納得いかん!!
AI判定70%
「なんでやねん」
俺は画面を見ながら唸った。
AI執筆チェッカーの結果。【人間執筆率70%、AI生成率30%】。
いや、全部俺が書いとるんやけど。誤字チェックでAIに通しただけで、文章は一字一句、俺が書いた。なのに30%は「AIっぽい」と判定される。
納得いかんから、知り合いの編集者にチャットで聞いてみた。
「あー、それよくある話ですよ」と編集者は言った。「文章が整いすぎてるんだと思います」
「整いすぎ?」
「起承転結がきれいすぎる、説明が丁寧すぎる、伏線の張り方が論理的すぎる。そういう文章、AIは得意なんです。なので人間が書いても『AIっぽい』判定が出る」
「じゃあ、めちゃくちゃに書いたらどうなるんや」
「人間率上がりますよ。誤字も多くて、文体もブレてて、説明不足で、論理が飛んでて。そういうのはAIが今のところ苦手なんで」
俺はしばらく黙った。
「……つまり、整った文章を書くほど機械に近づいて、めちゃくちゃに書くほど人間らしくなるってことか」
「まあ、そうとも言えますね」
俺は腕を組んで、画面の前で考え込んだ。
じゃあ仮に、めちゃくちゃに書いたとする。
文体がブレる。一文目は丁寧語、二文目は急にタメ口。説明を全部省く。【その後、彼は驚いた】何にどう驚いたかは書かない。読者が想像してくれ。伏線? 張らない。回収もしない。後半でいきなり新キャラが出てきて、特に意味もなく退場する。
たしかにAI判定は「人間率90%」とか出るやろう。
でも、それを読んだ人間はどう思うか。
「……何が言いたいんやこれ」やろうな。
「内容、無いよう」やん。
俺はため息をついた。
昔、ある作家が言っていた言葉を思い出した。「文章が下手なことと、文章が雑なことは違う」。
今のAI判定基準で言えば、「下手」が「人間らしい」になって、「丁寧」が「機械らしい」になる。
これ、本末転倒やないか。
俺は本来、十年以上小説を書いてきた。最初は本当に下手やった。説明過剰で、文章もガタガタで、伏線も適当やった。それを少しずつ直して、整えて、今の文章になった。
その「整えた結果」が、今は「AIっぽい」と言われる。
努力して上手くなった結果が、機械に近いと判定される世界。
なんか、おかしくないか。
俺はスマホを置いて、コーヒーを飲んだ。
考えれば考えるほど、ややこしい話やった。
AIに小説を書かせると、確かに「綺麗すぎる」文章が出てくる。整いすぎて、逆に味がない。プロットは丁寧やけど、人間くさい矛盾や歪みがない。
でも一方で、人間が長年かけて「丁寧に書く技術」を磨いてきた結果も、同じ「綺麗すぎる」に分類される。
判定機は、原因の違いを見ていない。結果の形だけを見ている。
手作りのパンも、機械で作ったパンも、どっちも丸くて綺麗な形だったら「機械製」と判定される、みたいな話だ。
「結局どうすればええんや」
俺は誰に向けて言うでもなく、独り言を呟いた。
答えは、たぶんこうやろう。
AI判定なんか、気にせんでいい。
読者は判定パーセンテージを読むわけじゃない。物語を読むんや。
整った文章でも、その奥に書き手の体温があれば、それは人間の文章や。AIには書けない「この一文を選んだ理由」が、たとえ説明されてなくても、文章の隙間に残る。判定機にはそれが見えない。見えるのは表面の整い方だけや。
逆にめちゃくちゃに書いて「人間率90%」を取っても、内容が空っぽなら、読者は途中で読むのをやめる。判定機は満足するけど、人間は満足しない。
どっちを向いて書くんや、という話に行き着く。
判定機を満足させたいのか。
読者を満足させたいのか。
俺は画面を閉じて、原稿ファイルを開いた。
70%人間、30%AI。
別にいいやないか、と思った。
誤字チェックで通したのも、整った文章を書く技術を磨いてきたのも、全部、俺の選択や。それを「機械っぽい」と言われたところで、書いたのは俺やし、選んだのも俺や。
文章が下手になることで「人間らしさ」を証明する必要なんか、どこにもない。
俺はキーボードに手を置いた。
次の一文を、また丁寧に書き始めた。
AIっぽいと言われても、知らんわ。
これは、俺が書いた話や。
完




