Event.2《邂逅》
――テキストファイルを適当な場所に保存し、メーラーを起動。
特異機関のアドレスを指定し、ファイルを添付。文章未記入のまま送信――。
終わったかと思えば、文章未記入の点を指摘するエラーウィンドウが展開する。次回は表示しないを選択、迷わずOKをクリック。再送信。
エラー。
「いい加減にしてくれ……」
今度はエラーウィンドウが表示されたせいで、相手のアドレスが消えてしまったことが原因だ。
歯軋りし、同じ操作を行い、再送信。
しばらくしてから、完了のウィンドウ。
二時間に及んだ作業に終焉をぶち込んだ桐谷洵は床に手をついてのけぞるように大きく息を吐く。
顔を上げて前を一瞥すれば、中華丼をスプーンで掻っ込む瀬戸と、足を組んで優雅にパンを食む火群の姿。
彼女が持ってきたノートパソコンで報告書を機関に送信し終えた彼は、ローテーブルの上のソレを閉じて、寝台に座る両名に改めて視線を向けた。
「つぐみ」
「ん? なに?」
お茶のペットボトルのキャップを捻っていた彼女は、そうそう機会のない少年からの声かけを意外そうな顔で受け取った。
「この実験部隊っていうのはつまり、咎を自分の意志で扱える者が居るっていうだけなのかい?」
「そこに、ニ○○時間以上の戦闘訓練、一五○時間以上の座学を積んだ者、が加わるけどね」
「ニ○○時間……」
まるでパイロットの訓練か何かのようだ。
資格を取るわけでも、慣れるわけでもなく、彼らに残された生きるためのただ一つの手段を、そんなお役所仕事で規定した時間をこなすだけなど。
しかしそんな思いを吐き出すわけでもなく、少年は「そうか」とただ頷いた。
そういえば――テーブルの上の惣菜パンを手にとったところで新たな疑問が浮上する。
先日の……氏名を失念したが、殺害された男のことだ。
だが火群は、その間に彼が眉根を寄せたことに気づいて、彼が抱いたであろう疑問を看破する。だからその応答は、むしろ一方的な報告のような形で告げられた。
「クランク・ジェイドの死体はしっかり回収したわよ。彼の咎は問題があったようだけど、元来の自信過剰な性格に難があったみたいね」
思い出す。
あの忍者の動きを読み、回避した男。
確かに強かった。咎が相手を噛み砕くまでのタイムラグさえなければ、ただ一度、あの接触だけでマッグ・インの命は失われていたであろうほどの強さである。
敗因はただひとつ、実戦不足の一言に尽きる。
「惜しいかどうかはわからねェけどよ、ともかくこれで、ただでさえ不安な戦闘員の数が一枠減ったわけだろ? 残る一人は、顔も見せねえ有様だし」
「ああ、それにマッグたちが積極的に接触を図ってきたってことは、もう立ち止まる猶予もなくなってきてるってことだろうし」
相手は六名。
ディメン=レイクの言葉が真実ならば、内、五年前からの生き残りが四名で、ニ名は新規加入した存在だ。
その二名はどこから現れ、なぜ彼らに加勢するのか。
機関の人間でない以上、その身を平穏に溶かして咎を隠せば、少なくとも人並みの生活はできるだろう。ならば何故、敢えて命を散らさんとするのか。
成り行き上――瀬戸ユウのような正義感を滾らせてのことだろうか。ならば、もしそうならば、彼らは身を潜めて息を殺して、より確実性のある行動を取ってくる可能性がある。
「どちらにせよ、今の貴方に勝ち目はないんだろうけどね」
彼女の自信ある断言に、されど桐谷は否定もせず沈黙した。
事実である。
先日、忍者があの状況で退避を選択した理由を考えれば瞭然。
その瞳は炎を滾らせ、少年らの背後で熱風が吹いた。そこから考えれば、彼らがジェイド以外の援軍を見たのは明らかであり、その援軍が負傷した彼では対応しきれぬと判断せざるを得なかった存在であるのは自明。
ジェイドだけならば一掃されていたに違いない。
自称”史上最大火力”――口にする自己評価を含める肩書きは、あながち間違ったものではないらしい。
「彼らの体系が未だ保ってたなら、確実に戦闘能力の極めて高い存在がトップに居る筈だ。僕たちは、何よりも力を求めたから」
「なッ……ばッ、嘘、だろう? あの連中より、強ェだと?」
ゴミをコンビニの袋に詰めていた瀬戸は、驚いたように目を丸くして動きを止める。
確かに、桐谷は立体機動に弱い。だから疾く、鋭い動きをする忍者もレイクも捉えられなかったし、加えて身体能力を強化した忍者には、結局瀬戸以外触れることは叶わなかった。
また、およそ《狂狗》よりもまっすぐすぎる分かりやすい強さだからこそ、瀬戸は時間が経って頭の中が醒めた今、その強さを理解していた。
「五年だ。僕らは戦うための力をつけたが――彼らは、戦うための力を研ぎ澄ませた。この違いは大きいよ」
「そうね」
「だ、だがよ……」
「ねえ、ユウ……一ついいかい? くだらない事なんだけど」
「ああ? なんだよ」
「もし、キミが誰かの――」
――偽物。
オクパス=レイドの言葉が脳裏によぎる。
心臓が鷲掴みされたかのような苦しみが、少年を悶絶させる。
誰かの偽物になったわけじゃない。
好きでこんなナリをしているわけじゃない。
僕は桐谷洵だ――なぜ誰も、”僕”を”僕”として見ない――。
言いかけて、言葉に詰まる。
問いかけたくせにうつむいた少年へと、瀬戸は瀬戸なりの疑問を投げた。
「おい、どうした」
「……い、いや。ごめん、なんでもないよ」
直後、ぱん、と音が鳴った。
鈍く重く淀んだ空気になりかけたその空間は、火群の一拍の手拍子によって払拭される。
「最後の一人がここに到着するまでに時間があるみたいだから、少し理解を深めてみない? 自分たちの咎と――私達、咎人について」
知っていそうで、その実、理解の薄い部分。
彼女はゆっくりと、説明を開始する。
◇◇◇
ペキュリアウイルスはおよそ五十年前、突発的に発生した。
発生地域は不明であり、それは世界的に突如として湧いてでたように出現した。
現在でも解明がなされていないウイルスは、未だ全世界で緩やかに人類を蝕んでいる。
病症は、まず発熱、嘔吐、頭痛、下痢などの諸症状が起こり、次第に免疫力が低下して他の病気に感染しやすくなる。多くの者は、そこで命を落とす。
また潜伏期間があり、個人差によって発症時期が大きく異なる場合がある。感染した翌日に熱を出す者もいれば、数年は健康体として過ごす者も居る。
殆どの場合が血液感染であり、しかし現在では未だ検査による感染症の発見を確実化できていない。
感染者が出産した場合、極めて高い確率で新生児は死に至る。急速な衰弱によって、延命処置は意味を成さない。
その中で、奇蹟とも言える割合で生き残る新生児がある。
そしてその殆どの場合で、異様な体質を持ち合わせていた。
数ヶ月で言葉を操ったり、数日で歩き出したり――成長しても人の名を覚えられなかったり、生まれながらにして髪の色、瞳の色が特異的であったりなどだ。
さらに特殊能力を操る子供も現れ始めた。
子供たちはその力を咎と呼んだ。
その力のせいで、施設から外へ出ることが叶わず、多くの友人らが実験によって死んでいったからだ。
次第に己らが罪人なのだという錯覚を覚え始める。
人はそれを利用した。幼子の弱みに付け込むように、彼らを罪人――咎人なのだと呼称し始めた。
ウイルス発生からニ年が経過し、対策本部が確立する。
その五年後、世界保健機構では対応しきれぬその状況に、派生として国際機関を新たに構築した。
――その状況でも、施設に収容しきれぬ罹患者は、未だ世界中に蔓延っている。
そもそも、その病症には特徴的な症状が見られないため、多くの場合がヒト免疫不全ウイルスと誤解される場合が多いのだ。
そんな咎人が、ペキュリアウイルスという名と共に俗世に認知されるきっかけになったのは、施設からの脱走事件だった。
十二名の咎人は人知れず街に潜み、対応に追われた警察は『生死問わず』の条件で血眼になって探したが、その多くが返り討ちにあい殺害された。
世界特異機関は、そこで判断する。同じく咎を持つものならば対応できるのではないか、と。
収容所の中で極めて従順で能力の高い者を探し出し、二名という精鋭で彼らは対峙した。
結果、半年の時間をかけて十二名の殺害を完了する。機関側は現地人である学生一人の強力を得て、咎人一人と街の半壊という犠牲を出しながらも、奇跡的に一般人に死者が出ぬまま全てを終えた。
六年前のことである。
十八年前と同様、とある島国での出来事だった。
きっかけはそんな事で、やがて世界から咎人が駆逐され始めた。
罹患者は専門の施設へ。
咎人は然るべき機関へ。
人民はその代償に報酬を得て、咎人は本当の意味で、咎人が如き扱いを受けることになる。
もはや人ではない――それでも、年ごとに出生率を増やす彼らは、為す術もなく息苦しい収容所で一生を終えていく。
◇◇◇
「世界的に見て、日本が一番発症率が高いわね。それと、咎人の割合も」
「……聞いていて、あまり気持ちの良いもんじゃねェな」
「でも現実だ。だから、同じような事件ばかり起こるんだよ」
空気はより重くなる。
作戦失敗――火群が顔をしかめた瞬間、にわかな静寂を引き裂くインターホンの呼び鈴が鳴り響いた。
電子音が頭の中に余韻を残す中、部屋の主である桐谷は立ち上がって玄関へと向かう。
鍵の解錠をしようと思っていたが、そういえば彼らが来訪してから鍵をしめていないことを思い出し――扉を開けるより早く、そのドアノブはあまりにも無遠慮に、捻られていた。
来訪者が侵入する。
少年が言葉を失ったのは、一概に、その事実だけという事ではなかった。
両手に下げる、保育園児くらいなら入る程の大きなアルミのアタッシュケースを二つ。背に担ぐ革のギターケースは大きく、その第一実験部隊序列三位の頭から長く伸びていた。
青味がかる黒髪が揺れる。腰まで長いそれに加え、前髪は眉よりやや下で切りそろえられていた。
深い赤褐色の瞳に、下がる目尻は穏やかさと強い警戒心とを混在させている。
「よく集まった。ジュン・キリヤ――お前の要望通り、支給品だ。オートマチックの銃器をひと通り用意した」
グレーのパーカーに黒のスキニーパンツといった風貌の彼女は、さらに底の厚いブーツを履いたままフローリングの上をずかずかと歩く。
間もなく、躊躇もなくゴミで散乱とするテーブルの上を、アタッシュケースでなぎ払っていた。
「なっ――」
寸前でノートパソコンを胸に抱いて回避する桐谷は、得意げに笑みを浮かべる彼女へと鋭く睨む。が、気にした様子もなく、担いでいたギターケースを床において、その床に腰掛けた。
「ここは土足厳禁だ。今まで、国外に居たのかい」
「ふん、何を躍起になっているんだ? 神経質かお前」
「違う! 常識だ!」
「潔癖症か。好かれんぞ、そんな性格ではな」
「――ま、確かに腕輪のねェ大将は性格ゲキ悪だけどな」
「キミは黙っててくれ!」
桐谷の激昂をよそに、「しかし」と瀬戸が漏らす。寝台の上であぐらをかいて、頬杖をつくように背を丸めて携帯電話を開き、桐谷との最初の通話でもそうしたように、メモリーから少女の名前を確認する。
「ニア・トロイ――名前からして胡散臭い奴だが、まさか女だったとはなァ……」
「そう言うお前は瀬戸ユウか。目立つだけ目立って実力の欠片もない、頭数を揃えるためだけの雑魚が、なんと言った?」
表情も変わらず、声色も変わらず、視線すら向けぬままニアは挑発を返した。しかし、さしもの瀬戸も叩き返さない。未知である以前に身内に牙を剥くほど、青年は落ちぶれていない――つもりだからだ。
「しかし、まるで見てきたみてェな台詞だな」
「事前に情報に目を通しておくことくらい、常識だろう? なぁ、そうじゃないのかジュン」
素なのか、挑発なのか判断しかねる言い草に、さしもの桐谷も泡を食った。
ぐ、と言葉に詰まり、諦めて彼女の正面にはならぬ位置に座る。それは彼女にあまり意識されぬようにする配慮でもあったし、そもそもニアの正面には寝台があったからだ。
「一つ訊きたい」
「……なんだァ、そりゃ流行ってんのか?」
「知るか。――ジュン……お前は本当に強いのか? 聞いたところによれば、今敵対している連中の、かつての指揮官らしいが」
「言っておきたいことがある、耳をかっぽじって良く聞いてくれたら嬉しいな」
指を一本立てて注視を促し。
敵意に満ちた視線で彼女を追いやる。
「知らないことがあったら調べてみろ。僕の経歴を、キミは本当に調べたのかい」
「……洵、くん?」
火群も彼が知り得ていることに察したのだろう。
まさかと思って、しかし彼女は遮らない。彼が本当に己のことについて知っていて、不相応にもこの場で語ろうとしているのかが気になったのだ。
「反吐が出るね」
――頭の中がカッカと熱くなる。
それに冷却水をぶっかけるように、腕輪が反応して鎮静剤を注入した。
濃縮酸素を吸い込むように細く長く、ゆっくりと少年は息を吸い込んで、
「僕の強さには裏付けがない。いや、正確には――実績がない」
「……どういう意味だ。お前は、ホープ・ウォーレスだった男だろう?」
「桐谷洵だ。キミの携帯のメモリーにはそう記してなかったかい」
「全く、要領を得ないな。なぜお前は話題を逸らす。知らんなら知らん、弱いなら弱いと言えば済む話だろうに」
勝手に怒った様子の桐谷に、ニアは呆れたように首を振った。
「訊いたことに答えろ。お前は強いのか?」
「僕自身はなんとも思ってないし、客観的に見てもよくわからないけど――少なくとも、僕は負けたことがないよ」
「そう言えばいいんだ。まったく、女々しいというか、なんというか。これだからガキは嫌いなんだよ」
「まァ、そいつにャ同意だな。まどろッこしいッたらありャしねェぜ」
かかか、と笑い、炭酸飲料を酒のように呷る。
にわかに場が弛緩しかけた、直後。
ぶぶぶ、と誰かの携帯電話が振動した。
「……何かしら」
と電話を取るのは火群。寝台の上で、布団に埋もれていたそれを取り出し、開いて耳に押し当てる。
遠くから、しわがれた声がノイズ混じりに漏れて聞こえる。それに「了解」とだけ伝えた彼女は、携帯を畳んで、一つ息を吐いた。
「まぁ、微妙な雰囲気だったから良いのかしら。彼の強さや信頼性については、アナタも実際に見てみればいいんじゃないかしら」
「……まさか」
そう、と頷いて、彼女は目を閉じ、暗唱でもするように告げた。
「緊急招集――ここからニキロ離れた市街地で、先日確認された咎人を発見。急行せよ、だって。私は準備をしてから行くから、悪いけど先に三人で行ってて貰えないかしら?」
彼女の言葉とともに、四人の手首を拘束するブレスレットは二つに裂けたかと思えば、そのまま床に落ちて軽い音を鳴らした。