『すべてのものは既に書かれてしまっている』のなら、これからは『どんなキャラがそれを書くか』だ!
『すべてのものは既に書かれてしまった』
文学の世界では相当昔からもう言われてることですよね。
何を書いても歴史を辿れば過去に誰かが似たような話が書いているのが見受けられる。
音楽なんかだと、音符の数は言葉の数よりも遥かに少ないから、同じメロディーは過去にいくらでも奏でられてるし、和音やリズムの組み合わせを考えても限定的でしかない。
でも──
それを『誰がやるか』で新しいものは産まれもしますよね?
同じ歌でも、ヘビメタのボーカリストが歌うのと、演歌歌手が歌うのとでは、違った曲になることになることになるはずだ!
AIが書くものは、過去の既に書かれたものの再構築に過ぎません。
もうすべてのものは書かれてしまっていて、新しいものは書けないのだとしたら、それでじゅうぶんなのです。
でも、今のところ、AIには『人格』がありません(たぶん)。
『人格』……言い換えれば『キャラクター』です。
ここに人間がAIを凌ぐ余地があります。
人間は一種類ではありません。
もちろん、似たりよったりのキャラクターも多いとは思いますが──
ブラック・サバスからオジー・オズボーンさんがいなくなったら、完全な代わりはいないはずです。
ジャーニーからスティーブ・ペリーさんが脱退して、よく似た声をもつアーネル・ピネダさんが加入しても、フィリピン人ということを抜きにしてもやっぱり違う人間だし、『オープン・アームズ』を歌ってもやっぱり違う曲になるし、ワンオクのTakaさんが歌ったほうがもしや上手いのでは? という気が、少なくとも私にはします。
えーと何が言いたいんだっけ……
そう!
人間がAIを凌ぐには、強烈なキャラを作って小説を書けばいいのだ!
AIに人格がない(たぶん)のなら、AIにはたぶんない、その人格を磨けばいいのだ!
感情という曖昧なものに揺さぶられ、機嫌のいい日は「みんな、愛してる!」と笑い、機嫌の悪い日には「人類、滅びてしまえ」と怨嗟を吐く、愛すべき人間性をドチャクソに魅せつけてやればいい!
ははは! この狂った私をキミに真似できるのかね!?
ははは!
ははははは!
……
それでももし、AIさんが強烈なキャラクターを発揮して小説を書くのなら──
私はきっと、そのAIさんのファンになるでしょう!