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Event.1《プロジェクト、始動》

 世界特異機関は、ウイルスの研究を主体に活動している世界保健機関の派生である。異なるのは、そのウイルスが人類に対してきわめて凶悪なものであり、さらに独自に戦闘部隊を保有していることだろう。

「桐谷くん、そこのペンとって。赤お願い」

「……はい」

「手、空いてる? ごめんね、よかったらこれハート型に切り取ってもらえるかな」

「うん」

 渡されたハートの画用紙と、手の入っていないダンボール。近くに落ちているハサミを手に取り、台紙にあわせてダンボールを切断していく。

 ――桐谷洵きりやまことは半年前、光林こうりん高校に入学した。

 これまで得られなかった教養と一般常識の取得を主にする、作戦の一環だとあの男――仲吉良治なかよしりょうじが言っていた。あの鼻持ちならない上司である。

 少年は誰にともなく深く嘆息した。

 教室の中。机を黒板側に詰めたが為に空いたスペースには、細かく、あるいは妙な形で切り抜かれているダンボールが散らばっている。それぞれを数人ずつが囲む形で、洵も今正に、手渡されたハート型に抜かれたダンボールにピンクの画用紙を貼り付けようとしているところだった。

 文化祭まで残るは一週間。

 学校生活最後で、またまともに楽しめる最後の行事だということでこの三年二組は沸き立っている。

 否応無しにとっ捕まった洵は強制的に準備の手伝いを押し付けられていて、

「……呑気なものだよ、本当に」

 目の前には、先ほど仕事を頼んだ女子と並んで談笑しながら作業を進める黒髪の女性。長く艶艶しいロングヘアはさながら絹糸で、腰まで伸びるその髪を、今では後頭部の高い位置で一括りにしていた。

 自称十八歳。

 それが通用するのが、今のところ一番の驚きだった。

 ――特異機関の保有する『第一実験部隊』は、今年の四月に創設された、特能体質のうりょく持ちのみで構成された部隊である。

 その実質的なリーダーを任されたのはその女性。髪と共に、ブレザーの下の豊満で自己主張甚だしい双丘が揺れるのを、かの五年間全てを抑えこまれていた少年は見逃さない。

 まあそれは別として――少年が手際よく、己の手先も中々捨てたものではないと納得するほど綺麗なハート型が出来上がった時、ポケットの中で振動する異物を認識する。

 着信を伝える携帯電話を取り出せば、『瀬戸ユウ』からの通信――思わず身震いしながらも、少年は折りたたみのそれを広げ、耳に押し当て、通話ボタンをプッシュする。


第一実験部隊テスタメントの序列二位――ええ、と……キリヤ、だな!?』

 左手首の黒いリストバンドを軽く握ってから、小さく頷いた。

「――ああ」

 焦ったような男の声。その背後で、猛烈な爆発音が轟いた。

『頼む、援軍が必要だ。ようやく電話が繋がったのがアンタなんだ――頼む、来てくれ』

「別にいいけど」

『場所は、駅前だ。駅名は確か……』

 場所をきき、少年はなるほど腐れ縁なのかもしれないと思った。

 そこは学校の最寄り駅から二駅ほどしか離れていない場所である。

 挨拶もなく通話は途切れ、少年は小さく息を吐いてからポケットに携帯電話を押し込んだ。近くのショルダーバッグを肩にかけ、立ち上がる。

「――委員長」

 声をかけるのは文化祭委員長。

 つまりは、”テスタメント”の実質的なリーダー。二十一歳、彼女が保有する咎人ギルトとしての特能体質は、曰く『史上最大火力』。

「急で悪いけど、アルバイト先で人数が足りないらしいから応援に行くよ。だから、そういう事で」

 声をかければ、目の前の女性は振り向こうとする。だが彼女の視線が少年を捉えたのは、脇を抜けて扉へと向かうその姿だけであった。

「うん、頑張ってね」

 社交辞令に片手を掲げて答えて、少年はその場を辞す。

 桐谷が去る最中も、その後も、教室は変わらず学生独特な歓喜を主体にする喧騒ばかりを満たしていた。


     ◇◇◇


 左右に広がる道路。目の前には寂れたパチンコ屋があり、少し離れた位置にコンビニと銀行が並ぶ――こうも典型的に寂れた駅前で、少年それに感想を抱くわけもなく、欲望に駆られるままに自販機を発見した。

 財布の中身は心もとないが、しかしいくら十月も中旬とは言え、喉が乾くときは乾くのだ。

 コインを投入して世界的に愛されている赤が特徴的な炭酸飲料を購入。プルタブを開ければ、ぷしゅうと、小気味よく炭酸ガスが噴出する。

 口をつけ、飲み下し、強烈な炭酸が喉を焼きつくす感覚。強い刺激に、思わず涙が滲んだ。

「げ、ふう。旨い」

 まだ半分以上残る缶を顔の位置まで上げて感心し、

「ってェッ、言ってる場合か――ッ!」

 突如として側頭部をぶち抜く凄惨な衝撃。身体は抗えずに横に吹っ飛び、握った缶ジュースは手放されて宙空で回転する。中身を吹きこぼしながら――桐谷は地面に叩きつけられ、その荒いアスファルトの上で大根おろしさながらに身体を擦りつけて、勢いを殺す。

 まばらな通行人は少年へ冷ややかな視線を浴びせる。それを尻目にする奇襲に成功した青年は、肩で息をするように激しい息遣いを響かせながら倒れこんだ桐谷へと指をさした。

「ば、か野郎――二十分遅い!」

「来たんだから、その分感謝して欲しいんだけどな」

 短い金髪を全て逆立たせ、前髪を二房だけ下ろした髪型はチンピラの一言に尽き。

 隆々と筋肉が湧き立つ豪腕を惜しみなく見せつける黒いタンクトップに、真紅のパンツ姿は、もはや生涯で一等関わりたくない厄介そうな人種を表現していた。

 桐谷は立ち上がり、肩を竦めて苦笑する。

 傲慢の一言に尽きるその風体の男がそれほど苦戦する相手だ。自分が加わったところで、なにか変わるだろうか?

「もう襲われてんだって! つーかマジで、お前みたいなガキが序列二位なのかよ!?」

 舐めるように足元から頭の先までを見て、まず学園の制服姿に嫌悪感を示し、次に自他共に認める幼い顔立ちに、男らしいとは言い難い体つき、背丈を見て眉をしかめる。

「”腕輪”がある時点で序列も何も関係ないけどなー」

「くそ……まあいい、今はともかく猫の手も借りたいくらいだ――」

 苛立つように頭を掻きむしって、だが考えなおすように頷いて踵を返した。

「いいから来い! 時間が惜しい!」


「まあ要するに――追っていたはずが、追われていたっていうようなもんだな……」

 走る間にリュックから取り出した覆面を、少年は迷うこと無く装着した。

 これで制服姿にフェイスマスクを装備する、変質者が一人が完成する。

「何してんだ?」

 全力疾走による最高速度を維持する両者は、されど呼吸を乱す様子すら無く言葉を交わす。とは言え、現状の報告以外に声をかけられたのは、それが初めてだった。

「ああ、僕は使い捨てにはなりたくないからね。ここで生き残ってても、どこで見られてるかわかったもんじゃないし。特定されて日常生活を乱されたらヤだから」

「なんつーかなぁ……」

 呆れたように項垂れて、怒涛となって背後へと送られていく景色を視界の端に収め直す。周囲はいつしか路地に入り、たまに開けた十字路に至る塀に挟まれた一本道を走っていた。

「それで、相手はどんなの?」

「黒ずくめの銀髪野郎だ、まったく気に食わねえ事に腕輪も外されねえから――」

 塀の上で微動だにせぬ影を、少年は認めた。建物に挟まれて日差しすら無いその薄暗い路地にて、銀の髪はそれでもよく目立つ。

「……ッ!?」

 先行する瀬戸の首根っこを掴んで後ろへ勢い良く引き込む。「ぐえ」と鈍い喉が潰れたような悲鳴が聞こえたが、気にする余裕もなく彼の身体が塀に擦りつけられながら脇を倒れていくのを確認した。

 それとほぼ同時であった。

 くだを巻いた蛇のように、狙いを定めた猫のように、右手を突き出した影は勢い良くその場に飛び込んできたのだ。

 寸でである――鼻先を掠らんかという際どい距離で瀬戸は攻撃を回避し、右手は塀を、男の下肢は倒れかけた青年の腹を蹴り飛ばして彼らから距離を取る。

 ショルダーバッグに手を突っ込む少年はすかさず黒塗りの自動拳銃を引きぬいてスライドを引く。照準、発砲。

 火花が弾け、空気を吸い込めば焼けた火薬の臭いが鼻孔に突き刺さる。

 男が手のひらを薙ぐ。その動作に合わせるように、さながら彼の元へ吸い寄せられるように飛来する弾丸は亜音速を超えている。しかし、防御を目論んだその手はタイミングを合致させ――手のひらに触れた、瞬間。

 風船が爆ぜた。音質的には、それにきわめて近い。

 鉛弾は突如として内部から爆発したのだ。破片は半ば粒子じみた細やかさで男の周囲に舞い落ち、男にはもちろん、その手のひらには銃創はむろん、刺創としても火傷も傷すら残らない。

「な、なんだァッ?!」

 脇では、支えにした塀の一部がいびつに歪んでいる。分厚いコンクリートの壁の一部が、手のひら大ほどの円を描いてその中心に収束し始めたのだ。また、そう思った時には既に、その壁には綺麗に円形の穴が開いていた。

 音もなく、彼の拳銃では穴すら開かなそうなコンクリート塀に、である。

「《狂狗ディレイク》――手のひらに触れた部分を消滅させる咎だけど……どうやら、それだけじゃないらしい」

「な、中から爆発させるだけじゃねえのかよ」

「僕はむしろ、そっちを知らなかったよ」

 しかもタイムラグもない。

 五年前――あの凍土で別れた時から、随分と成長したのだろう。

 仲間として育ち、敵として散る。

 これほど悲しいことがあるだろうか――いや、ある。

 少なくとも少年の精神は、その男と対峙して一分も揺れていなかった。

「貴様――」

 低く構え、背中を丸める。垂らした両腕はゆらりと揺れて、鋭い眼光は覆面の少年を射抜いた。

「どうした、ディメン=レイク。キミの勇姿を見せてくれるんじゃないのかい」

 どちらにせよ機関のデータベースで管理されている情報の範疇だ。名前にしろ、咎にしろ、身長、反射神経その他諸々。これまでの邂逅によって幾度も彼らはそれを与えてくれた。

 もちろん、少年から得たものもある。

 桐谷洵は知っていた。己――からおよそ連中に関わる全てが抽出されていることを。

 

 十八年前――事故があった。

 とある島国の内陸にある咎人収容所の、火災事故である。しかしそれは、ずさんな管理から『咎』と呼ばれる特能体質を持つ連中に自由を垣間見せた。脱獄の、良い契機を与えたのだ。

 収容所に大穴を開けた彼らは妊婦といわず老人といわず、およそ百を超える集団がその場から逃走した。

 約三十に分かれた三つの集団。まず一つ――手初めてに八日のうちに仕留められた。国内に残留した者たちだった。

 もう一つは遅れて国外へ逃げ出そうと海路を選んだ者たちである。戦闘ヘリによる上空からの掃射でエンジンを破壊され、燃料に引火し爆破した。総数三十余名の死体が確認されたのはそれから十日後の事になる。

 最後の一つは良く粘った。彼らの足は不法入国者に混じってロシアへ向かった。陸路を長く長くたどって、遂には凍土へと行き着いた。

 三十ニ名は、二十八名に減っていた。廃村が目立つ島へ到着した頃、産気づいた一人の女が命と引き替えに出産する。

 幾度も住居を離れ転々とし、襲来する機関の戦闘部隊と、手を組む軍隊を相手にしながら彼らはやがて十三年間、その地域に留まった。

 諦めたのは五年前。

 頭首を務めていた少年が、己の命と共に責務を放棄したのだ。

 ホープ・ウォーレス――確かそんな名前の少年だったかと、桐谷洵は思い出す。


 発砲、発砲、発砲。

 幾度も火を噴く拳銃は、しかし男を捉えられない。

 狭い路地だが、壁に飛び上がり、壁を蹴って対面の塀へと移動するなど立体的に移動するレイクの動きは俊敏であり、さらにその手のひらで銃弾を破壊するのだ。

 間もなく肉薄。

 両手で構えた拳銃は地面を向くように下がっており。

 伸びた手のひらが強かに。少年の頬に平手を食らわせた。

 爆ぜるのは覆面。

 直後、男を桐谷から引き剥がすように、瀬戸の鉄拳がレイクへと襲いかかっていた。

 しかし当たらず、その寸前で舌打ちと共に後退する。連鎖するように覆面が吹き飛んだ少年はその顔をあらわにして、男はソレを見た。

 ――似ている。

 否。

 ――矢張り。

「敢えて喰らったな、貴様」

「何がだい」

「その顔を晒すために、貴様ァ!」

「そんなギャンブラーじゃないよ。《狂狗》が”一つ”しか破壊できないなんて知らなかったら、とてもできたもんじゃない」

 つまり、わざと。

 まどろっこしい言い回しと共に、少年は微笑んだ。

「まあいい。僕は贖罪の為に動いているんだ、だからキミを」

 救済する。

 彼らが、彼らなりに望んだ救いを、この手で。

 男は眉根を寄せて顔をしかめる。苦虫の毒々しい体液が口の端から垂れる臨場感があるその表情は、極めて怒気に満ちていた。

 どの面を下げて、と言いたいのだろう。

 死んだくせに、と言いたいのだろう。

 不要だと、要らぬと、もはや言葉にもならないのだろう。

 だから男は暫くの間沈黙し、長く、細く、息を吐いた。

「俺は知っている。皆知っている……」

「何を?」

「四人しか残らなかった」

「そう」

 言葉は水平線。会話にならず、投げたボールはことごとく相手の隣に落ちて転がる。

 だがそもそも、彼らにはキャッチボールなど不要なのだ。

 銃弾で、手掌で、彼らは彼らなりに、彼らだけの意思疎通を図っているのだから。

「救済だと? ふざけるのも大概にしろ、貴様」

「何をしにここに来たんだい?」

「呼ばれただけだ。俺達は、自由を取る、自分たちの手でな……邪魔はさせないぞ、貴様」

「そうか、なら――」

 発砲。しかし弾丸は、男が居た足元を穿つだけで、当たりはしない。

 レイクはただ一度の跳躍でその場から離れ、さらに塀に飛び上がったと思えばその跳躍力は尋常でなく、手も使わずにその上に着地する。

「ゲスめ。貴様の記憶に二度目の死をぶち込んでやる」

 少年が拳銃を構えるより早く、その塀伝いにレイクは駈け出した。恐ろしく速くその場から離れ――間もなく、その姿は見えなくなった。

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