朝の霧、昼の音、夜の幻
「……では、皆さんはここから北に?」
「ああ。俺は行くところがあるから。ライカは?」
「こっから一番近いギルドって言ったら首都だろ。だから暫くはこの近くに居る」
「そうですか。寂しくなりますね」
一時の仲間を見送って、隣に控えるナギが申し出る。
「ギルドの者に色々聞かれるでしょうが、全て終わったら帰りましょう」
「……そうですね。ジンさんも、私たちの帰りを待っています」
屋敷は全て燃えてしまった。柵の内側は灰ばかりで、丁度食堂があったあたりは天井や物が倒壊して塞がっている。この家の歴史は消え失せてしまったし、もうきっと誰もオウカ家の因習に気付くことはないだろう。ユウは結局、家の存続を取ってしまったのだ。だから自分もあと数年もすれば誰かと結婚して、子を生むだろう。その子供は混血児になるのだろうか。血に影響されて、自然と再び元のオウカ家に戻りはしないのだろうか。ナギに連れられて、街道を歩く。ハルは結局、連れ出してほしかったのだ。隔離されていた故に、家に愛着も何もなかったのだから。ただそこに住む人を愛していたのだから。
「ナギ。私はこの銀の柵に触る事が出来ます。でも、いつか、ふとしたことで出来なくなるかもしれません。今だって、私、血の匂いだけは嗅ぎ分けられるんです」
「ハル様?」
「もし私が人でなくなってしまったら、私を葬ってください。そういう理由だったら、きっとシャーリーちゃんもいいって言ってくれるだろうから」
「…………承知、いたしました」
慌ただしげに、ギルドの人間達が駆けだしてくる。何人かは倒壊した建物を片づけに、小太りの、髭を生やした男はおほんと一つ大きな咳をして、ハル達を歩みを止める。何があったのか。唯そこで会ったことだけを簡潔に話した。吸血鬼が街に潜んでいただけのことだったのだ。疑わしげに男は目を細めるが、二人を解放する。外はもうすっかりと暗くなって、先程までの明りだった火は消えてしまった。空を見上げれば、月が雲で隠れてしまっていた。きっと雨も降るだろう。
「私が、当主になるんですね」
「はい。私も兄も、この命尽きるまでハル様に御助力いたします」
「ありがとう。……ねえ、私はここに来なかった方が良かったのかな」
ぽつりと零す。貴族の風習に縛られて、彼女自身が息を抜ける場所はもう無くなってしまった。家に帰ればきっともう、私情を表に出す機会は無くなるだろう。一族の血を繋ぐ歯車となるのだ。
「来ていなければ、確かにシャーリー様はお亡くなりになりませんでした。しかし、ユウ様と会う事はもうなかったでしょう。僭越ながら、私の目には、ハル様にとってはそれが一番重要なことなのだと映ります」
「そうだね。……酷いって言われたって、構わないよ。でも、私は本当に、二人のことが大切だったんだよ」
語気は徐々にたどたどしくなって、そして抑えきれなくなったかのようにハルはその場に座り込んでしまった。影に隠れて地面がぽつぽつと湿る。震える彼女にどう接すればいいのか、ナギは考えあぐねて、そしてそっと背を向けた。泣けばいいだろう。ナギにも分かっているのだ、彼女はこれから先自由は一切なくなると言う事を。ハルがしたように空を見上げる。水滴が瞼に当たって跳ねる。頬を伝っていくものに、そっと涙を混ぜた。きっと嗚咽も涙も、雨が全て洗い流すだろう。




