野球星人が攻めてきた——つまり俺が9人になれば全部解決だ
『野球星人VS野球星人』
死因は、たぶん野球だった。
いや、厳密には違う。会社帰り、スマホで延長十二回の中継を見ながら横断歩道を渡って、赤信号を見落としてトラックに撥ねられた。野球に殺されたと言い張るには少し無理がある。
だが、最期に見ていたのは二死満塁一打サヨナラのチャンス。フルカウントで画面に釘付けだったのは事実だ。俺の魂があの世で「筋金入りの野球好き」と判定されたとしても文句はない。
次に目を開いた時。白い空間で女神に会った。
『野球を愛したあなたに、次の人生を授けましょう』
「……喜ぶ場面?」
『もちろん』
女神は両手を目一杯広げて言った。
『次の人生では、あなたの望みを反映し、最高の舞台を用意しましょう。アメリカ。投打二刀流の才能。そして転生特典に——分身のスキルを授けましょう』
「何も望んでませんが」
『貴方の深層心理もばっちり解明です! 同時に複数の自分を生み出せます。意思は共有、感覚も共有。解除も自由。ただし、本体が死ねば終わりです』
「それ、野球に使ったらまずくないですか」
『まずいですね』
「じゃあ何でくれるんですか」
『片方が投げて片方が打つとか出来て楽しそうじゃないですか』
雑な神だった。
◇ ◇ ◇
そうして俺は転生し、二十数年後、ロサンゼルス・オカルス所属の一番・投手兼指名打者の獅子王御獅子として大歓声の中に立っていた。
身長191センチ、球速101マイル、スプリットは地面に潜り、スイーパーは国境を越える。打てば打球速度も101マイル超、守れば外野も一塁もこなせる。しかも転生特典の分身つき。
もっとも、分身は試合では使っていない。
使えるわけがない。ルール違反は神聖な野球への冒涜だ。マウンド上に投手が二人いたら即退場だし、打席で三人に増えたらルール以前にホラーだ。
とはいえ、日常ではばっちり使っていた。というか、今さらこれ無しでは生きていけない。 英会話の勉強をしながら筋トレし、もう一人で睡眠を取り、さらに別の一人で相手投手の映像を見る。その間に投手の俺は打者の俺の苦手コースを攻め続ける。
投げる俺、受ける俺、打つ俺、トスする俺、スイングを動画で撮る俺、フォームにダメ出しする俺。練習効率が狂っていた。二刀流どころの話じゃない。九刀流だった。
ただし、使用後の疲労は本体に全部戻る。本当に全部戻る。初日に調子に乗って九人フル稼働させたら、俺は倒れ、三日間寝込んだ。目覚めたベッドの上で点滴を受けながら思った。 これは神のギフトなんかじゃない。野球に対する異常な情熱を持つ者にだけ許された、自傷行為の一種だ。けれど、不思議と辞めたいとは思わなかった。
まずは、フィジカルを鍛えた。その後は栄養効率を考えた食事。十分な睡眠。全ては野球のためだ。
その結果、俺は二十八歳でリーグMVPを四度、サイ・ヤング賞を二度、ホームラン王を三度獲った。メディアは「史上最強の野球星人」と騒ぎ、アメリカの実況は"Monster from another world"と叫んだ。
皮肉にも、その表現は半分当たっていた。
◇ ◇ ◇
本当に"別の世界の連中"が来たのは、ワールドシリーズ第三戦の七回裏が終わったときだった。
相手はトロント・バケルス。満員の本拠地。俺はここまで打っては四打数四安打三本塁打八打点、投げては七回無失点11奪三振。八回も行くつもりでグラブに手を伸ばした、そのとき。
空が割れた。
比喩じゃない。スタジアム上空の夜空が、ファスナーみたいに一直線に裂けた。裂け目の向こうに、回転する白い球体が無数に見えた。最初は月かと思ったが、違う。縫い目があった。全部、野球ボールだった。
観客がざわめき、スマホを掲げ、実況席が沈黙した。
次の瞬間、球体の群れが降ってきた。だが地面に当たる前に外殻が割れ、中から人型の何かが現れた。白い皮膚。赤い縫い目状の筋。頭部はヘルメットのように滑らかで、目だけが黒い。
タコの頭部に野球ボールがついたみたいだ。
センター守備についていたアーロンが一番近くに落ちた一体を見て、ぽかんと口を開けた。
そいつは無音で一歩踏み込み、投球フォームから光る球を投げた。超剛速球だ。
ライトのジェームスが反射的にグラブを出した。捕れなかった。ミットごと十メートルほど押し戻され、フェンスにぶつかって尻もちをついた。
「俺のミット溶けてんだけど!?」
ジェームスが叫ぶ。ミットの革が端から焦げていた。本人は無傷だが、腰が抜けて立てない。
タコは内野にも外野にも次々着地し、周囲を制圧し始めた。やり方は全部同じだった。超剛速球をぶつける。当たったら吹っ飛ぶ。警備員は次々ノックアウトされていくが、どうやら死人は出ていない。
全員、デッドボールの延長線みたいな被害だった。野球のルール内でしか暴力を振るえないのか、あるいは振るわないのか。どちらにしても、やることが野球すぎる。
大型ビジョンが砂嵐に変わる。照明が明滅する。上空に浮かんだ最大の機体——巨大野球ボールとしか言いようのない母艦の表面に、文字が浮かび上がった。と、同時に世界に気味の悪い声が響き渡る。
『我々は野球星人。宇宙野球連盟東方辺境支部所属。貴様らの星は本日より我が支配地とする』
世界中が凍った。
『ただし、野球文明を有する惑星には慣例として挑戦権を与える。九回制、一試合勝負。勝てば撤退、負ければ地球は野球星領土となる。なお、敗北した場合——貴星における全球技を野球に統一する。サッカーも、バスケットボールも、テニスも、カーリングも、全て野球に置き換える。ゴルフは……まあ、ゴルフはそのままでいい。あれは我々にもよくわからん』
地球の危機にしては、だいぶ野球寄りの脅迫文だった。ゴルフだけ見逃されるのも意味がわからない。
俺はマウンドで、ひとつ息を吐いた。
「みんな、ベンチに下がれ」
捕手のロナウドが叫ぶ。「レオ、何する気だ!」
レオというのは俺のニックネーム。
たぶんの本名よりみんなこっちで俺を認識している。
「監督を……いや、全員ベンチに縛り付けておけ」
「相手は宇宙人だぞ!」
「だからだよ。俺を出すことが最善の選択肢だ」
胸の奥で、転生のときの女神の声が蘇る。
——面白そうだからです。
このためかよ、と思った。
俺は分身を最大出力で展開した。
視界が裂ける。感覚が増殖する。ひとりだったはずの俺が、二人、四人、八人、九人と増えていく。全員がオカルスのユニフォームを着た、同じ顔、同じ背番号十七。
ベンチのルカが腰を抜かした。監督がタバコを落とした。禁煙のはずの球場でいつ吸っていたんだ。
九人の俺が守備位置に散る。
ピッチャー俺、キャッチャー俺、ファースト俺、セカンド俺、ショート俺、サード俺、レフト、センター、ライト俺。
スコアボードに名前が並ぶ。
1 獅子王 CF 2 獅子王 2B 3 獅子王 P 4 獅子王 1B 5 獅子王 LF 6 獅子王 3B 7 獅子王 SS 8 獅子王 RF 9 獅子王 C
電光掲示板のオペレーターが正気を疑われるだろうが、事実なので仕方がない。
アメリカの実況が引きつった声で叫ぶ。
"Ladies and gentlemen... all nine players on the field are Leo Shishioh."
衛生中継も混乱していた。
「えー……守備は全ポジション獅子王選手です。繰り返します、全ポジション獅子王選手です。解説の渡邊さん、これは……」
「いや、私に振られても」
観客席の誰かが叫んだ。「レオが九人いるぞ!」「ナインじゃなくてワンだろ!」「いやナインだよ、数えろ!」
野球星人の指揮官らしき一体が、黒い目をこちらに向けた。
【一個体で九体か。効率的だ】
タコに褒められても嬉しくない。
◇ ◇ ◇
ゲーム開始。
地球選抜——というか俺が後攻。まず野球星人の攻撃を抑えなければならない。
ピッチャーの俺がマウンドに上がる。キャッチャーの俺がサインを出す。
両方俺なのでサインの意味がない。だが、形式は大事だ。野球とはそういうスポーツだ。
初球。101マイルのフォーシーム、インコース高め。
一番打者の他タコは、バットに似た魚雷型の棒を振った。
打球が消えた。
いや、消えたんじゃない。速すぎて見えなかった。轟音がして、バックスクリーンの上、遥か上空の母艦に着弾した。母艦がわずかに揺れた。
場内アナウンスが流れる。ホームラン。
打球が自軍の母艦を直撃しているのに、タコたちは気にしていなかった。文化が違う。
その後も打たれた。二番にもホームラン。三番にはセンター前ヒット——センターの俺が捕ろうとダイブしたが、打球がグラブを貫通した。物理的に。革に穴が開いた。ジェームスの気持ちがわかった。
三回表を終えて、7対0。絶望的な点差だった。
だが、ここで俺は気づいた。
九つの脳で同時に解析していた。奴らの打撃データを。
三回で47球。全スイングの軌道を九つの視点から同時記録。人間には不可能な並列解析。そして見えた。奴らのスイング軌道はピッチクロックと同じリズムで一定間隔をおいて始動する。そしてゾーンの上限が、地球基準より約三インチ高い。
つまり低めに落ちる球に弱い。
四回表。俺はスプリットを軸に組み立てた。落ちる、落ちる、ひたすら落ちる。ボースリアンのバットが空を切り始めた。三者連続三振。
奴らの指揮官が首をかしげた。首があるのかは不明だが、頭部が傾いた。
【重力方向への変化球だと……? 我々の星は重力が均一だ。こんな動きは存在しない】
宇宙に変化球がないことが判明した瞬間だった。
スプリットが宇宙規模の新魔球になるとは、さすがの女神も想定外だろう。
◇ ◇ ◇
反撃は四回裏から始まった。
先頭打者——一番の俺。いつもの定位置はやはり格別だ。
タコ投手が投げた第一球。計測は——表示不能。球速計が壊れた。映像を後から解析したら、推定二百七十マイルだったらしい。時速約430キロ。もはや兵器だ。
だが、打席の俺は笑った。
九つの脳で見ている。十八つの目で追っている。一人では無理でも、仲間が九人集まれば——見える。遅くはないが、見える。軌道が読める。
二球目。真ん中高め——いや落ちる。リリース時にボールが引っかかった瞬間を俺は見逃さなかった。
振った。体勢を崩され片膝をつく。バットが折れた。だが打球は飛んだ。折れたバットの先端と一緒にセンター方向へ飛び、フェンスを越えた。
ソロホームラン。7対1。
「あと六点」
六回裏。七番の俺がタイムリー二塁打。7対5。
七回裏。三番の俺——つまりピッチャーの俺が打席に立ち、フルカウントからスタンドへ運んだ。ツーランホームラン。7対7。同点。
打った瞬間、腕の筋肉が三本ほど悲鳴を上げた。分身の疲労が蓄積している。あと何回もたない。
八回。双方無得点。投手の俺はもうフォーシームが九十マイルまで落ちていた。変化球だけで凌ぐ。スプリット、スプリット、スプリット。宇宙人相手に地球の重力を武器にする。考えてみればこの上なく野球らしい話だ。
九回表。最後の守り。
先頭打者にヒットを打たれた。続く打者はバント——ボースリアンにもバントという概念があることに軽く感動しつつ、ピッチャーの俺が飛びつく。一塁送球。セーフ。内野安打。一死一、二塁。
次の打者。フルカウント。スプリットを投げた。が、腕が言うことを聞かない。球が落ちきらない。
打たれた。
痛烈なライナーがショートの頭上を越えようとした瞬間、レフトの俺がダイビングキャッチ。二死。
だが、走者がタッチアップで三塁を蹴った。レフトからバックホーム。キャッチャーの俺がブロック態勢——。
衝突。
タコ走者は百三十キロくらいある。激突の衝撃で視界が白くなった。九人全員がよろめく。
だが——ボールは、ミットの中にあった。
「タッチアウト! スリーアウトチェンジ!」
球場が揺れた。歓声なのか悲鳴なのかわからない音が満ちた。
◇ ◇ ◇
九回裏。最後の攻撃。7対7の同点。
九人の俺は、もう全員限界だった。立っているのがやっとだ。分身を維持するだけで意識が削れていく。
先頭の七番・俺は四球。八番・俺。センター前ヒット。チームを鼓舞する。
九番・俺。ボテボテのゴロ。無様にコケながら一塁へ滑り込む——セーフ。
二死満塁。
一番の俺が打席に入る。バットが重い。二百七十マイルの剛速球が来る。体がもう動かないかもしれない。
初球。インコース。見送り。ストライク。
二球目。アウトコース。見送り。ボール。
三球目。真ん中低め——体が反応する前に、ミットに収まる音がした。ストライクツー。追い込まれた。
四球目。外角高めのボール球。振らなかった。辛うじて。
五球目。カットしてファール。
六球目。際どい所。ABSチャレンジ成功でボール。
チャレンジを要求しても、野球星人は何も言わなかった。律儀な侵略者だ。
フルカウント。
タコ投手が振りかぶる。この瞬間、九人をひとつに束ねた。分身を消す。残ったのは本体と、塁上の幻みたいにぼんやり残る残像だけ。
全エネルギーを、この一振りに。
前世の記憶が駆け巡る。スマホの画面。二死満塁。フルカウント。あの時見届けられなかった一球。あの中継の結末を、俺は知らない。サヨナラだったのか。凡退だったのか。
でも今は、自分で振れる。
二百七十マイルの直球が来た。
見えた。
振った。
バットが粉砕した。
握っていたのはグリップだけだった。だが、ボールは飛んでいた。
打球はレフトスタンドへ——いや、スタンドを越えた。駐車場を越えた。高速道路を越えた。
後日NUSAが発表したところによると、このボールは成層圏を突破し、静止軌道上で回転しながら地球を周回しているという。人工衛星になった。GPS上の名称は「SHISHIOH-1」。
サヨナラホームラン。
グリップだけ握ってダイヤモンドを一周した。一塁を踏み、二塁を回り、三塁コーチャーズボックスには誰もいなかった。当たり前だ。コーチは俺じゃない。
ホームを踏んだ瞬間、分身が全て消えた。膝から崩れる。芝生の匂いが鼻孔を満たした。
スコアボード。7対11。
全世界で推定五十二億人が視聴していたこの試合の最終スコアは、こうしてたった一人の獅子王御獅子の手——正確には九人の獅子王御獅子——によって確定した。
◇ ◇ ◇
タコ指揮官が歩み寄ってきた。
【見事だ。撤退しよう】
「あ、はい。どうも」
燃え尽きすぎて気の利いたことが言えなかった。
【ひとつ聞きたい。貴様は何者だ】
「……野球が好きなだけの男さ」
指揮官の黒い目がわずかに細まった。表情があるのか知らないが、たぶん笑ったのだと思う。
【また来る】
「来るな」
【来年の同じ日でいいだろうか。次は五番打者を強化してくる】
「だから来るなって」
母艦が浮上し、夜空の裂け目に吸い込まれていった。裂け目が閉じると、ただの星空が戻った。
球場に残ったのは、穴の開いたグラブと、溶けたミットと、バットのグリップと、芝生に倒れた俺だけだった。
ルカがベンチから走ってきた。
「レオ! 生きてるか!」
「……生きてる」
「お前、あの分身なんだよ! なんで今まで黙ってた!」
「練習にしか使ってなかったんだよ……」
「嘘だろ!?」
「マジだよ。ルール違反になるだろ」
ルカが絶句した。地球の存亡より、野球のルールの方が重い男。それが獅子王御獅子だった。
◇ ◇ ◇
翌日、全世界のスポーツ紙が同じ見出しを打った。
『SHISHIOH SAVES THE WORLD — Final Score: 7-11』
ゴシップ紙はこうだ。
『速報:獅子王御獅子、分身能力が発覚したことによりメジャーリーグ機構の調査対象に。過去の成績に分身使用の疑い』
使ってねえよ。練習だけだよ。
弁護士を雇った。前世でも今世でも、面倒くさいことには変わりがなかった。
それでも。
ニュースの片隅に、小さな記事が載っていた。
『NASAが静止軌道上に新たな人工物を確認。推定直径7.3センチ、重量約148グラム。硬式野球ボール規格と一致。名称「SHISHIOH-1」として登録へ』
俺が打った最後の一球が、まだ地球の周りを回っている。
たぶん、ずっと回り続ける。あのフルカウントからのサヨナラが、ずっと終わらないまま。
——悪くない気分だった。
了




