「えー、江麻ちゃんは、来ませんでした」
【10月28日 月曜日】
放課後、小都がぺたんとうつ伏せになっているのを、陽葵は黙って見つめた。また何か構ってほしそうである。陽葵が何も言わないのを察したのか、小都はそっと顔を上げた。
「江麻ちゃんが告白されました」
「先越されててウケる。ていうかどこから聞いてくんの?」
すると、小都は真顔になって、陽葵をじっと見上げる。
「あ、知りたい? 実はね……」
「やっぱりいい。あんたの「実はね」は聞きたくない。どうせファンクラブのやつらとかだろ。……それで、どうすんの? 断ってくれ、って泣いてすがったりすんの?」
ところが、小都は、ふふん、という顔で胸を張った。そんな表情すら可愛かったので、陽葵は大きくため息をつく。この女が誰かに泣いてすがるのはちょっと見たい気もした。
「江麻ちゃんは、わたしの恋を応援する方が大事だから告白なんて受けてる場合じゃない、って自分から言ってくれました」
「ほんとにそうか? ちょっとフィルター掛かってないか?」
「ほんとにそう言ってたよ。わたし、それ聞いた時、嬉しくて泣きそうになったもん」
「なんで生で聞いたみたいになってんの? どこにいたんだ」
「知りたい? あの掃除用具入れのね……」
「やめろやめろ」
陽葵が耳を両手でふさぐと、塞いだ隙間から小さく続きが聞こえてきた。
「掃除用具入れの向こうあたりの廊下をたまたま通りがかったときに聞いたの」
「よかった。掃除用具入れの中に入ってたのかと。……いやそれ本当にたまたまか?」
「陽葵ちゃん、わたしのことどういう人だと思ってるの? さすがに失礼だよ」
「頼むからちゃんと否定してくれないかな怖いから」
頬を膨らませる小都をよそに、陽葵は一歩距離を取った。そんな陽葵をよそに、小都は宙をきらきらとした目で見上げる。そりゃもうニッコニコしていて、満面の笑顔だった。
「嬉しかったから、秋祭りでは江麻ちゃんの好きなものばっかり食べ歩きしたいなって思ってるの。孝市くんも一緒なんだけど、すぐにはぐれてくれるって」
「だからいちいち怖いんだって言い方が」
「ああ、早く秋祭りの日が来ないかなぁ……!」
【10月31日 木曜日】
「えー、江麻ちゃんは秋祭りに来ませんでした」
「なんかもう知ってたわ。あ、こら、泣くなって」
「だって……だって……浴衣も新調したのに……!」
その後、やけになった小都の大食いに付き合わされ、陽葵は体重が2キロ増えた。
【12月16日 月曜日】
放課後の教室で。小都がバンバン! と自分の机を叩くのを、陽葵は死んだ魚のような目で見つめた。明らかに何があったか聞いてほしそうである。最近忙しくてとんと相手をしてやれなかった間に、色々とあったらしい。
「で、どしたの」
「まず、江麻ちゃんが体育館裏で後輩の女の子と逢引きしてたという噂があります。……女の子とだよ⁉ 男子ならまだ諦めもついたのに、それなのに、どういうことなの?」
まず、という部分で嫌な予感がした。この後いくつあるんだよ、と思いながら、陽葵はとりあえず小都をたしなめる。しかし小都は次第にヒートアップしていった。
「しかもそれが孝市君の教室で喧嘩してた相手で、しばらくしてから一緒にお昼も食べるようになったの! それで、何回か目配せし合ったり、その子はたまに江麻ちゃんの好きなリンゴジュース渡したり、手作りっぽいアクセサリー持ってきたりしてる」
「……それもう付き合ってるんじゃね?」
「あああああ言わないで……! まだ、まだ大丈夫のはず……! 江麻ちゃんが誰かと付き合ったら私にわからないわけない……!」
陽葵は、ガンガンと机に額を勢いよくぶつけている小都を呆れた目で見守った。あのファンクラブ、現亡霊の連中も、この光景見たら半分くらいに減りそうなものだ。1人もいなくなる、と言い切れないのが小都の恐ろしいところだった。
「それにね、江麻ちゃん、いきなり手首に包帯巻いて登校するし。包丁で切った、って明らかに嘘ついてる笑顔で言うんだよ⁉ あんなところ包丁で切るなんておかしいでしょ⁉ 切ったとしたら明らか自傷行為じゃない!」
「だから落ち着けって。あーそういや包帯巻いてた時あったな……でもしばらくして取れたじゃん。なにも傷なんてなかっただろ?」
「違うの」
小都は、はっしと陽葵の制服の袖をつかんだ。そして、そのままぎゅっと握りしめる。
「おいやめろ、皺になるだろ。お前力強いんだから離せって。……で、何が違うんだよ」
すると、小都は、顔を俯かせたまま、小さな声で呟いた。
「江麻ちゃんが包帯を取ったあと、しっかり見てみたの。そしたら、江麻ちゃん、目立たないように、腕にカモフラージュ用のファンデーションテープみたいなの貼ってるの」
「……マジ?」
それが確かなら、何か腕にあるのは確定ではないか。とはいえ……。
陽葵はあらためてまじまじと小都を見つめた。
「よく気づくなそんなこと」
「私が気付かないわけない。だから恋人もできてないってわかるの」
「さっきよりちょっと説得力あるのやめろ」
すると、えへへ、と嬉しそうに笑い、小都はそっと立ち上がる。そのまま、ゆっくりと窓の方に一歩一歩、歩き出した。またなんか自分の世界に入ってんな、と白い目で眺める陽葵をよそに、小都は窓から下をじっと見下ろした。
「クリスマスイブにね、ちゃんとお話するんだ。空いてることは確認済みだし。教会のクリスマスマーケットに行って、お揃いの何かを買いたいなって。江麻ちゃんはいつも自分をカウントしないけど、江麻ちゃんにも幸せになってほしいって伝えたい」
「お、おう。まあ、それ自体はいいことなんじゃね? 応援するわ」
「えへへ、ありがとう陽葵ちゃん。……クリスマスイブ楽しみ!」
満面の笑みで振り返る小都は、確かに綺麗で、「この女にファンクラブがあるのも分かるな」と陽葵は一瞬納得してしまい、直後に軽い自己嫌悪に襲われた。
【12月25日 水曜日】
「えー、江麻ちゃんはクリスマスイブに、来ませんでした。急に用事が入ったそうです」
「イブに用事が入るってそれもう恋人関係じゃね?」
「ああああああ言わないで」
【12月31日 火曜日】
こたつでうつ伏せになっている小都を眺め、陽葵は諦め半分に首を振った。
「ついにあたしもこいつの自宅にまで呼び出されるようになったか……」
こたつの上には、紙で折られたゴミ箱と、中にミカンの皮がこんもりと山を作っている。ゴミ箱の几帳面な折目から、たぶん江麻が作ったんだろうなと陽葵は当たりをつけた。
「で? 江麻とは仲直りしたんでしょ? 良かったじゃん。ていうか転校生とは付き合ってなかったんでしょ? じゃああんたが一方的にキレてただけじゃん。付き合ってても怒るのはおかしいけど。江麻、すげー勢いで追いかけて行ったよ。愛されてるじゃん」
すると、うつ伏せになったまま、小都が地獄の底から聞こえるような低い声で呟いた。
「無視された……」
「え? 何が? 誰に?」
「言ったもん。わたし、言ったもん。孝市くんじゃなくて、本当は江麻ちゃんが一番大事な人なの、あなたが好きです、将来的に結婚してください、同じお墓に入って、って」
「こわっ。すげーねじ込むな。でもそれで無視されるって嫌われてるんじゃ……」
「違うもん! なんか変な車が来て、タイミング悪く大きな音出すから!」
顔を上げて叫ぶ小都は悲壮な表情を浮かべていたが、確かにあまりにタイミングが悪すぎて、陽葵は少し笑ってしまった。
「何がおかしいの⁉」
「いやごめん、いつもうまくいかないなって思っただけ。でもよかったじゃん。結局付き合ってる振りだったんだろ?」
「それはそう。でね、告白しても聞いてもらえなかったから、もう1回言ったの」
「やるじゃん、それで?」
「私で告白の練習したいの? って澄んだ瞳で言われた」
「そこでもちろん押したよな? 練習じゃないって言ったよな?」
すると、小都は、何も言わず、そっと目をそらした。陽葵はそれを見て察する。
陽葵がジト目で小都を見つめていると、小都はむくれながら、こたつの上のミカンに手を伸ばした。まだ食べるつもりらしい。やけ食いかもしれなかった。
「その話はやめよ。それより、江麻ちゃんについて、いくつか気になる目撃情報があるの」
「おう、なんだなんだ」
「まず、江麻ちゃんが夜遊びしているという噂があります。他にも、金髪の女の子とデートしてたとか、公園で誰かとデートしてたとか。結局、後輩の子と教会でデートしてたとか」
「女とデートばっかりじゃん。もう真面目からかけ離れてるよね」
江麻のイメージ変わりそうだわ、と呟きながら、陽葵もミカンに手を伸ばす。すると、小都が、真剣な顔で手元のミカンを見つめているのに気が付いた。
「真面目だと思う」
「……ん? なんで?」
「江麻ちゃんが変なことするのは、いつも、誰かのために何かしようとしてる時だから」