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1.市街地戦 ①

「しかし――」

 不満気に舌を鳴らすリサ・イマジンの服装は落ち着いたもので、ベージュのハイネックセーターに黒のパンツ姿。恥辱を覚えていない彼女の髪は淡く薄い金髪で、その長さは肩よりやや下という程度。

 彼女の言葉を継がせず、断ち切ったのは傍らの男だった。

「へっへ、来るぜ、同類の気配だ。なぁイマジン、その汚ぇ穴にぶち込んでやっから、ビルの一つでもぶっ壊してくれよ」

「少し黙ってください。貴方に触られた時点で、反射的に貴方を殺してしまいそうです」

 ――男、新田セイジは渡日する際にその殆どの手配をしてくれた男である。

 そもそも、ホープ・ウォーレスによく似た男が居る、と接触して紹介してくれたのは彼だし、現在も行動を共にしているのもそんな腐れ縁からだった。

 その後知らされた事実は、ホープ・ウォーレスを”装っている男”だったという事。

 彼女らが半年かけて彼の居場所を探し当てた今、残るは真偽を確かめるのみとなっている。

 ――リサ・イマジンは改めて当たりを見渡した。

 土曜日のオフィス街は、スーツ姿の男や私服の男女、または同性同士のグループやなにやらで賑わっている。

 二人は街路樹の脇で、顔を合わせるでもなく正面の商社ビルへと身体を向けていた。

 リサ・イマジンはそれでも、平凡な服装だというのに通りすがる多くの者の視界に止まる。だからその美貌は、やはり意識しなくても、否応なしに実感させられた。

 目立ちすぎる――かえってそれが咎の発動の契機になるのだから構わないのだが、もしこの咎が必要なくなった時、この容姿は足手まといになるのではないかと不安になる。

 背後では片側ニ車線の四車線道路。ひっきりなしに往来を過ぎる車通りの多いそこは、実に排気臭かった。

 まさかここで、その気にさえなればこの場に居る殆どの人間を殺せる者が居るとは思わないだろう。

 その気になれば、ビルひとつを”吹き飛ばす”ことさえ可能である女が居るとは――そんな、咎人の扱いの悪さに拍車をかけるような思考に、リサは思わず苦笑した。


「いいからさぁ、やれよ」

 後ろに手を回す男。その手には短機関銃が握られていて、背中に鋭く銃口を突き刺していた。

 背筋が凍える。

 苦笑すらも吹き飛んだ。

「目的はなんですか?」

「要らねえだろ、てめえらは壊しゃいいんだよ。そーすりゃ連中が釣れるだろ。てめえはそれを待ってたんだろ、だから来たんだろ?」

 引き金にかけられた指は、いつでも押し絞れるような殺気があった。安全装置は外されていて、もし逆らう気配があれば、彼は本気で殺すと――彼女には、そう思えて仕方がなかった。

「だったら被害の多いビルじゃなくてもいい。道路に派手な亀裂でも入れればいいじゃないですか」

 彼女が時間稼ぎにほざいているのは明らか。

 次で最後だ。男は嘆息しながら、指に力を込めた。

「やれ」

「しかし」

 かき集めた四名の中で最も扱いにくい咎人だったから、ここいらが潮時か――。

 そう、考えた瞬間。

 視界端で捉える、どよめく人波。そして一様に歩道に道を開けていく姿に、轟く悲鳴を認識した。

 そして切り開いた道の中心を突っ切る、蒼い一閃。目にも留まらぬ速度は、さながら稲妻であり……。

「な。マジかよ――おいィッ?!」

 リサの背中に押し付けたミニウージーを、保身のために横に突き出す。街路樹から半身を出して往来へと照準、するよりも遥かに速く。

 大地を踏み鳴らす炸裂音と、モーターが唸るような電撃音が響き渡った。

 男がそれを聞いた、次の瞬間には眼前にその姿を”出現”させていた。

 空間転移かと、誤認する間もない。

 大気がたわんだ。

 空間が歪んだ――気がした。

「てめェだな」

 嗜虐的な笑みが、言葉とともに男の全身に張り付いた。

 戦慄する――間も、やはり無い。その男は新田セイジの持つあらゆる反応を許さない。

「ひとまず気絶イッとくか」

 蒼惶を纏う右腕がバチバチと電撃を迸らせる。

 直後のことだった。

「ん? アンタ――」

 ようやく気づいた女の姿。その凄まじく強烈な容貌には、さしもの彼にも見覚えがある。

 瀬戸ユウの眉根が寄り、頭の中で錯綜する言葉が声にならず、詰まり、混乱。

 思わず電撃が止む。

 力が緩んで男へと迫る拳の速度が、一気に劣化した。

 つまりは油断――。

 だからその彼女が、次の刹那、己の無防備な脇に猿臂を叩きこむことなど認識できなかったし。

 勢い良く吹き飛んだ青年の肉体が、一直線に車線へと飛んだ結果、時速七○キロで走っていた乗用車の側面に激突し、さらに弾けて路上に叩きつけられた時などにはもう、彼の意識は喪失していた。

 瀬戸はそれ以降動かず、また男の右腕も、短機関銃を握ったまま垂れて動かなかった。

 悲鳴が湧き、人が退き――遠巻きに様子を伺う野次馬たちが、警察への連絡を行いつつ、彼らから一定の距離を開ける。

 奇しくも、広大な空間が出来上がった。

「――初めまして、かな。キミたちとは」

 自動拳銃を抜いた少年が、野次馬の壁から飛び出してスライドを引く。薬室へと拳銃弾が装填されたそれを、リサへと照準する。

 少年の傍らにはギターケースを担いだ少女。

 ジッパーを開けて振りぬいた中身は、尖く長い、長剣とも思わしき鉄の塊だった。

 歩道の中心辺りまで歩みを進めた両名は、選り好みの暇もなく対峙する相手を決定する。

 リサは桐谷を。

 新田はニアを。

 意思疎通もなく、合図もなく。

 戦闘が開始した。


     ◇◇◇


 少女――とは最早、年齢を考えれば言えぬだろう彼女の琥珀が、くりくりと左右に揺れる。それは彼女の心情を、少年に見せていた。

 焦燥、狼狽、きゅっと締まる口元は、それらを強引に抑えつけている。

 リサが大地を駆った。

 瀬戸ユウの電撃を纏った速度を凌駕した一撃を、彼女は放った。それを見ていた少年は、もちろん今の彼女が現状で”誰よりも速い”のを知っている。

 だから第一歩目、彼女は足を引っ掛けたようにすっ転ぶ。正確には、足を上げようとした時点で前進は失敗したのだ。

「にゃ――くッ、卑劣、です!」

 彼女の両足を、不可視の障壁が拘束したのだ。

 しかし間もなく解け、立ち上がる彼女はそれでも足元を執拗に確認しながら歩き出す。

 むろん、少年もそんな不躾で野暮なことは、もうするつもりはなかった。

 それに対して、侮っていると思われれば彼としては心外なのだが。

「わっ、私達を翻弄して楽しいですかっ?! ホープ・ウォーレス……その偽物さんは」

 先日の恋焦がれるような視線とは打って変わる冷たく鋭い視線に、桐谷は僅かな動揺を隠せない。

 また言われた。

 偽物――誰がだ、と怒鳴り返してやりたいのを堪えて、踏みにじって、含んで、飲み下した。排出されるときには跡形もなくなっていれば良いが、しかし腹の中でまた暴れだしそうな気もする。

「僕が偽物だって?」

「そうです。彼は死んだし、死人は生き返らないもの。常識だし、夢見がちな子供でないかぎり、蘇生やゾンビなんてものを、信じはしない」

「生まれ変わりかもって考えは、中々に爽快だと思うけど」

「愚の骨頂ですね。生まれ変わったならまだ五歳ですよ」

 だが、と食い下がる。

 次の瞬間には、彼女の拳が飛来していた。

 なるほど、この強さは健在か。一息で地を蹴り脇に回避すると、新幹線が過ぎるほどの風圧を持って虚空を穿つ拳撃が眼前で通過した。

 反射的に脇腹へ銃撃。立て続けに鳴り響く三度の銃声は、しかし彼女に傷ひとつ付けられない。

 セーターに穴が開いた。だがその先の柔肌に火傷はなく、銃創はない。彼女の表面で潰れた弾丸だけが、服の中にぽろりと落ちていった。

 変幻自在の蹴撃が、回し蹴りの変型で襲いかかる。くの字を描くように腰を引いて、皮一枚のところで回避した。

「僕の咎に、どう説明をつけるつもりだい」

 ホープ・ウォーレスの咎も《絶対障壁》の名を持ち、壁を作った。

 決して破壊されず、だが時間経過によって脆くなるそれは、その名の通り――いつしか壁を喪失させる希望を彷彿させるものだったが、彼の死後、結局は混乱の源になって波乱が巻起こっている。

 大層な名前は付けたものではないという典型例だ、と桐谷は認識していた。

 腕を組んで足を止める。

 無数に襲撃する徒手による乱撃は、だが彼には当たらない。反発性のある見えぬ壁が、全てを受け止めてくれる。

 ただ数センチの隙間を除いては。

 そこに銃を向ける。銃爪を絞る。

 吐き出された銃弾は、リサの額にぶち当たった。

 ひしゃげて潰れ、地面へと落ちていくばかりの結果しか残さない攻撃だったが。

「確かに彼と同一です。しかし貴方のそれは、まるで覚えたてのよう……この五年間、私たちが何も知らず、何もせずに居たと思っているのですか」

 渾身の力を込めた一撃が障壁に炸裂する――無駄だと知っておきながら、だが彼女は腕ごと弾かれ、追撃の蹴撃で壁を殴打する。

「一つ――」

 訊くな、と思う。

 無駄なのだから。

 彼女らの期待は、もはや叶わぬのだから。

 演じていればよかったのかと考える。最初から、彼女らを騙せば良いのかと思った。

 本当に偽物として存在していれば――彼女らを満足させるためだけに生きればよかったのか。

「訊きます――なぜ私達が、このアウェーへ、敢えて飛び込んできたかわかりますか? この罠しかない地に」

「罠? 罠って」

「かつての同胞を侮辱されたままの形で、終われるわけがないからです……っ!」

「侮辱……? 聞いてくれ、僕は……!」

 救済する。

 胸の奥で灯った炎が、最優先すべき事項を蘇らせた。

 それは義務感だ。己がそうしなければならず、そうして然るべきであると縛ることで――現状、桐谷洵は桐谷洵として存在できている。

 存在理由と言い換えても良い。

 偽物だと身勝手に看破される少年にとって、それが己である証拠なのだ。

 例えるならば――少年の精神はホープ・ウォーレス。縛り付ける義務の名の鎖が桐谷洵だ。この鎖が無くなれば、彼は彼でなくなってしまう。

「キミに聞いて欲しい」

 高く飛び上がる彼女が、背後で着地する。

 壁を構築しようと思うより疾く、大地を蹴って脇に回った。

 振り返ろうとした桐谷の背を拳が穿つ。

 だが通らない。

 障壁は、彼女の予想を読んでそこに存在していた。

「僕はキミを、救済する」

 もうこんな戦いはしなくて良い。

 ”忘れなくていい”。その悲しい咎を、恥辱と忘失の障害を経て得られる力を、二度と発動させなくていい。

 だから一度、終わらせる。

 戦闘は、もう二度と――。


 刹那のことである。

 リサ・イマジンは少年のつぶやきの直後、彼の姿を見失った。

 否――正確には、己を除く全てが景色を含めて、白く染まり上がったのだ。

 より仔細を説明するならば、彼女は天高く聳える純白の壁に挟まれた。空を見上げれば蒼穹を垣間見るが、高さはおよそ高層ビル程。

 白いが故に奥行きを測れない。壁は、物質的な壁というものではないから、影もない。

 腕を伸ばす。裏拳が、伸びきる前に壁を叩いた。

 そのやわい一撃だけでも人体は容易く吹き飛ぶだろう威力を持つ。だが殊この壁を前にして、彼女は常人に極めて等しい。

「どうすれば……」

 《空想投身》を以ってしても破壊できぬものは、素直に制限時間による障壁の脆弱化を待つしか無い。

 そう思っている最中、背後で金属音が床を鳴らした。

 振り返る。

 転がる楕円形の、表面の凹凸が目立つ金属――手榴弾だ。

 さしもの彼女も、この閉所での手榴弾に耐えられるか分からず、前を向きなおして走りだす。が、最奥は奇しくも数メートル先だった。

 恐怖が湧き立つ。久しぶりの感覚に、彼女は思わず耳をふさいで屈みこんだ。

 衝撃は、果たして来ない。

 変わりとばかりに、その白く透き通るような首筋に、冷えた金属の感触が迸った。

 眼を開ければ、周囲には路上の景色。喧騒は未だ続行中。

 偽物ダミーだったかと、ようやく看破した時、銃撃による衝撃は最上の威力で頚椎を打撃した。

 どれほど肉体を強化しても、人体の弱点は変わらない。だから彼女も半ば当然と言うように、視界を緩やかに暗がりへと落としていく。意識は、鈍く、やがて黒く染まった。

 脱力する彼女が地面に倒れる。ジャケット下のホルダーに拳銃を押し込んで、彼はリサを横抱きにして抱え上げた。

「つぐみ。悪いけど、ユウの様子を見てきてくれないかい」

「……貴方はどうするつもり?」

「彼女が目を覚ますまで待つよ」

「不毛かもしれないわ」

「いいよ。これは僕の選択だから」

「そう」

 いつの間にか、街路樹を背にそれを見守っていた火群は、彼の言葉に小さく頷いてから踵を返す。

 路上を一瞥するが、しかしもう、どこにも瀬戸の姿はなかった。

 道路ではオカマを掘った車と、掘られた車が中央分離帯に寄り添って、運転手らは憔悴したような顔で警察を待つ。

 数滴の新しい血痕だけが残る車道。追跡しようにも、数滴で終えた血痕を追う術はなく、肋骨もろとも内蔵も幾つかやられただろう瀬戸ユウの姿は、完全に消えていた。 

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