「愛だよ」
【1月31日 金曜日】
「陽葵ちゃん、やっちゃった」
「ついにか。……自首しよう」
陽葵が真面目な顔で、ポン、と小都の肩に手を置くと、小都は不満そうに頬をぷくっと膨らませた。どうやら警察沙汰とかそういう話ではないらしい。
「で、何があったの」
「この前ね、江麻ちゃんと2人でカラオケに行ったの」
小都は、大いに悩んだのだという。なぜなら、小都の歌のレパートリーはほぼラブソングで構成されており、2人っきりのこの状態で気持ちを込めて歌うことは、もはや告白と同義なのではないか。曲を選んでいる江麻を見ながら、小都はそう思ったのだそうだ。
「んなわけねーだろ。これまで何度も2人で行ってるんだろ?」
「恋してる、って相談してからは初だったから。歌って、意味深な空気になっちゃったら、わたし、死ぬと思った」
2人が曲を入れないままでしばらく時間が過ぎると、宣伝の映像が次々に流れ始めた。また、間の悪いことに、「恋愛ソング特集」という最も小都が避けたいテーマで、次々にラブソングが流れ出した。そして、それに耳を傾け、江麻はこう呟いたのだそうだ。
「あー、私もいつか恋したいなぁ……」
「うわかわいそ。流石に同情するわ」
「わたし、頭が真っ白になって。ずっと頭を抱えてた。そしたら、たぶん、江麻ちゃん、わたしの恋がうまくいかないから悩んでるんだって、思ったみたいで」
その後、江麻は何曲も、小都に向けて応援ソングを歌ったのだという。マイクを握り締め、小都の方をまっすぐに見つめ、声が枯れるまで、何曲も、何曲も。その応援ソングの数々は、小都の精神をガリガリと削っていった。
「それで、頑張ってわたしも歌ったの。片思いが全然届かないけど頑張る、っていう歌。泣きながら歌ったら、途中から江麻ちゃんもデュエットしてくれて。2人で泣きながら歌ったよ。ギリギリセーフだったと思う」
「アウトだよそれはもう」
【3月1日 金曜日】
小都が珍しく、真剣な顔で陽葵を見据えたので、陽葵はちょっと身構えた。いつもの雰囲気と少し違う。小都は、座ったまま顔の前で両手を組み、目を細めている。その目つきは、見る者全てを試すようであり、少しでも彼女の不興を買うような行動をすれば容赦なく裁かれる――そんな威圧感を醸し出している。
「陽葵ちゃん。わたし、ちょっと調べてみたの。最近、江麻ちゃんの周りにあんなに女の子がいるのってどうしてだろう、って気になったから」
「お、おう。それより今すっげー怖い顔になってるからな。気を付けろよ」
「それでね」
「無視かよ……で? なんでだったの?」
「みんな、孝市くんの知り合いなんだ。だから、たぶん、孝市くんも含めて、最近の江麻ちゃんの様子がおかしい理由を、何か知ってると思う」
「頼むからさ、その顔のままで行くなよ。喧嘩売りに行ってるようにしか見えないから」
【3月12日 水曜日】
陽葵は、その場に集まった全員の顔をゆっくりと見回した。小都、孝市、後輩霊媒師の遠野、そして吸血鬼のリア。遠野とリアは、孝市が声を掛けて、この場に来てもらった。「江麻のことで気になることがある」と伝えると、2人とも二つ返事で了解してくれた。
「つまり江麻は、十月には実は呪われてて、十二月には吸血鬼に血を吸われた挙句に銃で撃たれて、それで毎日ニコニコしてたの? あいつどういう精神状態してるんだよ」
「他にも絶対ありますよね。なんか公園で怪しい人に会ってたみたいな話もありますし」
「どうしよう、陽葵ちゃん。わたし、江麻ちゃんのこと、全然見られてなかった……」
真っ青な顔で俯く小都を、まあまあ、となだめながら、まずは状況を順に整理する。
「えーっと、まず、呪いで死ぬかもしれないと」
こくりと、遠野が神妙な顔で頷く。
「次、吸血鬼に血を吸われまくってて、吸血鬼になるかもしれない。それと、銃で胸を撃たれたって? なぜか防弾チョッキを着てたけど、怪我はしてそう。肋骨にひびだっけ?」
すまなさそうに、リアが目をそらす。
陽葵は、現実逃避気味に考えた。……そういや、江麻って一時期、体育欠席してたよな。あれって骨折してたからだったのか。
「そもそもなんで防弾チョッキ着て行ってるんだ?」
孝市が漏らした疑問に、陽葵も同意する。すると、自信なさげにリアが手を挙げた。
「私が銃で撃たれた傷を見てるからかも……」
いやいやそれでもだ、と陽葵はゆっくり首を振った。
「そもそも何でそんなもん家にあるんだよ。それに、着てりゃいいってもんでもないだろ。あいつ、恐怖って感情ないの?」
「あたしの時も、庇ってくれました。それで、呪いを受けて……」
遠野が続け、陽葵は内心で溜息をついた。まだリアの話が終わっていないではないか。解決していないのに、次の問題を出されても困る。それでなんだって? 呪い?
小都はそれを聞いて、おろおろとその場で立ったり座ったりを繰り返した。
「どうしよう、陽葵ちゃん……。このままだと江麻ちゃんが死んじゃう……」
「ていうかなんでまだ死んでないの? ってくらいだけどな」
そう言った孝市は、小都とリアと遠野の3人から、すごい目で睨まれ、沈黙した。
「聞いてると、江麻って未来が見えてるみたいな節があるわ。そこで1つ、可能性がある。経典に触れたのかも」
……経典ってなんだ?
陽葵が持った疑問はその場の全員に共通する者だったらしく、視線がリアに集まった。
「願いを叶える代わりに、触れたものはもれなく気が狂うっていう遺物よ。この町にあるの。願いを持つ者を引き寄せるって……。でもね、気が狂うのは、広がった世界の広さに耐えられないからだって。経典に触れたとき、鈴の音がするらしいわ」
「江麻ちゃんの願い、って……」
小都の顔が顔が真っ青になる。あいつの願いってさ……と陽葵も言おうとして、やめた。誰もはっきりと言わなかったが、その場の全員の脳裏に浮かぶのは、たった1つ。江麻が願うなら、それは、小都の恋愛の成就に他ならないだろう。
どよんと落ち込んだ空気を切り替えるべく、陽葵は明るい声でリアに尋ねた。
「じゃあどうする? 経典ってやつに触れた場合、対処法は何かある?」
「吸血鬼ならまだ耐性があるはずだから、この際、吸血鬼にすれば……ひっ」
「小都、怖いから。その目やめろ。この子も別に仲間増やしたくて言ってないから」
小都を制して、陽葵は再度考え込む。けど吸血鬼に血を吸われてるのに江麻って吸血鬼になってないんだよな? 経典とやらが先に影響してるなら、無意味な可能性もあるか?
そのとき、遠野が、懐からお札を取り出し、そっと差し出した。茶色の紙に、何やらつらつらと墨で呪文らしきものが書いてある。
「これ、あたしの家に伝わる破邪のお札で、一時的にあらゆる異能の干渉を防ぐことができるんです。これ、使ったらどうでしょうか」
「いや、一時的に防いでもなぁ……。でも江麻って一応、今も普通に過ごしてるよな。いきなり奇声を上げて机の上を走り回ったりもしない。鈴の音とか話してたか?」
「たまに何か聞こえてるみたいな顔してますよね。何も言わず宙を見上げて耳を澄ませて」
しーん、と重たい沈黙がその場を支配した。
そんな中、口を開いたのは小都だった。口元に手を当て、深刻な表情で考え込んでいる。
「数か月以上前からその行動してるけど、特にそこまで変になってない。江麻ちゃん、おおらかっていうか、細かいこと気にしないから影響が薄いのかも」
「よっぽど突き抜けた奴だと平気かもしれないってことか」
そこに、孝市が口をとがらせて反論する。
「前、変なことに関わってないか江麻に聞いてみたら、ないって言ってたぞ」
「そりゃ頭のおかしい奴は自分がおかしいとは言わないだろ」
孝市は、そこで口をつぐみ、考え込んだ。その沈黙の長さに、皆が注目する。
「変と言えば、最近の江麻ってすっげー可愛く見えるんだ。この前も告白しそうになった」
次の瞬間、孝市は、小都とリアと遠野の3人から殺気と共に睨まれ、再度沈黙した。
その後も、お互い考えたことを言い合ってみたけれど、一向に結論は出なかった。分かったことと言えば、江麻が危ないことに首を突っ込みまくっていて、このままだといつ死んでもおかしくないということだけ。
「どうしよう。こんなことになるんだったら、手伝ってなんて言わなきゃよかった」
陽葵も、動揺は抑えていたが、同じ気持ちだった。おそらく、江麻が経典とやらに関わり始めたのは、自分が願いを叶える神社の話なんてしたからだ。……いや、待て。確か、あの神社の噂話には、代償と、それを回避するための方法がくっついていなかったか。
神社に願う代償としては、頭がおかしくなること。
代償を避けるためには……先に、願いを叶えること。
「江麻が何を願ったか。それを先に叶えたらいい。要は、小都の恋が叶えばいいんだ」
「どういうこと?」
眉を顰める小都に対し、陽葵はやけになって笑って見せた。
「――愛だよ。江麻を引き戻せるかどうかは、小都に掛かってる」
あたしも責任持って最後まで付き合うからさ、と述べ、陽葵は肩をすくめた。




