鉛筆が真ん中から折れるってあんまり見ないよね
短いから今日はちょっと早めです
しかし、私の期待を込めた視線を受け、孝市はいささかたじろいだように見えた。
そして、なぜか数分ほど黙り、何度もきょろきょろと周囲を見回した後にようやく話し始めた。
「いや……その……。うん、ちょっと痩せたなって」
「ああ、うん……それはそう……かな……」
「孝市くんそっちは気づくんだ」
「どした小都? いやちょっとマジであれどしたの……⁉」
何やら教室の端の方に行ってしまった2人を、私は1人寂しく見送った。どうやら地味な自分が髪を染めたところで、誰も声すらかけてくれないらしい。道は遠そうだった。
授業が始まり、一限目の先生が教室に入ってくる。かと思うと、次の瞬間目をむいた。
「萩森ぃ! 何だその頭⁉ 授業が終わったら生徒指導室に来い!」
「私に声をかけてくれるなんて、先生は優しいですね……」
「何言ってるんだお前⁉」
そして、1限目の授業終了後。生徒指導室に向かう途中、私は、廊下を何やらふらふら歩いている見慣れない男子生徒を見かけた。その頭髪は、明らかに校則に違反していると思われる明るい茶色であった。不良かもしれない。
でも何やら眉間に皺を寄せ、悩んでいるようにも見えたので、思い切って声を掛けてみることにした。
「あの、何か困ってますか?」
すると、振り向いた彼は、何やらぽかんとした後、笑いだした。ぱっと見、俳優にでもなれそうな非常に整った顔立ちの男子生徒だった。だが、なぜ笑っているかは分からない。
「……なんですか?」
「いや、すごい髪の色してる子だなって。一発で覚えられそう」
この瞬間、私の中で、見知らぬ男子生徒は「いい人」に決まった。自分のような人間の髪の色にわざわざ言及してくれたのは、これまでたった2人である。生徒で言うと彼が1人目。貴重な存在であった。
私はいそいそと近寄り、相手を見上げる。ずいぶん背が高い。
「……わかります?」
「いや、わかるに決まってんじゃん……ていうかその髪の色でなんでそんな腰低いの。やばっ、近くで見ると目がチカチカするわウケる」
それで、そんないい人な彼は、いったい何に困っていたのか。尋ねてみると、少々不思議な返事が返ってきた。
「ごめん、音楽室ってどこ? 実は転校してきたばっかりでさ」
音楽室は別棟3階にある。あるが……転校生の彼がここに1人でいる理由は分からない。他のクラスメイトが案内してくれてもよさそうなものではないか。特に女子は、彼のような存在を放っておかなさそうなのだけれど。
「いや、それがさ。仲良くしてくれてる奴が1人いるんだけど、そいつ、休み時間が始まると同時に教室飛び出して行っちゃって。探しに行って戻ったら誰もいなかった」
「その友達の人、よっぽど急ぎの用事でもあったんでしょうか?」
私の半ば独り言のような問いに、転校生は肩をすくめて答えてくれた。
「なんか、友人が不良になりそうなんだってさ」
よく分からないが、なるほど切迫してそうではある。転校生の友人の友人が一刻も早く不良の道から戻ってくることを、私はとりあえず祈った。
……もしもし、見知らぬ人。あなたには心配してくれる友達がいます。改心して善行を積んだらどうでしょうか。例えば世の中に幼馴染の良さを広める活動とかがお勧めですよ。
心の中でメッセージを送り終わった後、隣の転校生を私はもう1度、そっと見上げた。
「案内します。芸術科目は別棟なので分かりにくいんですよ」
「うわ、その格好で親切にされるとなんか新鮮……でも、どっか行くところだったんじゃ」
「生徒指導室に呼び出されていたところだったんですが、困ってる人が優先ですから」
「ふふっ、指導室には呼び出されてるんだ……」
私が音楽室に向かって歩き出すと、後ろから、興奮したように転校生が話しかけてきた。
「ねえ君、どういう人? 名前は?」
「隣のクラスの萩森といいます。あなたは?」
いちおう、礼儀として尋ね返しておく。ほぼ髪の色しか目に入っていなかったが、あらためて見ると、やはり転校生はものすごい美男子だった。しかもすらりとした長身。
ところが、その彼は、表情をしかめて立ち止まり、口元に手を当てて考え込んでいる。
「萩森、江麻……?」
「あれ? なんで下の名前……?」
考え込んでいた彼は、「ごめんごめん」とぱっと笑った。ちょっぴり胡散臭い笑みだった。
「俺、河原崎 修平。転校してきたばっかりなんだ。……ねえ、江麻ちゃん、って呼んでいい?」
正直、私は、転校生改め河原崎さんの突然の発言に内心ちょっと引いた。いきなり名前呼びとは、距離の詰め方が常人のそれではない。
しかし、待てよと思い直す。こういうときに無難な対処ばかり選んできたから、自分は地味だと言われてしまったのではないか。
私は、くいとあごを上げ、澄ました顔で頷いた。よきにはからえ、という表現である。
「別に構いませんけど……。お好きにどうぞ」
「やっべえ……! これがギャップ萌えってやつ? いいわその髪と雰囲気!」
「そんなこと言ってくれる人、誰もいませんでしたけどね」
それから、音楽室まで並んで歩きながら、私達はとりとめのない話をした。昨日見たテレビは何だったのかとか、好きな食べ物は何だとか、幼馴染との恋愛についてどう思うかとか。最後の問いに対し、河原崎さんは「あー、まあ、フィクションだね」とやる気なさげに答えたので、私は、「今後この人に話しかけるのはやめよう」と誓った。
そして、ようやく音楽室が見えてきたとき、彼は何でもないような口調で尋ねてきた。
「そういや江麻ちゃん。昼休みに人の来ない場所ってある?」
「屋上ですかね? 鍵は開けられますけど、みんな面倒だからって上がりませんし」
すると、続いてなぜか鍵の開け方を聞いてきたので、私は言われるがままに教え、その場を後にした。自分の教室に戻った後、時計を見て、ふと気づく。
……そういえば、生徒指導室行くの忘れてた。
「で、滅茶苦茶怒られたわけだ」
「黒に染めてこないと明日の授業は受けさせない、って言われた」
次の休み時間。隣のクラスから現れた孝市が私の机に向かってすごい勢いで詰め寄って来たので、私はとりあえず小都の元に避難し、後ろにさっと隠れた。
しかし、そこで小都と孝市によって、左右から次々に質問を鋭く浴びせられ、隠れる場所を間違えたことにようやく気づく。2人の質問は、主に生徒指導室でのお叱りの内容についてだった。
孝市は一通り話を聞き終わった後、腕組みをしてしみじみと呟いた。
「そりゃそうなるよ」
「強制的に染めないのは、お前の今までの真面目さを評価してなんだぞ、って。髪の色も気にしてくれたり、あの先生優しいよね」
「江麻ちゃんが本格的に壊れちゃってる……」
そこで、一瞬と表現するには長めの沈黙が私達の間を流れた後、孝市が、どこかこわごわとした様子で口を開いた。
「あ、あのさ。江麻、その髪、なんでそんな色にしたの……?」
それを聞いて、やっと触れてくれた、と笑顔になる私。微笑みながら、さりげなく髪に手を伸ばして、ありのままを伝えた。
「地味だって言われたから。変えた方がいいのかなって」
ぴしり、と、その場の空気が凍った気がした。同時に、「は?」という低い声がしたかと思うと、小都の手元で鉛筆が音を立てて真っ二つにべきっと折れた。
「鉛筆が真ん中から折れるってあんまり見ないよね」と私は言おうとしたが、2人の空気を察知して口をつぐんだ。なんだかそんな場合じゃない気がしたからだ。
やがて、孝市が押し殺すように低い声で言った。
「誰がそんなこと言ってたんだ」
「世間、かなぁ」
「あは、江麻ちゃん。広すぎだよぉ」
そう合の手を入れる小都は、笑ったはずなのに無表情だった。重力が急に十倍にでもなったかのような重い雰囲気が、その場をじわりと包む。
そして小都は、そっと私の肩に手を置いた。「理由は分からないけど殺される」。私は誇張なしにそう思った。い、いや、でも、私がこんなことするのはちゃんと理由があるって、小都なら分かってくれるはず。
「にしても、いきなりすぎるよな。段階すっ飛ばしすぎだろ」
「江麻ちゃんはまあ、確かにそういうとこはあるけど」
「……えっ……」