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links.  作者: バルサン赤
箱庭の少女
11/37

明方、終えるものは

 大広間は騒然としていた。踊り場に居た給仕の女性たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行って、何人かは物陰から中央を見ている。その中央には、着飾られた貴族服を纏う血まみれの男と、それと対峙するように大剣を構えるライカの姿があった。

「……お父様!?」

 男は猫背のように前かがみになって、理性のない瞳だけがぎらぎらと光っている。髪や頬についた返り血は拭われず乾いていて、人間としての反射的な行為すら出来ないことを物語っていた。男は獣のように荒い呼吸を繰り返して、生前は見られなかった鋭い牙が口元からちらりと覗いている。

「はあ!? 当主は死んだんじゃなかったのかよ! いや、それより……」

 ライカの背後には、トトに抱えられて倒れ伏しているシャーリーの姿があった。近くには彼女の父親が事切れて壁に寄りかかっている。辛うじて彼女自身は息があるのか、胸は上下しているが、服は傷口から溢れる血で真っ赤に染まっている。時間の問題だろう。ハルはばっと駆けよるが、それを制すようにナギが前に出た。

「どうして! どきなさい、ナギ!」

「いけません! あの化け物は既に当主ではありません。貴方まで襲われてしまいます」

「そんな……」

 歯がゆさに唇を噛む。男は多勢に無勢を悟ったのか、階段の間にある扉、食堂へと駆けこんだ。ライカとナギがその後を追う。ふらふらと、ハルは視界がかすむほどの涙を溜めて、シャーリーの傍に駆け寄った。

「シャーリーちゃん、シャーリーちゃん……」

「……ハル? そう、ごめんなさい、もう目が見えなくて」

「喋らないで! 今、お医者さんのところに」

「無理よ。トトが軽い回復魔法をかけてくれたけど、少しも効かないんだもの」

 くすりと笑ってシャーリーは腕に力を込めて何とか浮かせる。まだ温かみのあるその手を、ハルが握った。ぽろぽろと涙を肌の上に零す。

「ハル。貴方は、怖くならないで。ねえ、見ちゃったのよ。たまたまね。だから……ここまで逃げたんだけど、お父様は私をかばって……」

 げほ、と咳き込む。その衝撃で彼女の口元から赤い血が吐き出され、喉はひゅうひゅうと虚しく鳴った。そっとトトはハルに彼女の体を任せ、一歩下がる。抱きしめるように、服が汚れるのも構わず唯ハルはシャーリーの名前を呼んだ。

「私、貴方達が好きだわ。これが、私の体に流れる血のせいでも、関係ないでしょ。……ねえ、死なないで。貴方の気持ち、知ってるけど、だから……っ。死な、ないで」

「シャーリーちゃん、シャーリーちゃん……?」

 微笑する口元が、動かなくなる。掠れた声はもう聞こえないのだ。ハルの胸に預けた頭の体重が、急に重くなる。放心するように、彼女の足の力も抜ける。あ、あ、と。震える唇は言葉を紡ぐことすらできなくなり、絶叫も、怒りの言葉も、何一つ音にはならなかった。

 嗚咽する喉は震える。そっとシャーリーの頭を下ろし、彼女の乱れた前髪を元に戻してやる。よろよろと立ちあがった。

「……トト君、少し、手伝って」

「ハル……?」

 胡乱気な視線に気づいていないのか、ハルは玄関から出て柵にそっと触った。安堵の溜息をつく。こんな状況だと言うのに、今、ハルの頭は驚くほどにクリアだ。しかしそれは冷静なのか、それは分からない。トトに指示を出す。ウインドの魔法が、銀の柵の一本を切りだした。棒を手に掴めば、その先は剣のようとは行かなくとも、杭のように尖っていた。

 踵を返して食堂に向かう。暴れる音は聞こえず、中に入るとナギとライカが立ちつくしていた。彼らの足元には地下へ向かうらしき階段があり、捲られた絨毯が目に入った。

「この先ですか」

「ハル様。……シャーリー様は……」

 トトが小さく首を振る。痛ましげな表情は直ぐに切り替えられ、ハルに指示を仰いだ。

「降りましょう。……怪我はありますか?」

「いや。一目散に逃げて行ったからな」

 ばたん。階下で、扉の閉まる、嫌な音が聞こえた。産毛が総毛立つ。腕や肩が僅かに硬直して、しかしハルは握る銀の柵を見つめ、降りて行った。

 階段は人が二人並んで降りても余裕がある程度には広く、先頭にライカとナギがつく。暫くすれば、大剣が振り回せるかどうかの小部屋に辿りついた。扉は開いている。そしてその隙間から、ぎょろついた目が、充血した目が、じとりと天井に近い所から、ハル達を見ていた。

「ウインド!」

 先制するように扉ごと風の刃が切り裂く。しかし天井に張り付いていた男、いや、その吸血鬼は軽やかに地面に着地して逃げていく。扉は剛腕が砕いた。

 追いかければ、更に大部屋に出る。入口付近に捨てられた、辛うじて女性と判別できる干乾びた死体が踏まれたのかぱきりと折れている。服は上質の布で仕立てられていて、それはかつての姉達だった。部屋自体はいくつかの本棚と、牢がいくつか壁沿いに設置されている。左右の壁につけられたランプが部屋を照らすが薄暗く、しかし中で待ち構えている吸血鬼の目だけがらんらんと光って獲物を見定めているのだ。

「っ、俺が囮になる! 素早いあんたが止めを刺せ!」

 ライカが前に出て剣を横に薙ぐ。しゃがんで回避するそれは地面に転がっていた何かを奥に居るハルに向けて投げた。ウインドがそれを弾くが、切られた二つの破片はランプの近くへ転がった。白い骨の露出する、人間の腕だ。干乾びた死体は五体満足に転がっている。つまりそれは。

「お兄様!」

 その大声に反応したのかそうでないのか、吸血鬼は一瞬動きを止め、ナギが首を一閃する。ごとりと落ちると同時に体も倒れ、そしてその背後にある、ランプの明かりが届かない中央奥の牢の扉がギィ、と開いた。

「……ハル」

 男はハルよりもくすんだ毛先を血で汚していた。海色の瞳はハルだけを見つめていた。ちらりと覗く牙は人でないことを表し、右腕は肘から先が無くなっていた。

「お父様を噛んで操っていたのは、お兄様ですね」

「調べたのか。……お前が来るとは思わなかった」

「お兄様を、助けたかったんです。でも、きっとお父様を殺したのはお兄様でしょう」

 ゆっくりと彼は肯いた。その姿は弱々しいが、不敵に笑うその様は当主たるに相応しい、そう感じてしまうこと自体、忌々しかった。ハルは周りの制止を振り切って、兄に近寄った。肘から先のない腕は包帯が巻かれていて、それ一つが彼の人生を変えてしまったのだと直感する。

「ロドリゲスをけしかけた。あの男は家を継がなくとも、血を濃くする事を止めさせようとしたからだ。この家の本来あるべき姿を歪ませた」

「ならば、逃げればよかったでしょう! 私はこんなの、望んでいません……。どれだけ辛くたって、人殺しよりマシでしょう……」

「混血児であるあの男は、吸血鬼特有の渋とさをもって生き残った。死に様を確認しに来た俺を襲い、そして俺も自分が別の存在になったことを理解した」

「いっそ、いっそお兄様はそこで死ねばよかったんです! どうしてですか、私も、シャーリーちゃんも、そんな」

「シャーリーか。……悪いことをしたな。だが、ハル。お前はこの家を継がねばならない」

「嫌です! お兄様、こんな家なんてもう必要ありません。悲しいことを生むだけじゃないですか!」

 喚くハルの頭を撫で、その手を取った。冷たく冷え切っている。それにはっとしたようにハルが顔を上げ、ユウはハルの手を己の胸にあてがった。心臓の動きは一切感じられない。ランプで照らされた顔は、人間のように温かみのある肌を纏っているか?

「俺はもうこの家を存続させることは出来ない。

 ……ハル、俺はこの家の当主になり、全てを掌握しようと思った。この力を恐れて血を薄めようだなどという真似は愚かだ。奴は人でない者を嫌った。最も吸血鬼に変異しやすいであろう俺達を、一番遠くに遠ざけたろう。それでもなお監視は続けた。

 当主になり、全ての障害を払って、俺は迎えに行きたかったんだ」

 ハルは兄を突き飛ばすように手を払った。一歩、二歩、下がっていく。それを寂しげに見つめて、ハルは今にも泣き出しそうな声色で呆然と呟いた。

「二人で、遠くに行けば良かったじゃないですか。私は喜んでついていきました。何処か遠くで、暮らしていければ。ずっと待っていたんです」

「……甘いな。それでは、駄目なんだ」

 話は終わったと言わんばかりに、ユウは入り口を指差した。赤く、耳を澄ませばごうごうと音を立てている。

「ロドリゲスだろう。あいつは殆ど気が触れていた。全て燃やしてしまおうと言う訳だ」

 どかりと牢の奥に座りこみ、肘をつく。彼はそこから動く気はないらしい。逃げろと言うのか、顎で部屋の外を差した。

 泣きだしたハルを、気まずそうに目を逸らすトトが手を引いて連れていく。部屋自体は石造りだが、酸素は十分にあり、また木や死体は燃えてしまうだろう。既に血を残すことのできない彼は、ここで死のうと言うのだ。ハルの手に持った銀の柵で、殺してくれとは言わずに。ハルを押すように最後尾に立ったナギは跪いて、ただ頭を下げた。大きく何かが燃える音がする頃、部屋の中には彼しか居なくなった。無くなってしまった腕のあった場所を見つめて、ただ瞼を閉じる。煌々と宝石のように鮮やかな炎が、彼の爪先に触れた。

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