幼馴染が、負け属性なんて
即刻、孝市に事情聴取した。
誰と?
この前、街で会った外国人の女の子と。
それだけ?
別件で後輩とも……。
別件って何。
例えばの話なんだけど、外国人の子が西洋ファンタジーとかそういうジャンルだとしたら、後輩は心霊現象に巻き込まれてた、みたいな……。
つまり、吸血鬼とか、霊媒師ってこと?
おま、何で知って……。
嘘でしょ……。
そのまま、何か言おうとしている孝市を置いて、ふらふらと別れた。
そして私は、教室に帰ってから、思い出し、頭を抱えた。つまり、孝市は吸血鬼とか後輩霊媒師とも既に交友があって、ということは、ここはコメント達が言う通りにゲームの中で、未来が決まった作られた世界って可能性があって。私は痛む胃をそっと押さえる。
「……吐きそう……」
そして、絶望的な話。どの未来においても、小都が孝市と一緒に歩むことはないらしい。
帰宅した私は、ベッドの上で膝を抱えたまま、頭の中に流れていくコメントをぼーっと眺めた。何かしないといけないはずなのに、何もする気が起きなかった。
《幼馴染だからチャンスはずっとあったはずなんだよな、小都ちゃん》
《自覚するのが遅すぎたんじゃないかな。一方で恋愛感情とは無縁に生きてそうな委員長》
《メロン味大好きなところもお子様で草》
《そりゃ孝市も「幼馴染と恋愛する気はない」って何度も言うわ》
《代り映えしないから、だっけ? あれつまり地味だってことだよね。小都ちゃんは人気学年1位なんだから、これもう委員長のせいでしょ》
《親友まで足引っ張ってて草》
《小都ちゃんの負けは世界の選択だから》
力なくベッドから立ち上がり、私はよろよろと台所に向かった。そのまま水をコップ一杯に注ぎ、ぐいっと一気飲みする。
実に5杯の水道水をあおった後、私はふらふらとベッドに向かい、がばりと毛布を被った。そして、真っ暗な中で、先ほど見たやり取りを反芻する。安心するはずの毛布の暖かさの代わりに、うわんうわんと耳鳴りのように音がずっと響いているような気がした。
原作とやらの存在が、どうしようもなく、怖かった。ただ、それ以上に。第三者から見て、自分が小都の足を引っ張ってしまっているということが、何よりも恐ろしかった。
……地味。確かに、小都はともかく、私はあまり目立つ方じゃない。…………地味。ひょっとして、私が、地味だから? だから、孝市もあんなこと言うの? 幼馴染なんて代り映えしないから嫌だ、なんて。だって言ったじゃない。お前と小都、みたいな。頭の中の彼らが言う通り、孝市は、私と小都を、どうやら幼馴染として一くくりにしている。
私は、自分の髪をそっと触ってみた。真っ黒で、肩より少し下まで伸びる髪。昨年までは三つ編みだったし、コンタクトにしたのなんてわずか3か月前のことだった。あれだって、私にしてみれば一大決心して起こしたイベントだったのだ。
……もし、原作とやらが、私たちの世界をそのままなぞっているとして。もし実際に、孝市も「幼馴染は地味だ」と、私を見て思ってしまっていたとしたら? それは、私のせいということになってしまうのではないか?
そんな考えがふわふわと頭の中に浮かび、そのまま、うとうとと次第に意識が薄れていく。そして、私はうなされながら、孝市の夢を見た。いつものように、私は孝市に何度も声を掛ける。しかし、孝市は一度も振り返らず、そのまま遠くに消えて行ってしまった。
(9月8日 火曜日)
日曜から私は発熱し、体温は未踏の39.5℃を記録した。翌日の月曜日も学校を欠席し、眠っていたものの、ふと目が覚める。おでこに貼られた冷えピタを触ってみると位置がずれたので、そっと剝がしてみた。私の手の中で、白いシートはへにゃりと曲がった。生ぬるくて、気持ち悪かった。
「……孝市、どうして……」
「なに、江麻。起きた? うわ、目すげー腫れてる」
がばっ! と私は身を起こした。今、聞こえてはならない人間の声が聞こえた気がする。
果たして、部屋の中にはいつの間にか孝市がおり、私の方をまじまじと覗き込んでいた。ばっ、と思わず私は布団の中に潜り込む。
「……なんでいるの⁉」
「お見舞いだって。もう放課後だぞ。ほら、ゼリー買ってきたから。好きだったろ、メロン味。冷蔵庫に入れてくる」
孝市はバタバタと急ぎ足で部屋を出ていった。そして、すぐに戻ってきて、ベッドの脇に腰を下ろす。
「昨日も調子悪そうだったもんなー。委員長が珍しく休んだって、お前のクラスの連中も騒いでたぜ」
ベッドで横になったまま、顔を壁の方に向けて「今は話したくない」と意思表示をしているはずなのに、孝市は話を続けた。自分のくしゃくしゃの髪も、汗ばんだパジャマも、だるい全身も、全てが煩わしかった。耳を震わせる孝市の優しい声が、かえって辛かった。
「孝市さ……幼馴染ってどういうものだと思う?」
「何だ急に」
戸惑ったような声を孝市が上げる。私は、壁の方を向いたまま、小さな声で呟く。
「いいから答えて」
すると、考え込むように唸り声を上げた後、孝市は少し早口になって答えてくれた。
「そりゃまあ、うん、気が付いたらいつもそこにいるっていうか。いるのが当たり前っていうか。そう、空気みたいなもんだな。……ちょっと恥ずかしいなこういうの」
「……やっぱり、そうなんだ……」
「ちょっ⁉ なんで泣いてんの⁉」
私は黙って布団に潜り込んだ。空気。それは、私が今二番目に聞きたくない言葉だった。
「……悪かった。謝るから、顔出してくれよ」
孝市が何度も頼んでくるので、私はもぞもぞと頭を出す。
「うわ、マジ泣きしてんじゃん……どうしたんだよ……だいぶ具合悪そうだな」
「孝市、もう1つだけ答えて」
「お、おうよ」
「わたしって、地味? それとも派手?」
お願いだから、言わないで。今私が一番聞きたくない言葉を、口にしないで。私は誇張なく、その瞬間、神に祈った。こんなに祈ったのは、高校受験の時に合格発表の掲示板で自分の番号を探した時以来だった。
やがて、じっと祈りと期待を込めて見つめる私の前で、孝市は答えを口にする。
「……どっちかと言えば、地味、だけど……別にそれは悪いことじゃないっていうか」
「…………帰って」
「へ?」
「いいから帰って!」
私が枕を投げつけると、重力に負けた枕は孝市に届かず、途中で床にぽてんと落ちた。孝市は律儀にもそれを拾ってぽんとベッドに乗せてから、何も言わずにそっと去っていった。八つ当たりをした自分に、ひたすら嫌悪が募る。
気が付くと、携帯にメッセージが入っていた。……小都からだった。
≪孝市くん、昨日江麻ちゃんの様子がおかしかったって心配してたよ。ゆっくり2人で話せた? わたしももうすぐ着くからね≫
申し訳なさとともに、胸に、じわりと温かい物が広がっていく。……心地よかった。こういう場がずっと続いてほしいと思っていた。だけど、この場が、永遠に約束されたものではないのなら。奇跡でも起こらない限り、いつかは壊れてしまうことなのだとしたら。
きっと、泣いていても、奇跡なんて起きたりしない。ここが作られた世界かどうかなんていうのも、関係ない。そりゃあ、怖かった。けれど、それどころではないのだ。
今の私を支えているもの。それは、胸の奥でぐらぐらと煮え立つ、激しい怒りだった。だって、いくらなんでもあんまりではないか。もう選択肢は決められているから、この世界ではどうやっても小都が幸せになることは絶対にできない、なんて。理不尽が過ぎる。
……そうだ。何が世界の選択だ。何が負け組だ。単に幼馴染だからって、その先を考える選択肢を捨てるなんて、私がさせない。原作に選択肢がないなんて知ったことか。既に孝市の周囲には彼女候補がいるみたいだけれど、そんなの関係ない。
だから、誓おう。お見舞いに来てくれた優しい孝市に、小都のくれた温かいメッセージに、これまでの自分自身に、頭の中で話している、ひょっとしたら違う世界の住民かもしれない、見知らぬ誰かにさえ。それこそ思い当たる全ての存在に誓う。
――私は動く。変えてみせる。幼馴染が、負け属性なんて、そんな未来を……!
私は、部屋の真ん中に仁王立ちしながら両手を握りしめて、喉が避けんばかりの大声で、まるで世界中に向かって宣言するみたいに叫んだ。単に熱に浮かされただけだったのかもしれない。しかしそれは確かに、私の存在全てを賭けた、魂からの叫びだった。
「絶対、絶対、変えてみせるんだからぁっ‼ 見てなさ……ごほっごほっ……!」
「ちょっ⁉ なんで叫んでるの江麻ちゃん⁉ しかも立って⁉」
「小都、私、絶対応援するから! 任せて! 2人で孝市を振り向かせよう!」
すると、小都は口元を押さえて、青ざめてその場にへたりこんだ。
「……うッ……!」
「だからなんで小都は毎回そんなに嫌そうなの⁉ 私何かした⁉」
ちなみにその後、喉が腫れたため、私はさらに4日寝込んだ。叫びの強さの表れだろうか。そして、叫んだ瞬間、脳内に流れたコメントを、私は確かに見た。
《なんだ今の文字化けしまくった書き込み》
《負け属性がどうとか言ってたね》
それは、ひょっとして、始まりを告げる号砲だったのかもしれない。
(9月9日 水曜日)
家で療養中の私は、昨日のことを思い出していた。昨日叫んだとき、頭の中のコメントが反応していたように思う。こちらからもアプローチができるなら、それこそ、言いたいこと、聞きたいことがたくさんあった。
また叫ぶのはご近所の迷惑になりそうな気がしてはばかられたので、とりあえずぎゅっと眉間に皺を寄せ、集中してみる。
《……だいたい、幼馴染です、ってだけで負けだもんな》
《いや、幼馴染だから勝てないなんて公式が勝手に言ってるだけだし》
《無敵の人理論で草》
『あ、あーあー』
『……あれ? 書ける?』