3.忍者、交戦
月光が閑静な住宅地をきらびやかに照らす。
そこは幻想的でも異世界のようでもない、良い夜景にすらならぬ街区を作る路上での事だった。
奇人が二名、少年らの行く末に立ちはだかる。
巨漢の男は漆黒を纏い、布を巻きつけたような覆面は眼だけをあらわにする。忍び装束とは対称的な、碧眼の持ち主だった。
もう一人は茶色のブレザーに赤いチェック柄のプリーツスカートという、どこかで見たことがあるような制服姿の少女。金糸のような透き通る金髪は長く、半ばから縦にロール状にパーマがかかっている。ブラウンの瞳は、少年を見るなり敵意に満ちた。
「今宵は小生の相手は如何かな」
「大きく出たな、マッグ・イン! キミが僕に勝てたことがあるかい」
「笑止! ありはせんよ――貴様とは、特にな!」
腰から抜いた刃が翻り、銀光と共に切迫した。
一度、地面を蹴り飛ばしただけである。巨漢は宙を滑るようにして、即座に少年へと肉薄した。
だが距離は一定。肉体は壁にぶち当たり、動きを停めた忍者はニタリと笑った。
「ユウ! キミ、咎は?」
「ああ、二分くらい待ってくれ」
ポケットから取り出す知恵の輪。彼がそれを解いて不愉快な不快感を看破した時、無尽蔵の稲妻が迸るのだ。
時間がかかってしまうのは、その威力に対する代償と言っていいだろう。
「だったら、格好良く頼むよ」
「はン、オレが格好悪かッた時があるかよ」
「格好良かった時があるかよ」
「たはは――つッてる場合でもねェんだがな」
少女はその背から二対の触腕を出す。蛸のようにうねり吸盤を無数に貼り付けていた。見るだけでおぞましいソレは、さらに表面を粘膜か何かで覆われている。滴るほどの液体は、触腕が振り払われる度に周囲に飛び散った。
じゅう、と音を立ててコンクリートが融解するのが見える。されど無臭。煙が上がる。
やがて手掌で水を貯めるように粘液をためた触腕が四本、虚空を薙ぎ払う挙動を以て溶解液を弾き飛ばした。
忍者の拘束が解けた直後に、彼の背後から頭一つ分の液体が飛来する。
しかし、それぞれが虚空で弾ける。音もなく、反発力のある壁が肉薄を防いだのだ。
溶解液がマッグ・インという防衛ラインにも至らぬのを理解していた忍者は、同時に、再度直線的な機動を図る。
大地を駆ける。
僅かな距離だが、肉眼では捉えるのが難しいほどの速度へ達した。
「大将!」
わかってる――答える間もなく、瞬時にして少年の首を断たんとする一筋の輝きと化す刃が過ぎった。が、皮一枚すら立てずに、忍刀は首から弾かれる。
その疾さは音に近い。
傷ひとつ与えられずに背後へと送られれば、少年の後方で控えていた瀬戸へと目標が変えられる。
刃は血を求め、手元でカチャカチャと金属の摩擦音を鳴らすチンピラへと迫った。
「く、そッが!」
もう待てない――。
ぐにゃり、と知恵の輪がへし曲がる。
力任せに破壊されたそれは結局、二つに分かれる事無く――壊すことによってストレスから解放された瀬戸ユウは、半ば反則的に稲妻の奔流を吹き出した。
「な、き」
動きは止められず、切っ先は喉元に触れる。
通電。
直後に電流が迸った。弾かれた忍刀が手元から離れて吹き飛び、空気中に放電するほどの高電圧が忍者に直撃する。
言葉を失い、動きが止まる。
忍刀が宙空を舞って地面に叩きつけられた。
青年は雷の負荷によってシナプスを制御し、肉体の限界を超えた筋力で活動させた。だからその時、瀬戸ユウには、辛うじて動く身体を引きずるように逃走を選択した忍者は止まったように見えていたのだが。
拳が男を捉え、撃滅を目論んで突き出される。
忍者はそれを寸で回避した。その勢いづいた後退を利用して空へと跳び上がれば、少年の頭上を超えて少女のもとへと容易く届く。
飛来し続ける溶解液の対応に追われる少年の隣に、瀬戸はやってきた。
腰に手をやり、得意げににんまりと笑って桐谷を一瞥する。
「格好いいだろ」
「キミはいつでも格好いいよ」
「だろうな」
「――お二人さんは、随分と仲がよろしいようですわね」
ばちん、と肉が地面に叩きつけられる音がする。
気がついた時には、少女の身体は触腕によって高く飛び上がっていた。
彼女の背から一対の触腕が眼下のニ名に放出される。彼女を縦に並べて二人分はあろうかという長さにして、横にして一人分の太さを持つ触腕。月夜にぬめりと照る嫌らしいフォルム。
怖気が走る。
「ユウ」
「あいよ」
指を鳴らした。
稲光が閃いた。
後から雷鳴が轟いた。
大気を引き裂く地響きにも似た轟音の直後。
――稲妻は瞬時にその触腕を二本焼き尽くして、黒焦げになった質量のあるソレが、彼らにとって一昨日の方向に落ちて叩きつけられる。衝撃とともに粉々に砕け、ボロボロの炭と化した。
”敵”は上空である。だから少女は身動きができない。
「できるかい」
冗談交じりに少年が言った。
「どうだかなァ」
苦笑交じりに青年が答えた。
――吊り上がる口角。えげつないほどに鋭い歯牙は、その嗜虐的な笑みの象徴とも言える。
雷撃の奔流。彼女を仕留めるに充分すぎるほどの高電圧、高電流は今まさに放出されようとした瞬間。
稲妻の指向性を保たせるために頭上へと突き出した右掌に、半透明の刃が突き刺さった。
「ぐゥァ――ッ?!」
上空に飛び上がった黒い影が、怯えた少女を掻っ攫って着地する。
目を見開いているものの、現状の把握が鈍い少女――オクパス=レイドをやや離れた位置で待機させた後、再び忍者は単身で舞い戻った。
四肢には半透明の長い刃。それぞれ三本ずつあるが、しかし左腕には二本しか装着されていない。鉤爪のようなソレは、故に射出機能も備えているのだとよくわかった。
「た、大将、オレァよ、余裕ぶって見えるが、実は一杯一杯なんだな、これが」
痛みに耐えて、呼吸を乱してそう告げる。右手の鉤爪は喪失しているが、その傷口は深く、鮮血は指先から滴って彼の足元で池を作った。
額から流れ出る冷や汗は、随分前からのものである。
彼の膝が震えているのは、忍者が登場してからのことだった。
今までの攻防だって奇跡に近い――彼は自虐的に言うが、その戦闘の中で、才能の片鱗は確かにあった。
しかし、彼の判断は概ね正しい。
自分はついていけないかもしれない、と意味する苦言は、適切な状況判断によるものだ。
忍者は突如としてその着物に肉体を締め付けられていた。
否、逆である。突如として筋肉を発達させたその身体が、ぴったりとした着物のサイズを窮屈なものにしたのだ。
《強制刺激》は、忠誠を誓った主の言葉、あるいは自己判断で危険を察知した際に発現する。
強制的に相手を倒しうる段階にまで肉体を強化させるその特能体質は、相手を倒すか、己が納得するかまで止まらない。
咎と体質名は同じくして、四肢にそれぞれ射出可能である各三本の鉤爪を出現させる。硬度は鉄鋼、失われれば、再精製は物質を分解、構築することで可能となるものだった。
「小生の攻撃が貴様に通るか定かではない。だが――貴様は、それでも尚小生に勝てると信じるか?」
「さあ。だったら試してみようか」
「是。ならば――行かせてもらう……!」
男が踏み込む。大地を蹴り飛ばし、加速する。
そう認識した時にはすでに距離はゼロに極めて近かったし、男の鉤爪は不可視の障壁を切りつけていた。
思考による判断よりも早く反射神経が忍者の巨漢を跳躍させる。易々と壁を飛び越えて腕を振り下ろせば、その鉤爪は少年の頭皮を裂かんと肉薄しており――されど、それ以上は動かない。
切っ先が触れる前に、障壁は四肢を拘束した。
四肢だけだ、と判断する忍者は右腕の刃を全て射出する。だが動かない。
桐谷が後退。その間に、障壁の制限時間が切れた。
直後の刹那に閃いた雷撃は、いいタイミングで炸裂する。が、砕けるのは刃だけ。
「ゥッ、そ、だろ……ッ!?」
稲妻の速度に反応した忍者の左腕が、刃の一本を犠牲にして稲妻を弾いていたのだ。対して右腕は、目標に逃げられたがために虚空を貫いて三本の鉤爪を地面に突き刺している。
その場にふわりと着地した忍者は、その三本を分解して再構築。再び右腕に鉤爪を戻す。
拮抗――忍者に押され始めようとしているが、しかし彼は攻め切れない。事実として、その防御能力が極めて高いからである。
だがまだ分からない。
状況は、まだ”少年が防御に徹しているだけ”なのだから。
「――やれやれ」
その時。
場違いなまでに、誰かの呟きが漏れた。
嘆息気味に、まるで呆れたような落ち着き払う声調で。
「迅速な対応を感謝する――序列二位、そして四位の諸君」
苦虫を噛み潰したような苦しげな表情で立ち尽くす少年。その肩を叩いて前線に躍り出る影。
その身は、市街地用らしきグレーの野戦服に包まれていた。
「わたしは第一実験部隊――データベースの古い情報のせいで間違った序列を個人的にはあまり口にしたくはないが、五位。クランク・ジェイドとはわたしの事さ」
嫌味っぽく髪を払い、肩まで伸びた青い髪は翻る。
忍者の意識はすっかりその奇人に注がれており、また彼の危険性を完全に認識していないこの男に対する嫌悪感を、初対面ながらに少年は抱いていた。
どうせ登場するなら奇襲の一つでもかましてもらいたいものだが――。
「安心してくれ、実力だけで見れば序列一位だよ。このわたしの咎、《機構瓦解》は触れたものを強制的に捻じ曲げる。そこの忍者は、わたしが触れただけで内臓破壊されて死ぬのだよ」
「小生が? ……ふむ、そうか」
頷き、納得する。
確かに捻じ曲げられては胃だろうが腸だろうがただではすまないだろう。確かに、触れられてしまえば死んでしまう。
だが、だ。
「しかし、貴様の咎が《機構瓦解》だと? 違うな、貴様の罪は、我らの戦闘に水を差した事だ」
「少年、下がっていろ。ここはわたしに任せて――」
《強制刺激》の鉤爪が飛来する。直後、ジェイドの足元から捻り上がる地面が、その刃の腹を叩き上げるように突出していた。
白刃はくだかれ、宙空で霧散する。
「やれやれ、下品な相手だな」
肩をすくめ、男は苦笑する。
彼がゆっくりと屈みこんだ次の刹那には、忍者は男へと肉薄しており――噛み締めた歯をむき出しにするほど、マッグ・インは戦慄した。
読まれているとしか思えぬほど流麗な動作で、ジェイドが懐に潜り込んでおり。
忍者が虚空に突き出した右腕を支え、腹に添えられる。その手掌に触れられる部位が、瞬時にして捻れたのだ。
筋繊維が引き裂けて、骨が歪む。やがて内蔵が――。
「くッ」
忍者の頭の中に警鐘が響き渡る。
今生で数えるほどしか得ぬ危機を、彼は感じていた。
だから最上を尽くそうと思った。
誠心誠意、男を殺そうと、実行する。
膝から刃を噴出する。それは容易く、回避を忘れた男の胸に三つの穴を穿って貫通した。
そうして直後、咎の及ぼす効力が失せ、手遅れにならぬ負傷の後に――左腕の鉤爪で、男の首を引き裂いてから後退する。
クランク・ジェイドの身体が遠慮無く地面に叩きつけられ、肉を叩く音が響く。
彼の首はどこか行方知らぬ場所へと飛んで転がり、肉体は膨大な量の血を垂れ流してそこに血溜まりを作り出す。死体は、そこに沈んでいった。
「命拾いをしたな少年。恵まれた仲間に感謝すべきだ」
桐谷を睨んでぎらりと輝く瞳は、ほのかに炎を灯らせているように見えた。
拾い上げた忍刀を腰の鞘に戻した忍者は、傍らの少女に後を促す。
彼自身、そう口が達者なものではない。
いずれ再開し、決着を付ける時が来るのならば、様々な文句を知っている少女のほうが適当だろうと考えた。
彼の前に出る少女の背には、もう触腕はない。
腕を組み、高圧的な視線を向けるオクパスは、ゆっくりと口を開いた。
「貴方ともあろう男がこれまでとは、失望しましたわ」
「……僕がいつ、キミに期待を持たせたんだい」
「貴方が本当に貴方ならば……。あたしは、まだ忘れてない。リサも、レイクも、みんなそう。知っている、だけど――信じてないのですわ。貴方は」
「幻想だよ」
要領の得ぬ言葉の数々に、しかしそのおおよそを理解する彼は否定した。
その台詞に、彼女は少年をキッと睨む。
「偽物」
「…………」
口元が歪むのを抑えられない。
胸の奥から、言い知れぬ感情が吹き出しそうになった。
「ぼ、僕は」
「また会う時があるでしょう。またその時まで、ごきげんよう」
「そこの箒頭も中々だった。次回までに、成長を期待する」
一方的な捨て言葉を置いてから、忍者は少女を横抱きにして胸に抱きとめ、やや屈んだかと思えば、月に届かんばかりの高い跳躍。その身は間もなく宵闇の中に溶け込んだ。
少年は脱力と共に息を一杯吸い込めば、序列五位が流したままの血の臭いが鼻につく。背中が焼けるような熱風が、その場に一陣吹き抜けた。
笑うことも、泣くこともなく――印象が強烈だった筈のこの男の名前も忘れてしまった少年には、彼を弔うことも出来なかった。