はすんなりと引っ掛かった。
「誰だ!」
役人の男がちりちりと扉を細く開けて外を窺う。そこに目一杯の拳を叩きこんだ。扉は勢いよく閉まり男の顔に当たる。更に背後から忍び寄っていたバーナードが手刀を繰り出し気絶させた。
「……見事ですね。後は縛って適当なところに放置するだけだ」
「まあ、うちの武術は戦うためのものですからな。どこをどうすればいいかは心得ておりますよ」
ぐるぐる巻きに縄で縛られた男を木に括りつけて関所を通る。街の近くなのでそう魔物は近寄らないだろう。バーナードが直前まで書いていた書類を書きあげて男の懐から取りあげたハンコを押した。これで通ることに関しては問題ない。がちゃ、出口の扉を開く。石造りの床を靴が叩き、バーナードはおお、と喜色満面に零した。噴水がいくつも立ち上り、公園のように木や花が規則正しく並んでいる。街全体が芸術作品のようだ。
「戦争からもう五年たったとはいえ、これだけの復興を見せるとは」
「この街はエルドラントから干されてきた職人達が集まって創り上げました。住む人間も、ルシアニア人の方が少ない。そちらの方が技術力は上です、彼らがいなければこうはなりませんでした」
人々は賑わい、そこらじゅうにある酒場の看板の下げられた建物に入っていく。マーシュに漂う、どこか寂しい雰囲気は無く、ただ陽気に人々が歌い飲んでいた。指名手配犯を記す紙も見渡す限りは無い。兵士に気をつければいいということだ。
バーナードはくるりと振り返り、少し早口に提案する。
「……では、宿の近くでカーラさんを待ちましょうか。いえ、もう夕方ですからひとまずは各々やりたいことをやりに行きましょう。爺は少々、野暮用がありますので」
「では夜になったら宿に向かいます。御老人、用については聞きませんが、少々目が危ないですよ」
指摘すると参ったように彼は頭を掻いた。
「参りましたねえ。しかし、危ないことするわけではありませんので、ご心配要りませんよ」
逃げるように足早に去っていく。早く何かを確かめたいような――――そういったものを感じた。その背を遠目に見ながら、リリューシャは荷物に手を突っ込む。逃げる彼女に目立つ上着をプレゼントした女性が持たせた物が大半で、彼女の私物は殆どない。袋の底にある物を掴んで引っ張り出し、それを顔に付けた。お祭り騒ぎのように陽気な人々の中に、道化が一人増えるだけの話だ。そこらじゅうでサーカス団の人間が芸をしている。紛れこめるよう上着と仮面を遣った女性の行動は正しい。はあ、と溜息をつきながら、歩を進めた。




