二度と「幼馴染って地味だな」なんて言えない体にしてやりたい
脳内に流れるコメントを書き込もうとしたところ、意外にあっさりといけた。私が念じた言葉が、彼らの会話の後に流れる。便利。
《おいおいなんだこいつ》
《初心者かな?》
まず、言っておきたいこと。彼らには、宣戦布告を叩きつけなければならない。
『幼馴染だから負けなんておかしいです。皆さんはもっと論理的に物事を考えてみるべきだと思います』
《いきなりのマジレスに草》
《幾多の創作物でも幼馴染が勝った作品はほぼ皆無 社会的マイノリティなんだ君は》
《自虐やめろ》
『だって、そういうのは作り物ですし。だから事実とは違って面白くなるように作ってあるんです。だって幼馴染が勝ったら当たり前すぎてつまらないですからね』
すると、少しだけ間があった。相手にぐうの音も出ないほどの正論を叩きつけてしまったな、と私が肩をすくめたその時、新たなコメントが流れていく。
《どうせお前「これまで一緒に過ごした時間が幼馴染にはあるから」とか思ってるだろ?》
『それが何か? それが幼馴染の強みだと思いますけど』
《逆だ。それだけ一緒に過ごしてても恋愛に発展しなかったんだよ、お前らは》
《駄目っていうか、そもそも退屈な日常の象徴だからね、幼馴染って》
《だから負けるよな、他のヒロインに。あっちはたいてい転校してきたり街角でぶつかったり突然空から降ってきたりとインパクト十分だ》
《幼馴染と街角でぶつかるの想像したら単なる事故なだけで草生え散らかした》
《だから幼馴染の何が駄目って……ただ、ひたすらに、地味なんだよ。空気っていうかさ》
《悲しいけどそれが現実なんだよな。おーい聞いてるか?》
私はそっと布団をかぶり、目を閉じて横になった。その日はもうコメントを意識することもしなかった。何も言い返せなかった自分自身が悔しかった。
(9月11日 金曜日)
さて、欠席5日目。ようやく体調が復調してきた気がする。あれ以来、頭の中にコメントは時折流れてきたものの、アプローチをとる勇気は出てこなかった。
その代わり、毎日ほぼ徹夜し、私は机に向かってひたすら頭を捻っていた。
孝市も確かに言っていた。変わり映えしないし地味なので、小都や私のような幼馴染とは付き合いたくないと。コメントによると、原作とやらでもそう言っているらしい。
しかし、彼らも言うように、そもそも小都は地味ではない。付き合いたい女子学年1位が地味でたまるか。とすると、孝市が幼馴染を恋愛対象に見ていないのは、確かに、言われる通り、私が足を引っ張っている可能性は非常に高いと思われた。うっ吐きそう……。
その恐ろしい推測に、私は身をぶるりと震わせる。ということは、つまり、小都が孝市にアプローチするのと並行して、私の方でも、孝市に「幼馴染って言っても意外に侮れないな……」と思ってもらう必要がある、ということだろうか……?
というわけで、この5日間。夜も眠らずに私はひたすら机に向かい、ずっとその方法を考えていた。そして頭をがばっと抱える。
「だから幼馴染のイメージを変える方法って……具体的に何なの……⁉」
熱を出して寝込み、欠席日数が4日追加されるのと引き換えに、私は自由に情報収集する時間を手に入れた。ネットを主な情報源とし、得た話としては、幼馴染の特徴であった。
曰く、世話好きである。曰く、料理上手である。曰く、黒髪で、優しくて、真面目で……地味である。優しいかどうかはちょっと自信がないので保留としても、確かに、それ以外の全てに当てはまっている自覚が私にはあった。
褒めている言葉が多いように、一見感じる。しかし問題は、結局最後の表現に収束していくのだ。どれだけ利点があろうと、つまるところ地味で敗北者なのだと世間は言う。
よって、私は、自身のその要素のどれかをすぐに変える必要がある。自分は誓ったのだ。何を恐れることがあろうか。孝市を、二度と「幼馴染って地味だな」なんて言えない体にしてやらねばならない。
私は、間違いなく血走っているであろう目で、何度も幼馴染の特徴一覧を上から下まで見直した。しかし、変えられそうなものとは、はて……どれだろうか?
……世話好き。おそらく、他人の世話をしない、という選択肢はきっと自分には取ることができない。孝市に限らず、小都にだって、そうでなくてもクラスの友達が困っていたらきっと自分は手を差し伸べてしまうだろう。却下。
……料理上手。これはもうどうしようもない。ずっとずっと昔から、他人が嬉しそうに食べてくれる顔が好きで、母に教わりながら一生懸命磨いたものだ。あえてまずく作るなんて、食材に失礼なことはしたくなかった。パス。
……優しくて、真面目。既に5日学校に行っていない自分は真面目の域をはみ出しつつあるのではないか? しかし、現時点でもう限界が来ているのも感じる。体調がいいのに学校に行かない自分というのが違和感があって、妙にそわそわと落ち着かないのだ。だが、これは努力でどうにかなるのかもしれない。審議対象。
……地味。これをどうしたらいいのか、私にはさっぱりわからなかった。一瞬、親友の小都の姿が脳裏に浮かぶ。ふわふわとお洒落に巻かれた髪、ごく薄く施された化粧。彼女にアドバイスを仰ぐ、というのも手かもしれない。
……なんてことだろう。検討の末出てきた結論が他人任せだけとは。私はもう1度、一覧を順に目で追った。……世話好き、料理上手、黒髪、優しくて真面目……おや?
私はある項目に目を止めた。そして、一覧の真ん中あたりにある単語を指さして、声に出して確認する。
「――黒髪」
私は自分の肩まで伸びたストレートの黒髪に手を伸ばし、目の前に一房持ってきて眺めてみた。これまで生きてきて1度も染めたことのない、さらさらとしたそれ。これに手を出すのは、なんだか危険な気がした。それに……いや。
私の脳内で、スタイルのよい見知らぬ美少女転校生が「ほほほ」と高笑いを上げながら孝市と腕を組み、雑踏の向こう側に消えていくイメージがほわほわと浮かんだ。事実、そんな未来がこの世界にはいくらでも転がっているかもしれないのだ。そんなことが起こってほしくないからこそ、一刻も早く行動を起こさないといけないのに。
参考意見を求めるべく、私は小都に何度もメッセージを入れてみたが、なかなか既読が付かない。私は部屋の中で理由もなく立ったり座ったりしながら、うろうろと小都の返信を待った。そして、時折、ぱちんぱちんと意味もなく自分の頬を叩いてみる。
しかしすぐに、待ってもいられなくなり、私はそのまま足早に近くのドラッグストアに急いだ。根拠のないまま襲ってくる、背中を焦がすような焦燥感に耐えられなかった。
――ちなみに、ずっと後のことになるが……小都は「この時、自分が早めに気づいていれば、あんな惨劇は引き起こさずに済んだのに」とコメントしている。
(9月14日 月曜日)
久しぶりにぐっすりと眠った私は、朝起きると、鏡の中を覗き込んだ。そこに写りこむ自分は、実に見事な金髪だった。まるで、ドラマに出てくる悪役の金庫に入っているピカピカの金の延べ棒みたいな色合いだった。「この店で一番派手な色はどれですか?」というド素人丸出しの私の質問に対し、店員が提案したのがこの色であった。実にプロフェッショナルな回答だった。
昨日の深夜、髪を染めるのに使った浴室の壁にべったりと付いた染みはいくら擦っても取れず、今日の晩、夜勤明けの母に怒られることは必至であった。
鏡を見ていると、動悸が激しくなる。冷静に考えると、やってしまった、という感覚。まるで、知らない人間がこちらを覗き込んでいるみたいで。一瞬、自分が間違った方向に進んでいるような気がして、私はぶんぶんと首を振った。鏡の中の金髪の私も激しく首を振る。
……そう、今更戻れない。少なくとも、私を見た全員が「地味じゃなくなったね」と言ってくれるはず。どくどくと鼓動が高鳴るのを押さえ、私は自分に言い聞かせた。
「……セーフだよね」
耳を澄ませてみると、地味で大人しかった昨日までの私が何か言っている気がした。きっと、変わろうとしている私を応援してくれているはずだ。私はそっと耳を澄ませる。
『どう見てもアウトだよ』
……聞こえないふりをした。昨日までの私は死んだのだ。
「え、江麻ちゃん、今日なんだか雰囲気違わない……?」
登校後、教室で小都がどこか恐々とした口調で話しかけてきたので、私は感動に胸を震わせた。さすが親友だけあって、完璧なパス。しかし食いつこうとして、はたと少し思い直す。ここは、あえて外した回答をして周囲に突っ込ませた方が話が広がるかもしれない。
そこで、私は首を傾け、微笑みながら口を開いてみた。
「あ、わかる? 喉痛くてさ、食欲無くてちょっと痩せたかも」
すると、「しーん」という、あまりにも深い沈黙が教室を支配した。あっちで笑い合っていた男子たちも、向こうでひそひそしていた女子のみんなも、全員が一様に無表情で私を見つめている。漂う空気はどこまでも重く、咳払いや衣擦れの音すらしなかった。
……気まずい。ただひたすらに気まずい。いや分かってる。ここまでの反応を見たらさすがに分かる。昨日の私が何日も徹夜したテンションでおかしかっただけだって。
……いや待て。ただ単に、染めるなんて今時だと当たり前だったのかもしれない。現実逃避を始めた私は、そのまま様子見モードに移行する。そしてさりげなく髪をかき上げ、「今日ちょっと暑いね」と半分やけになって言ってみた。やはり誰も何も言わなかった。
クラス担任の浦木先生は、教室に入ってくるなりピタリと立ち止まり、カッと目を限界まで見開いた。
そして、教卓に立った後も、何やら私の方をチラチラと何度も見てくる。
「その……萩森さん? 体調はもういいの?」
あ、話しかけてくれた。先生ありがとう。そろそろ誰か何か言ってほしいなと思っていた私は、いつも通りに振舞うことにした。その方が突っ込みやすいかなと思った苦肉の策であった。触れる方が優しさな時もあるのだと、いつか機会があれば全世界の皆様には伝えたい。
「はい!おかげさまで!……あれ?どうかしたんですか先生。顔色が悪いみたいですけど」
「困惑」と「理解できないものを見るような表情」を足して2で割ったような浦木先生の顔には、「どうかしてるのはお前の髪の色だよ」と大きく書いてあった。物を言わずとも気持ちが通じることがあるのだと、こんなときなのに私は少し感心した。
浦木先生は、それ以降一言も喋らないまま、逃げるように教室を後にした。
「えええええ江麻⁉ 何だよそれ⁉」
続いて、隣のクラスから教室に顔を出した孝市が、私の方を3度見くらいした後、席までダッシュで駆け寄ってきた。私も、安堵の溜息をつく。まさかここまで声を掛けられないとは思っていなかった。自分はどこまで地味な存在だったんだろう。
さて、孝市はどんな言葉をかけてくれるのか。「イメチェンしたの?」「似合ってるよ」。それとも……「地味じゃなくなったね」とか……?