2.瀬戸ユウ
背後から暴風が吹き荒れる。思わず足を止めた先に、黒煙が上がるのが見えた。正確には、少し前から見えていたものだが。
車道で、スリップしたように停まった車の横っ腹に、軽自動車が突っ込んで炎上していた。あるいは街路樹に突っ込んだトラックが横転して、それを巻き込みそうな勢いで倒れている。バイクが手前で倒れ、中央分離帯に被さるように倒れた人影は、その全身から大量の血を流していた。
地面を濡らす血液は、そう時間が経っていないらしい。
遠くの方で、こちらへやってきた車が慌てて転回して引き返す。それへと、威嚇なのか本気なのか、照準もままならぬまま短機関銃を向けて発砲する影があった。
「……爆発、どころじゃねェな」
商社やコンビニのガラスは割れに割れて、歩道には目を覆いたくなるほど、おびただしいほどの死体が転がっていた。
「とんでもない犯罪者だ。もう、咎人とか関係ないや」
軽口っぽく言う桐谷だが、口の端はひきつって、拳は堅く握られていた。
火群は沈黙を保ったままだが、しかし温度を感じさせぬ炎に包まれている。髪は深紅であり、燐光が舞った。
「ヒャハハハハァ――ッ!!」
馬鹿げた奇声が、恐らく呵々大笑という様相を呈して響き渡る。
それは極めて短気で気が荒く誰よりも正義の精神を研ぎ澄ませた、時代が時代ならば騎士や武士を志してしかるべきだろう瀬戸ユウを始め、三名の激昂を促すには充分すぎるものだった。
「爆発したのは、レイクかな」
「多分、ね。辺りに爆弾を仕掛けてたのかも」
「佐伯か。あんま良く知らない奴だったけど、惜しい奴だったな」
「本当にね。立場的には、マコトくんとそう変わらないのよ?」
「へえ、彼もかつての勇士ってわけかい」
言う間に、新田セイジの動きが止まる。
男の動きが止まった瞬間、突如として足元から焔が湧いた。巻き上がる炎は意思を持つように全身を炙り、燃やしていき――。
刹那、迸った蒼い一筋の閃光が、新田に予断を許さぬまま頭部をぶち抜いた。
地に転がる死体の数はニ八。
もとから持っていた命の数は分からないが、少なくともニ八回は死を見なければならない。
堅く握る拳の先から血が滴るのを見て、瀬戸はようやく、手のひらに食い込んだ爪先が皮膚を食い破っていることに気がついた。
同時に、鼻先に雨滴がかかる。
その冷たい感触に、だが誰一人として前を見ない。
――ぽつり、ぽつりと落ち始めた水滴は、やがて連続した掃射に似た降雨となる。霧雨から小雨、やがて豪雨になるだろう気配は、自然的に瀬戸と桐谷の視線を火群に注ぐには十分な要素だった。
「気にしないで」
一言口にし、立ち上がろうとする新田の足を”溶かす”。
だが、新田の《自己救済》は死ぬまで治り続ける。故に、本来人が感じる以上の苦しみを堪えなければならないだろう。
「私の炎は、何があっても消えないから」
火焔とは対称的な冷たい呟き。
何が起こっているのか把握しながらも、悶えて目標を探せない新田を眺めながら、歩き出した。
「大将、奴の救済はいいのかよ?」
「ええ? 救済って――もう、満たされてるんじゃないかな、彼」
たはは、と笑って、瀬戸は違いないと頷く。
「任せるけど、大丈夫?」
視線を送るのは瀬戸。
ばちり、と小気味よく弾けた電撃が返事の代わりだった。
新田セイジが恐怖に突き落とす人影は、もう無い。”もう無い”のだ。少し前まではあった――だが、手遅れだった。
遠くから響くサイレンが、一向に近づいてこないようでもどかしい。
男が立ち上がった時にはもう、桐谷と火群はサイレンの向こうへと走りだしてしまって誰もいないし、新田は新田で、瀬戸へと恨みがましい視線を向けていた。
落としていた短機関銃はしっかりと握ったままで、照準もおざなりに銃爪を絞る。
瞬間、銃口の中で爆発が起こった。爆炎に包まれて無数の部品が吹き飛び、ついでに新田の指もろとも右手が吹っ飛んだ。
暴発である。
原因は言うまでもなく、瀬戸の放電だった。
「な、なぁ瀬戸クンよ、俺たちゃ、同郷の友だろうよ? だから――」
言葉を遮り、男は眼を剥き上肢を折った。そうせざるを得なくさせたのは、瀬戸による強烈なボディーブローのお陰である。
頭を下げた先に待ち構えていたのは膝蹴り。
反動よろしく上げた顔に、痛烈な殴打が炸裂した。一度ならず二度ならず、その拳が血に染まり、男の鼻骨、頬骨、眼窩が砕けて皮膚が引き裂け、肉がぐちゃぐちゃに掻き出されて大出血するほどには、幾度も幾度も拳を振るう。
その行為に飽きはなく、嗚咽や呻きがなくなって久しい辺りで、瀬戸は腹を蹴り飛ばして男を倒した。
「なあ……ええっと――収容番号一○一よォ」
拳が痛い――皮膚が割け、骨が露出しているのを見る。同時に、迸った電撃が己の神経を麻痺させた。
「後で分かったことだがよ、てめェだけじゃねえんだな。同じ房だったつーだけで、同郷は」
再生。
肉が蠢き、皮膚が覆う。血が体内から大量に沸き上がって、喪失した血液で体内を満たす為に心臓が早鐘のように高鳴り続ける。
「あの、炎の女は、お前より強ぇんだろ? 俺はな、あいつよりつええぞ。なんたって――雨を降らす、体質だからな」
立ち上がりながら、頬を引き攣らせて笑みを作る。
ああ、お目出度いやつだ。苦笑すら無く、冷たくそう思った瀬戸は、思わず深く踏み込んで拳を穿ってしまった。
新田の言葉が途切れるのは、顎を砕かれたからだ。さらに裏拳で頬を強かに打ち付け、足払いし、転ばせる。立ち上がったばかりなのに、また転んでしまった。
反射的についた手を蹴り飛ばせば、その勢いでへし折ってしまった。妙な方向へと向く腕と、鈍い音と手応えに顔をしかめながら、倒れた新田の腹を蹴り飛ばす。
同時に、迸った雷撃が男の脳を焼ききった。
「雨男ってこたあよ、だったら……てめェ、俺には勝てねえ体質だな」
じゃんけんのようだ、と思う。
もっとも、どのみちこの男は火群にさえ勝てないのだが。
「ほざけよ、残りカスみてえな糞野郎がよ」
雷撃が、立ち上がって間もない男を殺す。
穿つ。焼く。吹き飛ばす。何度も何度も、瞬殺した。
僅か数秒で散った命は九。残りは恐らく十を下回る
二十以上の血まみれの死体は、歩道や車道に無差別に倒れ、車道では幾台かの車が爆ぜて業火と黒煙を上げている。そんな殺伐とした状況をつくりだした男は、ただひたすらに――。
――焦っていた。己の本質は誰かと共にあることであるのを、理解したその結果だった。
だからその選択をとってしまったのだ。この時点での男の選択を、もはや過ちだとは言うまい。
「な、なあ瀬戸クン。お前は、第二実験部隊っつーの、知らねえだろ。余興だ、教えてやるよ」
時間稼ぎである。
せめて万全なほどに回復さえ出来れば、逃走の選択も可能だろうと考えて。
ふむ、と頷く青年を見上げる男は、手応えを感じた。
「……聞いといてやろう。てめェがその間にどんな延命措置を思い浮かぶか待ってやっから話せよ」
考えは見抜かれている。
だが、それだけでも十分だった。瀬戸がそれに乗ってくれさえすれば、もはや裏で己を操り暗躍させた正体などどうでもいい。
そう考えていたのは新田ばかりであり、そもそも瀬戸は彼の提案に乗ってなど居なかった。蹴飛ばすつもり満々で、その近くに歩み寄っただけなのだ。
彼が考えるのは、ただ自分のこと。
なんだかんだで稲妻の放射で即死させてみたが――やはり一条の放電では”映えない”と思ったのだ。
どうせ雷速ならば、この肉体で嬲らなければ”面白くない”。
それを知らぬ新田は、余裕げにそう告げた。
「俺達が遊撃隊と呼ばれるそのワケは――」
言葉が途切れる。
立ち上がって早々、視界から消えた青年によって側頭部を殴られたからだ。
さらに、殴られただけではない。鈍器で幾度も殴られたかのように、ただ一度の拳撃が頭蓋を叩き折ったのだ。
雷撃が弾けて男の体内で放電する。稲妻が内蔵を焦がし――再生。叩き込まれた拳は生還した男に二度目の電撃を浴びせることで二度目の死をぶち込んでいた。
「てッ、聞けッ! テメエッ!」
「待っただろ、待ったんだよオレにとっちゃあ。充分聞いたよ。てめェが遅いんだ」
ワンツーパンチで二度死ぬ。よろけた顔面を膝で穿てば一度死ぬ。
ローキックで致命傷を負い、肘鉄で一度死ぬ。
迸る稲妻が再生中の肉体を蝕むことで三つ分の命を燃焼させ、男はやがて黒く焦げた血とも唾液とも付かぬ何かを吐きながら地に伏した。
残り三。
壮絶の一言に尽きる。その乱撃は、電気を負荷するからこそ反撃の余地もなく私刑を許していた。
「聞かねーよ。ならてめェはきいたか? 誰かの命乞いってのをさ」
「がっ、でめ……ぶっごぞず――」
指先から弾けた稲妻が頭部を焼く。貫いた電撃が頭蓋骨を砕いて脳を焼く。
残りニ。
「是正はしねーよ。てめェはここで死んでいけ」
「ぶっ。がぁ……こ、ころさ、ころ、ころさな、いで――お、俺は、ただ、奴の、指示で……」
鼻から、口から、耳から焦げた血が溢れ出る。再生能力が低下し、言語機能が鈍ってきている。
顔面を蹴り飛ばし、稲妻が顔面の芯を穿つ。
残り一。ここで死ねば、完全な死を得る。
地面を転がり静止した男は仰向けになり、その脇で屈みこんだ瀬戸は腰のベルトに挟んだ忍刀を抜く。冷えきる程に冴えた刀身が、濡れて鈍く輝いた。
「最後だ。お前がこの世に残す、俺すらも忘れちまうようなくだらねえ最後の戯言を聞いてやるよ」
「…………」
反応がない。焦げ臭い男の命は最後だが、しかしそれも虫の息程度の一つだ。
無いに等しい。踏みにじる価値もない、が。
それでは報われぬ命がある。ここに散った、二桁の無関係な人間たちだ。
そこに義務を感じ、瀬戸は己の存在価値を見出した。
最後に白刃は喉を掻っ切り、貫通させる。挿入された忍刀に電撃を放てば、伝導して男の肉体を焼き尽くしていった――。
新田セイジはそこで死んだ。収容番号一○一は、結局彼にそうとしか呼ばれること無く散っていった。
「さて。大将は、と」
前を向こうとして、背後に気配を覚える。
振り返れば、背から四本のうねる何かを生やす矮躯があった。
「本当……罪、ですわね」
少女が零す。
瀬戸は思わず苦笑した。
「罪な女ですわ。あの……なんて言ったかしら。後ろで、戦っていた女の子」
「さあ。オレは覚えられなかったが――それで、アンタはどうするんだ?」
「あの娘を止めますわ。これほど無意味な戦いはありはしない――」