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5.溶ける、穿つ

 横っ腹の傷が塞がった。

 代わりに、左半身に展開されていた装甲は半分以上を喪失していて――それを再構築するためには、もう暫くの体力回復を図らねばならなかった。

 しかし、ニア・トロイは諦観を孕む嘆息を禁じ得ない。

 己を悩ませる種が、また現れたのを知ったからだ。

「あら、処分されたんじゃなかったかしら」

 男が去った扉の向こう側から、改めて新しい人物が出現する。

 少年――桐谷洵と同じ学校の制服を纏う少女は、派手な金髪にパーマをあてて、半ばからロール状に巻いている。

 背には触腕。ぬめる二対の豪腕が如き、吸盤のついた蛸の足。

 《奇襲蛸腕レイド・ジョイント》はオクパス=レイドにとっての特殊な副椀マニュピレーターにして、溶解液を吐き出す便利な武器である。

 対するニア・トロイ。

 《適応人格》が持つもう一つの咎は、《精製素子レフィニクション》。物質を他のものへと無秩序に変容させられる能力は、半身を覆っていた装甲を横っ腹の傷を塞ぐための血肉に変えられた。

 ついでに火薬と薬莢を作り、彼女の後ろに転がる弾丸を再生する。――つまりは、そういった”癒合”させる咎であり、彼女は6.5mmの弾丸という、恐らくあの男の手がかりとなりそうなヒントを得た。

 桐谷洵なら知っているだろう、と思ったところにこれだ。

 やってられない。さすがに、剣しか無い状態で彼女と対峙するのは避けたかった。

「処分しきれなかったと踏んだから、この場に居るのでは」

「減らず口ですわね」

「減るほどしゃべってもないのですが」

「やかましいですわっ!」

 初対面である。

 肝が据わっているつもりもなかったが、しかし体力消耗による現実感の希薄さが、トロイに大胆な挑発をさせていた。

 しかし、彼女がどういった戦い方をするかは知っている。

 ――空間に光が瞬く。

 頭上の水銀灯が割れんばかりに眩く輝きだして、しばらくして大地が震える轟音が響く。

 両者ともに壁に寄りかかるように身体を支えてから、振動が、照明が安定するのを確認した。

「で、電気系統が復活するとは、思いませんでしたわ」

 復活ではない。

 それはおよそ、既に人知を超えた放電現象によって強制的に介入した電撃が、水銀灯へと通電して作動しているにすぎないのだ。

 それを察するトロイだったが、しかし彼女でもさすがに信じ切れない。突如として、これほどまでの成長が可能なのか、と思う。

 思いながら――剣を構える。

 腕が震えた。正眼に、両腕を身に引き付けるようにして、柄を腰のベルトに乗せてみるが、そもそもそれで防げるレベルの疲労ではなかった。

「……わざとかしら? 同情でもして欲しい?」

 そう看破されるほどの震え。

 《精製素子》による影響もそうだが、それ以前に致命傷たる切創と多量出血が原因だ。咎で作った部品を身体に押し込んで癒合したものの、それもまだ完全に繋がったとも言い切れない。

 つまりは、未だ死にかけていた。

「可愛い顔をしていらっしゃるから、悲壮感に満ちたその表情はいい具合ですわ。臆病、なんですのね」

「慎重ですよ。そもそも時代遅れな縦ロールって、少女漫画でも読んできたんですか」

「程度の低い挑発……お里が知れますわ」

「あら、それは――」

 同郷の妹分を相手にしてその台詞は、同時に自分を貶めることになるのだが。

 もっとも、そういった情報でしか知らないのだから実感はないのだが、しかし情報として残っている時点でそれは事実なのだろう。

 だから彼女は精一杯人を小馬鹿にするように顎を上げ、見下ろすようにレイドを眺めた。

「私はWSO秩候ちっこう研究所の出身なのですが」

 つまりはここ。

 知る限りでは今回相手にしている逃走者は皆そうだし、”偶然にも”桐谷も、瀬戸も、同じくここだった。

「う、うるさいですわねっ!」

 トロイの言葉に、ぐっと詰まるようにレイドは唸る。まるで、というか事実その通りなのだが、揚げ足を取られて分が悪くなったのをすぐさま覆せない現状に、彼女は敗北をにわかに覚えてしまったのだ。

 不注意で、だが持ちうる情報の差が原因だったが、しかし彼女はそれも許せない。

 激昂は、瞬く間にオクパス=レイドの短気な性格に炎を灯した。

 バチン、と弾けた音がしたのは振るわれる二本の触手がレイドの前方の床に叩きつけられたからであり、

「……ッ!」

 直ぐに床へと屈みこむ。

 直後、壁を撫でるように伸びた触腕が、頭上スレスレを通過した――真横をすれ違ったレイドは、嗜虐的な笑みで表情を歪ませてトロイと視線を交差させた。

 瞳が潤む。

 思わず頬を流れた一筋の涙を、少女は手の甲で拭って立ち上がる。

 悲しいのではない。

 悔しいのではない。

 鼻がネジ曲がりそうな溶解液の腐臭が、目に染みたのだ。

 奥歯を噛み締めれば、ぎりりと軋む音がする。絶えず乱れる呼吸のせいで、歯の隙間から空気を行き来し、嗚咽が漏れる。腐臭がひどかった。

 そうして前を向く。次の瞬間に認識した飛来物は、半透明の歪む球体は溶解液であった。

 咄嗟に頭を下げて通路中央へと身を転がす。直後、壁に当って弾けたそれが数滴、トロイの総身に触れ、溶かす。

 燃えるような痛みを噛み殺し、胸いっぱいに息を吸い込んで立ち上がる。

 対峙。通路の中心にて、両者は直線上に結ばれる。

 彼女の構えは正眼より高く、刃は天井よりやや後ろの空間を眺めた。

 大上段の構えは、彼女がレイドに適応した力を遺憾無く発揮するためのものであるが、しかしそれを知らぬレイドは、トロイによる賭けなのだと断ずる。

 だから、良いだろうと思った。口角が釣り上がり、鋭い歯牙が口唇から覗く。

 ――たった一度だけでもいい。

 不利だから負けた。そんな世迷言は吐きたくないから――。

 ばちん、と触腕がレイドの背から伸びて両壁を叩いた。掴んで、矮躯を浮かび上がらせ、弾く。

 飛来。

 遅れて、コンクリートの壁が軋む音がする。小さな欠片が散って、壁に放射状の亀裂が走っているのが確認できた。

 超重量の舵。残った一対の触腕が床を叩く。壁を蹴る。

 蛸が水中を泳ぐような加速。瀑布のような旋風を巻き起こして迫る速度は音の壁を垣間見る。

 少女の剣は、既に振り落とされており――。

 触れる。

 交わる。

 手応え――。

「だぁっ!」

 決起の咆哮。

 宙空に回転しながら舞った巨躯は切断された。しかしその瞬間、うねり、よじり、身に触れた。

 衝撃が直接腹に叩き込まれる。剣を振り落とした姿勢のままだったトロイは、さらに胸から顔に殴打を受けて、通路を直線に吹っ飛んだ。

 手放された剣が床に叩きつけられ、重い金属音を鳴らす。

 容赦なく床に叩きつけられた少女の、その上に乗る巨大な触腕は、凄まじい速度で腐食し、液体化した。

「はっ、はぁ……まさか、断つとは思いませんでしたわ」

 着地し、振り返る。

 やや手前で横たわる少女の皮膚は、赤々とした肉を見せていた。肌は一様に溶かされていて、顔も同様、見るに堪えない。

 恐らくは眼球にも溶解液が侵入したのだろう。言葉にならぬ嗚咽を漏らし、その焼けるような激痛のせいで触れるに触れられず、顔の前で止まる腕は、為す術もなく力が入る。

 しかし、こんなものなのか、とレイドは思う。

 侮ったわけではない。先の一閃は、直撃すれば上肢下肢を両断した一撃に違いない。

 だが、当てなかった。

「……どうして、あたしに当てなかったのです?」

 疑問でしかない。

 あの時点で触腕を両断できたのだ。無防備であるレイドなど、さらに容易いはずである。

「貴方は……うっ――ひ、人を、ころした、事が、あ、あります、か?」

「何人も、もう、数えられないくらい」

「わ、私は、まだ無いんですよ」

 瞳から溢れる涙が染みる。

 苦しい、息をするのすら、苦労でしか無い。

「まだ、殺したくない。こんな成り行きで散らせる命なんて、無い。私だって、そうなんですよ。成り行きだからって、貴方に、殺されたくない、だから」

「人の嫌がる事をしない、ですか? 正気?」

「じょっ、冗談を言えるほど、余裕があればいいのですが」

「そんな甘ちゃんが、良くこの世界に――」


 ひときわ目立つ雷鳴が、空間を歪めるほどに響き渡る。

 視界が揺れて、焦点が定まらない。轟音は、思わずたたらを踏む程の衝撃を孕んでいた。

 水銀灯が、割れてしまうのではないかと言うほどに輝き、ガラスを震わせて――。

 レイドは見る。

 足音すら鳴らさず、床から少しだけ高い虚空を歩いてくる影を。


「ホープ、くん」

 徒手のまま、落ち着いた足取りでトロイの脇に降り立つ。

 着地音と気配、その呼び声で、ようやく彼女は桐谷の存在を察した。

「あの、身体を、ひっくり返してもらえますか? 身体、治しますから」

「うん」

 屈んで、肩と腰に触れて転がすようにうつ伏せにする。

「これでいいかい?」

「ありがとうございます」

 さて、と。

 少年は彼女を越えてレイドと対峙した。

「ホープくん」

「レイドさん。今日は、落ち着いて僕の話を聞いてくれるかい」

「ホープくん!」

「桐谷洵だ」

「……え?」

「僕は桐谷洵だ。残酷なようだけどね、僕はアナタを慰めるつもりでここに来たわけじゃないんだ」

 呼び声に反応しない。一方的な話し合いかと思われたが、しかしその拒絶を見て、思わず総身に粟立つ。

 やはり、と思った。

「偽物、なんですの?」

「偽物でもない、ホープ・ウォーレスでもない。僕は桐谷洵だ」

 同じ容姿で、同じ声で、同じ言葉遣いで、同じ思考を持つその男が、どうして偽物でないと断ぜる?

 否――彼女は悟った。

 少年の鋭い眼差しと。

 偽物の意味を。

「貴方は、キリヤマコトなのですわね」

 少年は何も偽っていない。

 最もホープ・ウォーレスに近い男で、最もホープ・ウォーレスとは遠い人物。

 だから他者は、ホープの偽物だと決め付ける。彼はただ、その外見と中身を強制的に与えられただけなのに。

「うん。でも、君たちに納得出来ないところがあるのは知ってるし、僕が同じ立場なら、僕をホープ・ウォーレスにしたいと思うよ。だからそのままでいい、この際贋作真作の差異はいい」

「……違うんですのよ、マコト、あたしは、もう」

 理解した。

 口にしようとした瞬間だった。

「え……?」

 後頭部に冷え冴え渡る鋭い感触。

 同時に、桐谷も目を見開いて動きを止めていた。

「君を、救済する!」

 背後で殺意が迸る。

 彼女は覚悟した。死を垣間見ようとして――発砲音が響き渡る。衝撃は、

「くそぉっ!」

 だが、触れたまま動かぬ刃と共に、虚仮威しとなっていた。

 桐谷が腕を伸ばして少女の肩を掴んで引き下げる。入れ替わるようにレイドの立ち位置に移動した少年は、だがしかし、その頬を強かに殴り飛ばされていた。

 よろけたところで、腹を蹴り飛ばされる。桐谷は障壁も何もなく、壁に背を打ち付けた。

 男は銃口から落ちた弾丸をそのままに、銃を構えた男が新たな弾丸を装填する。

 ――発砲。

 弾けた皮膚が多量の血を伴って周囲に飛び散り。

 頭蓋が砕け。

 脳が壊れる。

「やれやれ」

 男のつぶやきは、頭を穿たれたレイドが倒れた直後に吐き出されたソレだった。

 床に鮮血が溜まる。

 治癒に徹するトロイでさえ、状況を察するには十分すぎる緊迫だった。

「よくも」

 無念の他無い思いは、随時胸の奥底から湧き出る燃えるような怒りに変えられて血と共に全身へと巡っていった。

 涙は出ない。ただ、残念だと、それだけ思う自分は意外だったが――記憶はあっても、彼女らと過ごした経験はない。その違いが涙腺を強く締めているのだと、理解した。

 確かに、資料を見て、事件を理解して、だが涙を流せるものではない。その悲しみや苦しみを推し量ることはできるが、真意や悲哀は、当事者でしか知り得ない。

 同じ事、だったが。

 ――許せるものか。

 少年の、少年として構成する激烈な正義感は、激昂となって目の前の男へと滾っていた。

「あなたは……よくも!」

 リッシュ=デモ・リッシュ。

 人形の髪のように鮮やかな金髪は、後ろで一括りに結われている。

 寝不足のように、目の下に深いくまを作る痩躯の男は、さらに少年をやや見下ろすような長身。

 壮年と言うほどではない、いくらかくたびれた容姿は、それでもまだ若々しいものだった。

「冴えたか、ホープ・ウォーレスのニセモノさんよ」

「違うな、僕を知っているだろう、あなたは。複製体第二号――桐谷洵。僕は、そうである筈だ!」

「ほう、冴えているな。そうさ、わたしは複製体ではなく、オリジナルのリッシュ。説明やごまかしの手間が省けて助かる」

 にやけ面の男。声に抑揚はなく、小馬鹿にしたような口ぶりだった。

 改めて、とわざとらしく口の端を吊り上げて、しかし眼は据わったまま少年に焦点を合わせる。

「初めましてだな、桐谷洵。あんたを測らせてもらう」 

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