梨はそのまま食べるのが一番おいしいと思う
「私、暇だよ。手伝おうか?」
「あなたなんかに手伝ってもらうことなんて……!」
憤るように吐き捨てる遠野さんに、私は自分が背負っているリュックを指さした。
「ここに偶然、塩が10キロあるんだけど、役に立たないかな?」
「なんでそんなものあるんですか⁉」
「昨日帰りにスーパーで買って忘れてたの」
「重さで気付くでしょ……! でも、これだけあれば……!」
遠野さんが目を輝かせる。孝市は家庭科室に置いてあった食卓塩で三十分粘ったらしいので、それに比べたら天と地の差だろう。彼女は、なぜ買い物の翌日も私がリュックで来ているのかという根本的な違和感に気づかないくらいには追い詰められているらしかった。
そして、彼女は何かを決心したように顔を上げ、私にすがるような視線を送ってきた。
「あの! 信じてもらえないかもしれないんですけど、実はあたし、霊媒師で」
「うん。知ってる。5歳の時からなんだよね。偉いよねえ」
「その、この学校の近くに、よくない霊がいる場所があって……!」
「ちょっと向こうにある空き地だよね。江戸時代は処刑場だったんだっけ?」
「それで、あたしは霊が見えないんですけれど、塩を撒けば変色したところに霊がいるのが分かるだろって、以前に孝市先輩がヒントをくれたんですけど……!」
「でも封印の術に集中しないといけないから、注意を引き付ける人が必要なんでしょ?」
そこで、遠野さんはいったん口をつぐんだ。そして、困惑の表情で私を見つめた。
「さっきから話が早すぎる……! 孝市先輩から何か聞いてました?」
「聞いてたら孝市は今日帰ってないと思うなぁ」
すると、遠野さんはガリガリと頭をかきむしった。そばで見ていた私は、あんなに勢いよくむしってハゲないだろうかとちょっぴりハラハラする。
「それで、引き付けてもらう時間なんですけれど……分からないけど、たぶん長くて……」
「15分逃げ切ればいいんだよね?」
「もう、あなたが言うならそうなんだと思います」
諦めたように言う遠野さんの顔には、なぜか疲れが滲んでいた。
てくてくと空き地に連れ立って歩きながら、遠野さんは身の上話を簡単に聞かせてくれた。彼女が仲良くした相手は霊に狙われやすくなるらしく、それでずっと1人で過ごしてきたそうだ。そして、遠野さんは、何か期待を込めた視線で、私を上目遣いでじっと見つめた。
何を求められてるんだろう、と戸惑った後、私は自信がないまま口を開く。
「あの、お守りをね、相手にあげたら霊は払えるよ。遠野さん、道具作るの得意でしょ」
すると、ぱあっと遠野さんの顔が明るくなった。やはり解決法を求められていたらしい。迷ったもう1つの選択肢である「なら私と友達になろうよ」を口にしなくてよかった。うん、確かそう。原作だと遠野さん印のお守りは学年を席巻するまで撒かれていたはずだ。
そして、私達は目的地に到着した。空き地は、周囲にススキがびっしりと生い茂っており、黒い地面が見えているのは、中央の半径二十メートルほどだけだった。確か、囮は地面を見えているところだけで霊を引き付けないといけないとコメントでは見たから、思っていたより範囲が狭い。
一面の黒い砂地が、ゆらゆらと揺れるススキの目の覚めるような白と対照的で、霊感が無くても何か不吉なものを感じさせるような場所だった。
「じゃあ、私はあそこの地面に塩を撒けばいいんだよね。……でも、塩なんて撒いたら土地の持ち主に怒られない? 今更だけど。草木に悪そう……」
「さっき清めたじゃないですか。大丈夫です、今は見た目が塩なだけでもう別物です」
あっさりと言い、そのまま空き地に彼女は足を踏み入れていった。私も慌てて後を追う。
「遠野さんは空き地の外で準備してたらいいよ。私が囮になるから」
「結界を張らないといけないので、あたしも途中までは一緒に入りますよ……すぐ、襲ってきます。気を付けてください」
そして、その後はおおむね、原作と一緒の流れで進んだ。やはり相手の姿が見えないので、私は少しでも嫌な予感がすれば左右に飛び跳ね、ひたすら地面に転がった。霊の形と攻撃方法を聞いておいたのが幸いだった。確か、鎌で水平に薙ぎ払ってくるのと、鋭い角で突くのが武器だったか。あとは、布を巻き付けて呪ってくる奥の手があるんだっけ。
しかしいかんせん見えないので、避けられたのかどうかも分からない。この状態で食卓塩で15分逃げ切った孝市は、やはり主人公なのだと思う。
私が反射的にしゃがんだ上を、何かが勢いよく通り過ぎていく。見えないのに、明らかにその気配は死を感じさせ、体が震えた。それでも、私は無理やりに心を奮い立たせる。
「先輩、もういいです! もう、そのうち、死んじゃいますよ……!」
「死なない! いい、私はねえ! 幼馴染が勝つところを見るまでは死ねないの……!」
そう叫んだとき、腕に何かがしゅるりと巻き付く感触があった。同時に、ボッ、という轟音とともに、光の奔流が眼前を焼き尽くす。チカチカする視界の中で振り向くと、輝く弓を構えた遠野さんの姿があった。そして、彼女がほっと息をついて腕を下ろした瞬間、弓はぱぁっと光になって消滅した。
「えっと、これで無事解決? いたっ……」
ズキリとさっき巻き付かれた腕が痛む。見ると、黒い縄のような跡が手首を一周するようについていた。遠野さんが駆け寄ってきて、真っ青になった。
「これ、呪いです。怨霊が消える前に相手に残すもので、最悪の場合、死に至ることも……。……ああ、どうしよう……」
……そういえば原作でもそんなシチュエーションがあったっけ。孝市の腕に刻まれた呪いに責任を感じて、遠野さんはそれから孝市のそばを離れないようになるのだった。
「まあ、特に何も起こらないと思うよ。少なくともあと五十年くらいは」
確か、原作でもそれくらい先まで描写されていたはずだ。結局、孝市の身には何も起こらなかった。そして、2人はいつのまにか、呪い関係なく、ともに人生を歩む存在として互いを認め合うことになる。ギリっと私は奥歯を噛みしめた。その話の裏には、微笑みながらも涙した小都が必ずいたはずだからだ。
「い、痛みます……?」
「ううん、ちょっと嫌なことを思い出しただけ」
「今のタイミングでですか? ごまかし方すごく下手ですね。あたしのせいなんで、せめて手当はさせてください。あと、何でもします。お願いです、埋め合わせさせてください」
そして、別れ際、遠野さんの好物であるという梨ジュースのパックを渡すと、なぜか彼女はじりじりと数歩後ずさった。
「あたし、今日も含めて、何度も怪異とは相対してきました。でも、あなたが一番怖いです。ちなみになんで梨なんですか? あなたが好きとかだとまだ安心できるんですけど」
「私はりんごジュースの方が好きかな。梨はそのまま食べるのが一番おいしいから」
「怖い怖い怖い」
(10月31日 木曜日)
翌日、結局秋祭りに行けなかったことで頬を膨らませる小都をなだめていると、私の机の上に、通りすがりの誰かが、ポンと何かを置いた。視線を上げると、誰もおらず、パックのりんごのジュースとお守りだけが、ぽつんと置いてあった。
《よくやった。懐いたら可愛いもんだぞ》
《犬系後輩ちゃんだもんね》
《犬なのは変わらなくて草》
そしてこの日から、遠野さんも一緒にお昼を食べるようになった。どういう経緯なのか小都に滅茶苦茶聞かれたけれど、ごまかした。同時になぜ手首に包帯を巻いているのかも聞かれたので、そちらも適当に言い繕う。とりあえず、「料理中に失敗しちゃって」と言うと、何も言わずに引き下がってくれた。腕は、何かファンデーションででも隠しておいた方が良さそう。
しかしそれより、私には気になっていることがあった。秋祭りである。
「どうだった? 屋台とかもいっぱい出てたんでしょ?」
「うん、いちおう回ったけど……江麻ちゃん、なんで来なかったの?ずっと待ってたのに」
すると、視界の端で遠野さんが軽く頭を下げてきたので、私はぶんぶんと首を振る。どちらにせよ行かないつもりだったので、何も問題はないのだ。せっかくなので孝市にも、2人きりで回ったお祭りの感想を聞いてみる。
「まあ、普通だったよな。結構すぐ帰ったぞ」
話によると、なんと小都は浴衣を着てきていたらしい。……浴衣! そんなの私も見たことないのに。浴衣の同級生とお祭りデートをしてきたとは思えないほどあっさりと感想を口にする孝市を、私は信じられないものを見る目で見つめた。別段照れ隠しのようにも見えなかった。
放課後、河原崎さんからも「仲良さそうに歩いてたけど、それだけだったよ。知人の距離感だったね」と報告があった。なぜ彼が知っているのかはともかく、あまり進展はなさそう。
『小都があんまり直接アプローチしたがらない理由って、なんでしょうか』
《自信がないんじゃない?》
《どんどん褒めてやれ》
そこでさっそく、小都と、私の部屋で定例となった作戦会議を行った。褒める、か。よし。まずは、小都が最近上達してきたお菓子作りの腕を、コーチとして十分に称賛しよう!
「昨日小都が作ったお菓子おいしかったよ! 大好き! 毎日食べたい!」
その瞬間、小都はなぜか口をつぐみ、一瞬で真顔になった。美人の真顔って、怖い。




