木霊 畜群と出逢い
悪魔からの目覚めは一抹の喜びと、ほぼ全抹の気怠さを迎える。此度の目前は、重苦しい鬱蒼が聳え立ち空を隠す、緑樹の摩天楼であった。それにしても、異様なまでに高い。上にばかり気を取られ、段差に蹌踉ける。目を落とすと、茶の細波模様が地を走る。目を少し上げると、平線が顕われる。そっと平線へ近づき、目を地の底へ降ろす。眼下には一面の苔世界が広がる。私は大きな木の上に立っている。先程の悪夢から学んだ数少ない教訓は初めに自らの四肢を確認することである。私の青白く透けた四肢は根本が太く、先が薄くなっている。指は無く、継ぎ目のない滑らかな鰭である。頭が重く、ふらふらと体重を秤ながら、取り敢えず幹へ向かう。降りる手段も無し、手を拱き、重みを回して考える。悩みの重さが加わり、秤が傾く。四肢が引き摺られ、踏ん張れない。平線を超え、苔へ身投げする。走馬灯も大して役には立たず、臓物が浮き上がる感覚だけが心に染みつく。あぁ、何とも馬鹿馬鹿しい最後だ。平衡感覚、普段脳がどれだけ仕事しているかを悟る。身体が急に変わればこうも成ろう。妙に長い。死に際に語る言葉も枯れてきた。恐怖を焦らすとは卑怯者め。この世界には一思いすらないのか。やっと本物の地面に触れた。一周回って嫌悪したが、この安定感は唯一無二である。おかしい。五体満足、怪我も無し。無駄に無駄を重ねた走馬灯を返しておくれ。もう落ちる筈もない癖に、慎重に行かざるを得ない。先の時間まで無駄にするか。またまた取り敢えず隣の木まで歩くが、隣駅のようだ。短い手足に苛立ちを打つけながら、やっとの思いで辿り着く。大樹の裏に私の視界から見えた忌々しい青白さが突っ立つ。白丸に大きな黒穴が三つ。突き抜けそうな穴奥は不思議と真っ暗だ。何も詰まっていない間抜け面が何故こんなにも重いのか。珍竹林はどこも動かさずに「あつまれ。」と発した。突然、木の根に吸いこまれる。ぽかんと、同じ間抜け面を晒す。私は木霊だったのだ。
恐れと好奇を半分ずつ、私は根に体を吸い付ける。突如、視界がぐわんと大きく廻る。一瞬間には、私は木目調の管の中を泳いでいた。大地の下では木々が張り巡らし、妙竹林が一所に流れている。流れがあるでもなく、浮いているでもなく、意思と違わぬ方へ押し引かれる。笹舟のように見知らぬ郷に従うと、目的地と思しき根の駅から吸い出て行く。其処は苔の大広間だった場所に、白玉が気味悪いほど埋め尽くされていた。球が揉みくちゃに集い、楕円になる者も居る。何も分からず、人溜まりに放り込まれるのは不愉快この上ない。通ってきた路は疾っくに白く塗られている。そろそろ大衆であることを諦めて、私は狂人だと叫ぼうかと頭を過ぎる頃。漸く、低い枝から目的が吸い出された。「もりがあぶない。」前置きなど誰か聞くのか甚だ疑問であったが、全く無いと余計に言葉が入って来ない。「われわれはもりをでる?」からんころんと空の頭を鳴り響かせ、騒音を作り出す。何故森が危なく、何処へ出て行くのか、その危険性と移転先の信頼性は、誰が何が責任を担保するのか。抑々、一段上の彼奴は何者なのか。何も分からない者に聞いても、答えは一向に返って来ない。「でていくひとはひだりてをあげて。」指もない奴らの左右を見分けられるのか。皆、思い思いの動きをする。純粋に左手を挙げる者、隣を見てから挙げる者、背筋をぴんと張り右手を挙げる者、両手を挙げる者、左足まで使う者。実に滑稽だ。愛着すら湧いてきた。この拙い烏合の衆を眺めたくなった私は、餅共をかぎ分け木へ登りたい。其々の枝上では団子が団子を数えている。どこから区切って数えているのか。同じ枝に同じ方向から数える者も居る。惨めだ。民衆において一番多い姿はどの手も挙げていない者だ。当然である。何方の手を挙げればどうなるのか確信に至る情報も、信頼もないのだ。手を挙げても何の意味も持たない。あるとすれば数えるのが嫌になる途方もない内のたった一本でしかない。徒労に終わると空いた頭蓋でも容易に想像できる。もっと上から見てみたい。私は幹の中途から顔を出す。丁度、一声を上げた筆頭らしき奴の高さだ。すると、奴が「おまえはどうおもう。」此方を指の無い腕で指差す。私に聞いているのか。面白い。多くの面前で話したくはないが、黒胡麻三つなら大したことではない。先刻の腹の内を打ち明けてやろうと口を開く「なんで。」まさかともう一言「どこに。」やはり、私もあの白玉餅団子に過ぎないのか。「もりがあぶないの!」会話をする気は無かったが、気どころの話ではない。この生き物のような何かは言語を介する知能を持つのか。考えた言葉が喉を通る頃には八割方飲み込まれている。押し黙る以外の選択肢を取れないでいると、二人よりも更に上から現れて「もりはあんぜん。でたらあぶない。」騒つきが自然と収まって行く。どうしてだ。理由を掘り下げるべきだろう。何の為に態々集まった。もしや、一番高くに居るから聞いたのではあるまいな。同じ土俵に立つのも馬鹿らしい。無益な集会から立ち去ろう。無為な会話は余計に疲れる。この畜群に紛れても、未来は暗くなるばかりだ。して何処へ行くのかと。考えも無く、ただ逃避していると、二人の人影が見える。白玉からすれば創世の巨人に値する背丈である。
如何なる形であれ、この群衆から遠去かりたい。何なら殺されて、また違う物に生まれ変わろうなどと倫理の欠片も無い思案が頭を過ぎる。恐れと安堵を胸に、近くの木から、息を整え、ふっと吐き、飛び出す。二人は黒く、一人は顔と手以外は隠れた、ゆったりとした喪服のよう。一人は羽織の奥に、危なげな金物やら、旅の道具やらを隠す、締まった服装である。一人はふわりとした稲穂金髪を尼僧頭巾から覗かせる、柔らかな目付きを。一人は武器になりそうな黒棘を使い古された頭巾の中に仕舞い、鋭い目付きを向ける。黒髪が金髪に「どうせ木箆鹿に根刮ぎ喰われるだけの下等な存在です。先を急ぎましょう。」それに対し「何を仰しゃいますか。こんにちは、妖精さん。」良かった、やっと話が通じる。私は話す言葉を最小限にして「みんなあつまる。はなしすすまない。」あぁ、駄目だ。この会話すら進まないぞ。けれども金髪は私に目線を合わせて「お仲間さんが困っているのですか。」見た目に沿う優しさで「私にお手伝いできることはありますか。」助かった。話すという、人として常識的な能力を失った私に、人間復帰の兆しが見えて来た。其処へ黒髪が「いけませんベニギー、魔物がいないとはいえ獣の住処。長居はすべきじゃない。」この機を逃すまいと私は必死に身振り手振りをするが、言語は口内に張り付いたまま。ベニギーと呼ばれた少女は「いけませんフィダス、彼等にも救われる権利があるのです。精霊さん、皆の元へ案内してくれますか。」元へ戻る積もりも無いが、奴らを見捨てる発言をすれば、二人が、特にフィダスという方に見捨てられるだろう。私はベニギーの両手にちょこんと鎮座し、朧気な逃げ道を反航する。
一回深く息を食べると、それだけで腹が膨れる手乗り人形が「もりあぶない、うつるかきいてる。」二言で議論の概要が伝わる。「何が危ないのですか。」私が聞きたい。黒棘が口を挟み「きっとフィロチェスの群でしょう。近年、数が増えたと聞きました。ターチェが追われてここまで来たのでしょう。」よく分からないが、葛餅が天敵に脅かされているのだろう。その後も的確に「森の獣は水辺から離れ過ぎない。西なら幾分増しだろう。」精一杯復唱してみる。「たーちぇ?きてる。にしにいく。」これを言った所で聞く耳持つのか。大きい人間が言った方が簡単に頷くだろう。「もういいだろう。一人で行け。」私を摘み、放り捨てる。「あぁあ、大丈夫ですか。」「平気ですよ。いいから早く、先を急ぎましょう。」ベニギーの手を取り、天地を跨ぐ大股で森の奥へと消えて行く。連れていってくれ、小さな言葉が出る頃には、低い私の目からは影しか見えなくなっていた。仕方なく、集団へ向かうと、白塊はまだ蠢いていた。今度は声が届く限界まで上へ登り詰め、復唱する。騒めいている白点の背後から大きな人影が忍び寄る。大きな無精髭が木漏れ日に照らされる。忘れもしない、奴だ。流離が新緑の森を侵す。
勇者は木霊を踏み潰しながら、出鱈目に、されど目に止まらない。ラダー練習のように毎秒丁寧に小さな命を踏み躙る。そして反復横跳びに移行し、周りの雑魚を散らす。「いけ!かかれ!」私の号令は混乱に掻き消される。一旦息を飲み、踵を返す。前は何処に居たのか、此処が何処かも分からないが、今は唯会いたくなかった。流石の木の中までは追ってこれまい。二人の藁へ縋り付きに奥へと踠き進む。斬っ。目の前に菱形の虎馬が突き刺さる。引き返そうとした時には、帰り道が宙に浮き、二つに引き裂かれた。一矢報いようと探そうとした時には、握り潰された残骸が拳から飛び出していた。何と無力なのだ。毒の一つでも体に仕込んでいないのか。瞼も押し潰され、虚無に消えていく。
「また駄目だった。」「力と優しさは直接関係はないみたいだね。今度はどうしたい?」「うぅん、分かんない。」「そうか、じゃあ何かやってみよう。そこから次のヒントが必ず見つかるよ。何でもいい。エルが好きなことでいいんだよ。」「じゃあ綺麗なのがいい。」




