「江麻ちゃんってさ、ひたすら残酷だよね」
そして、しばらくして、小都が復活した。しかし、どうも様子がおかしい。ぶんぶんと首を振ったり、ぺちんぺちんと頬を引っ叩いている。明らかに奇行なのだけれど、私は見ないふりをした。仲直りできただけで、今は十分ではないか。
すると、小都が近寄ってきて、がっしりと私の両肩を掴んだ。
「えっ……な、なに?」
「江麻ちゃん、好き」
あまりに真剣な表情なので、私もじっと小都の顔を見つめる。小都の瞳に私が映っているのが分かるくらい、近い距離だった。
「……う、うん。私も小都のこと好きだよ」
「そうじゃないの」
「小都は一番の友達だと思ってる」
そこで、小都はがっかりしたように目をそらした。……あ。ひょっとして。
「……告白の練習したい感じ? 私でよければ付き合うけど」
「付き合う⁉」
「練習にね」
「……うん」
「じゃあ、江麻ちゃん的点数を教えてね。シビアに言ってくれていいから」
「よしこい」
私が両手を広げると、小都は胸に手を当て、すーはーと大きく何度か深呼吸をした。そして、まっすぐに私を見据える。
「江麻ちゃんのことが好きです。付き合ってください」
「70点。悪くはないけど、前に告白された人と被るからちょっとマイナス」
次に、小都は、さらに近寄ってきたかと思うと、私の頬にそっと手を当てた。
「江麻ちゃんのこと絶対に幸せにするから付き合って」
「50点。私、自分のことは自分で幸せにしたい派だから」
さらに、小都は、ぎゅっと両手を握り締め、振り絞るように叫ぶ。
「初めて会ったときから。江麻ちゃんのことが、ずっと、好きでした」
「90点! そういう積み重ね感じるのっていいよね。ところで、これって私に対してじゃ駄目なんじゃない? ちゃんと、本命に向けて言う感じじゃないと」
すると、小都は数分ほどもじもじした後、耳と頬を真っ赤にして「……言えないよ」とだけ、小さく言った。その表情は、今日見た小都の表情の中で、一番可愛らしかった。
しかし、小都の告白はどれも感情がこもっていた。まるで……本当は、私のことが、好き、みたいな。頭の隅に浮かんだそんな考えを、私は、頭をそっと振って追い出す。小都は孝市のことが好きだって、自分で言ってるんだから。変なことは考えない。
(1月6日 月曜日)
3学期の始業式の日。もういつの間にか、ホワイトデーまで2か月半しかない。それなのに、小都と孝市の仲は全くと言っていいほど進展していない。私も焦ろうというものだ。
「それで、分かったことってなんなんですか?」
私は、河原崎さんに屋上に呼び出されていた。屋上は身を切るほど冷たい風が吹き抜け、見下ろすグラウンドにも誰の姿もない。ポケットに入れたカイロでこっそり防寒している私でも、ここに長くいるのは厳しそうだった。
一方、河原崎さんはいつもと同じように、面白そうに笑みを浮かべながら、私を見下ろしている。たぶん彼には、気温を感じる機能が搭載されていないのだろう。
「江麻ちゃんってさ、ひたすら残酷だよね」
「なんでですか⁉」
いきなりぶつけられた誹謗中傷に、私は大いに憤慨した。しかし、河原崎さんは動じず、何やら指折り数え始める。
「実は運動が得意だったり、最新の彼女にしたいランキングで学年4位に食い込んだり」
……後者は初耳だ。
「色んな所で注目されて。全部、下迫さんにとっちゃ非常に恐ろしいことだ。不安で夜も眠れなかったんじゃないかな」
「小都の方が何でもできるんですけど? ピアノとかバイオリンとか茶道とか」
すると、「そういうことじゃない」と河原崎さんは小さくため息をついた。まるで、出来の悪い生徒にどうやって指導しようか悩んでいる若手の先生のようだった。
そして、私がさらに小都のいい子さを伝えるべく、孝市を毎朝起こしにくる話をすると、河原崎さんは、なるほどね、みたいな顔をした。
「健気だね。ちょっと遠回りだけど」
「そうでしょう。……遠回りですかね? この上なく直接的だと思いますけど……」
「気の毒になるくらいだよ」
真剣な顔で、河原崎さんは深く頷いた。
「そうそう、俺からも言っておくけど、屋根を伝って孝市の部屋に行くのはやめた方がいい。いろんな人の精神衛生上、よくないと思うよ」
私は、そっと目をそらす。確かに、最近は孝市の部屋に屋根伝いに行ってはいない、けれど。私はこっそり、心の中で懺悔する。……この前、小都の部屋にもベランダから入りましたよ。あと私の部屋にも、吸血鬼の子が窓からよく入ってくるようになりました。
「近所の人が見たらびっくりしちゃいますもんね」
「うん、もうそれでいいよ……ところでさ」
話しながら、河原崎さんがポケットからチョコレートを取り出し、口に入れた。
あ、あれは限定のチョコでは。女性に人気のお店の、行列で手に入らないって噂のやつ。
「ちょっとくれませんか」
「駄目、これは俺がもらったんだから。報酬だよ」
河原崎さんのポケットになぜそんなものが入っているのか。私は疑問を抱いたけれど、それ以上何も言わなかった。きっと彼には貢いでくれる女子生徒がたくさんいるのだろう。
そして、河原崎さんは突然、ぴたりと笑うのをやめた。
「江麻ちゃんはさ、なんでそんなに下迫さんの応援をするの?」
「いけませんか?」
「駄目じゃないけど。それでも、普通はそこまでしないと思うんだ」
なぜ、小都の応援をするのか。河原崎さんから聞かれ、私は改めて考えた。迷走しまくっているような気はするけれど、小都を応援しようと思った気持ちに、変化はない。最初に「好きな人がいる」と打ち明けられた、あの時から。
あの時、小都には、誰も味方がいないような気がしたのだ。大げさに言うなら、世界にたった一人だった。そんな親友を想像して、私だけは味方になろうと思い。自分に出せるものなら、何でも差し出すつもりだった。それは、今も変わらない。
「……なるほどね」
それを聞いた河原崎さんが、最後に貯水槽の方にちらりと視線を向けた気がした。
教室に戻ると、小都の姿がなかった。しばらくして姿を現した小都は、唇が紫でなぜかプルプル震えていて、しかも手がすごく冷たかったので、カイロをたくさんあげた。
「ありがとう、江麻ちゃん」
そうお礼を言う小都の頬は、いつもより5割増しで赤かった。
(1月25日 土曜日)
いつも通り、リアにちゅーっと血を吸われていると、小都が私の部屋にやってきた。間の悪いことに、リアにちょうど正面から抱き着かれ、首筋に吸い付かれている時だった。
小都は一瞬固まり、リアをじっと睨みつける。まるで視線で人が殺せそうな鋭さだった。
「……何してたの?」
「えっと、その、寂しいんだって。この子、外国から来たらしいんだけど、あんまり知り合いがいないみたいで! あっちではハグも当たり前なんだって」
「へー。ふーん。そう。江麻ちゃんそういうの好きだもんね。捨て猫に餌あげるの」
なんだか妙な言い訳だけ出てくるようになった気がする。小都の言い方もすごくとげとげしいし。小都が私に食って掛かっている間に、リアはそそくさと去っていった。
そして、一通りお説教が済んだ後。小都がトイレに立った隙に、私は首の噛み跡が目立たないようにテープを貼った。すると、戻ってくるなり、小都が目をすっと細める。
「首、どうかしたの? さっきまでなかったよね?」
「ち、ちょっと虫に刺されたみたいで」
「虫、虫かぁ……。猫じゃなくて?」
「えっ猫って刺すの?」
すると、ギリギリと歯を噛みしめる音が聞こえた。他人に聞こえる歯ぎしりってヤバいと思う。小都にはもう少し歯を大事にしてほしい。永久歯って生え変わらないのに。
ともかく、あと2週間ほどでバレンタインである。そろそろ作戦会議といきたい。久々にコメント集合! 私が号令を掛けると、頭の中にいつものコメント達が流れてくる。もうだいぶこれにも慣れてきたな……。
とりあえず、決まっているのは、私と小都でお菓子作りをして、小都が孝市に渡そう、というところまで。本番はホワイトデーとはいえ、バレンタインの反応は非常に重要だ。
『そもそも、ホワイトデーで告白する場所ってどこがいいんですかね?』
《場所なんかどこでも成功するだろ※》
『なんですかそれ? その※って』
《場所なんてどこでも成功するだろ※ただしイケメンに限る、ってことだよ》
《つまりは但し書きだな》
『そういえば携帯電話の契約書にもやたらありますよね。字が小さくて読むのに時間かかりますけど』
《しっかり読んでて草》
《あれ読む人いるんだ……》
(2月13日 木曜日)
小都が、「ホワイトデーに告白する」とはっきりと言った。迷いのない顔だった。
「ずっと側でいるだけでいいって、思ってた。でも……二人が付き合うかもってなったら、いてもたってもいられなくなって。……江麻ちゃんにはわからない? そういう気持ち」
「私、まだ恋とかわからないからなぁ……あ、でも孝市への気持ちが友情だっていうのはわかるよ? 私、友情と恋愛感情の区別はつくし」
「2人が付き合うかも」の「2人」に私が入っているような気がしたけれど、とりあえず触れないようにして、私は答えを返した。うん、そうだ。さすがにもうそろそろ私と孝市の間には何もないって、小都もわかってくれてるはず。
すると、小都はふわりと笑った。
「そうだよね、江麻ちゃん、言葉にするのは苦手だけど、分からないわけじゃないもんね」
こんな風に、誰かに大事に思われることを、少し羨ましく思った。これが、恋するってことなのだろうか。「私にもいつか訪れるのかな?」って私が呟くと、小都が食い気味に肯定してくれた。
「江麻ちゃんにもそういう人が、絶対いるから」
「う、うん」
よかった。大事に思ってくれる人は、少なくともここに、1人いる。
「私と小都は、ずっと、一番の友達だもんね」
「…………うんっ」
(2月14日 金曜日)
最近、孝市と小都がよく一緒にいるようになった。今日も、作戦会議だと言って2人で帰り、私は入れてもらえなかった。小都が、私ではない他の友人と一緒にいることも多くなった。それが、以前とは違って、なぜか妙に疎外感があった。例えるなら、みんながみんな卒業するというのに、私1人だけぽつんとここに置いていかれてるみたいな気分。
私が屋上から見下ろすと、孝市と小都が肩を並べ、一緒に帰っているのが見えた。少し前なら、当たり前のようにあそこには自分が混ざっていたのに、今はもう、違う。
「ねえ、もし2人が付き合ったらさ」
後ろからいきなり声が聞こえたので、私はびくりと身を震わせた。河原崎さんだ。
しかし、真面目な口調だったので、私はいつものように怒らなかった。
「江麻ちゃんは、また3人で遊ぶの?」
「いいえ、しばらくは2人にしてあげようかと」
そりゃ3人で遊ぶのもあるだろうけど、数は減るかな。気を遣わせちゃいそうだし。2人でやりたいこともありそうだったから。間に挟まるのはやはりよくない気がする。
「寂しくない?」
「いいんです」
「俺と遊びに行く? 気分転換にはなるでしょ。どう?」
「……はい」
「あれ? 素直だね。……寂しい?」
答えず、空を見上げた。冬の空はどんよりとしていて、見上げても気分は一向に晴れなかった。……そうか。もう、夏の終わりに小都が相談してきてから、半年経ったんだ。
私は、心の中で、さっきの河原崎さんの疑問、「寂しくない?」に対する返事を呟く。
……私は。最近、自分がどう思ってるのか、よく、わからないのだ。