『料理上手のメシマズって感じだね』
私は続いて、孝市の母に連絡した。これからしばらく、私が孝市の食事を作ります。新しいメニューに挑戦していて、いろんな人の感想が欲しいんです。と、嘘はついていないが大事なことも言っていない文面を送る。何事も、外堀を埋めるのは重要である。
共働きである孝市の母は、即座にOKをくれた。むしろ「うちのバカ息子の食事の面倒を見てくれるなんて」と感謝までされた。その後来た「うちに嫁に来ないか」というお誘いには丁重にお断りを入れておく。仕上げに孝市に連絡し、しばらく私が夕食を作りに行くこと、私がカレーを、小都がクッキーを作ったから持っていくということを伝える。
「ねえ、これ、本当に持っていくの?」
小都がおずおずと切り出した。小都の言う「これ」が指すのは、どうもカレーの方らしい。小都の作った、ちょっと形の揃っていないクッキーを持っていくのが恥ずかしい、というわけではなさそうで何より。せっかくなので、初めて作ったクッキーは是非孝市に食べてほしい。私も試食で何枚か食べさせてもらったが、味には全く問題がなかったから。
「おいしくないって言われたら今日でやめるよ。あとは孝市次第かな」
「……孝市くんが、おいしいって言ったら……?」
「さあ行くよ!」
そして、嬉しそうに玄関を開けた孝市は、私が持ってきた鍋の中身を見て、非常に困惑した表情を浮かべた。まるで、クリスマスプレゼントの中身が漢字ドリルだったときの小学生みたいな顔だった。まあまあ、と私はそのまま孝市を座らせ、さっそくカレーを皿によそう。ふふふ、と不気味に笑うことも忘れない。
孝市の向かいに座り、両肘をテーブルにつき、私は孝市をじっと見つめた。どこか居心地が悪そうだった孝市も、しばらく固まって皿を凝視していたものの、諦めたような顔でスプーンを手に取った。……そして。
「どう?」
「色が鮮やかすぎて脳がバグる。かき氷のブルーハワイでしか見たことない色」
「おいしい?」
「まあ、うまいはうまい……けど……ってなんだその笑顔……?」
今回の条件その一「味は良いこと」がクリアーされたことを確認し、私は満面の笑みで頷く。それを見て、孝市は引きつった笑みを浮かべた。隣で状況を見守っていた小都は諦めたように天を仰ぎ、そっと目元を片手で覆う。
「おいしいんだね、分かった」
「なんだろ、俺すっげえ嫌な予感してきた」
……いつも孝市が言う、「江麻って料理上手だよな」の発言はその日は結局出てくることはなかった。もちろん「変わり映えしない」も。
帰宅した私は、満足とともに頷いた。いい感じである。少なくとも、今日起こるはずだった悲しいイベントは回避された。
さて、それでは、これから先の行動予定を組まねば。他のヒロインとのイベントを肩代わりするために必要なものは、いったいなんだろうか。
まず、体力がないと不可能だろう。だが、小都はおそらく私が体力作りを始めたことをすぐに察知しそうな気がする。なぜかはわからないが、小都は私の行動を把握するのが得意なのだ。そうすると、言い訳というか、理由をあらかじめ作っておいた方が無難か。
私はちらりとカレンダーを見て、1人で頷く。体育祭とか、どうかな。
(9月20日 日曜日)
翌日。私は、緑のゆで卵を試作した。瞬きをせずにゆで卵を見つめていた小都は、私の額にそっと手を当てながら首をかしげた。あ、熱はないんだ……と小さく聞こえた気がする。たぶん正気を疑われてる気がするけど、安心してほしい。ちゃんと理由があるのだ。
「ねえ江麻ちゃん、なんで緑なの?」
「朝の占いで、孝市の今日のラッキーカラーが緑だったから」
見ていないが占いのどれか1つは緑だろう。ところが、小都は困ったように俯いた。
「これを食べさせられる人はその時点でラッキーではないと思う……」
「え、なんて? よく聞こえなかった。見て見て小都、これ、自信作かも!」
私が笑顔で真緑のゆで卵を差し出すと、一瞬考え込んだ後、小都はぱっと笑みを浮かべた。
「……さすが、江麻ちゃん! すごく目に良さそう! 信号機みたい!」
そして、それから毎日、私の家にやってくる小都と一緒に、わいわい言いながら孝市のカラフルな食事を作った。一緒に夕食を囲みながら、3人でリビングでだらだらお喋りしながら過ごす。今回の食事作戦を通じて、孝市の家の合鍵を手に入れたし、小都も得意メニューが増えた。いいことづくめの作戦のように思えた、が……。
《なんか違わないか……? いや、合鍵の件はよくやったと言いたいが》
《孝市がひたすらかわいそうなだけで草》
《料理上手のメシマズって感じだね》
《一行で矛盾するのやめろ》
《結局、小都ちゃんも江麻ちゃんにダダ甘で草》
《お前が止めずに誰が止めるんだよ》
どうやら、みんなの反応を見る限り、駄目だったらしい。確かに、ちょっと何か間違ってるかなという気はしていた。
ふむ、と私はもう1度、やるべきことを振り返ってみた。幼馴染のイメージから脱却する、はとりあえず置いておくとして。次にやるべきは、体力作りだろうか。
目をぱちりと開け、私はベッドの上で立ち上がった。
「さて、じゃあ走ってこようかな」
(9月21日 月曜日)
朝、起きた私を襲ったのは筋肉痛だった。昨晩、とりあえず5キロくらい走ってみたが、すぐに息切れが訪れ、半ば無理やり走り切った。夜道を走るのも怖かったし。明日からは朝に走ろうと心に誓う。代わりに10キロ走るから勘弁して、と誰に言うでもなく呟いてみたり。
そのまま、孝市を起こしに来た小都と、孝市と、3人で登校する。いつもは孝市、私、小都の3人で並んで歩くのだけれど、今日はさりげなく歩みを遅くし、孝市と小都の2人で歩く後ろを私が追うという形を取った。あと、純粋に足が痛くてゆっくりとしか歩けなかった。
そっと振り向いてくる小都に、私は「どんどん行け!」というハンドサインを送る。困ったような顔をした小都は、それでも隣の孝市と笑顔で話し始めた。この光景を守らなければいけない。
そして、その日のホームルーム。担任の浦木先生はどこかおどおどした様子で、私たちを見回した。先生なんだからもっと自信を持てばいいのに。浦木女史は元から活発な方ではなかったものの、最近特に元気がないように見えるのだ。大丈夫だろうか。
「次、ですね。体育祭の1500m走に出たい人、いますか?」
その問いかけに、教室のあちこちから、控えめなブーイングが飛んだ。
「疲れるだけでしょ。罰ゲームじゃん」
「誰がやりたいんだよ。また1500mって微妙に長いし」
ブーブーと揺れる教室の中で、浦木先生は困ったようにおろおろとした。ちなみに、陸上部は公平性の見地から陸上競技への参加を自粛という形になっているため、推薦という名の押し付け合いが行われるのがこれまでの常だった。……よし、ここだ。
私がさっと手を挙げると、浦木先生はびくりと身を震わせた。
「は、萩森さん? どうしたんですか? また体調でも悪いんですか?」
「私、出たいです。誰も出ないなら、いいですか?」
浦木先生がクラスの全員に確認しても、みな一様に頷くだけだった。私は立ち上がり、周囲に笑顔で一礼する。すると、浦木先生がこわごわといった感じで念を押してきた。
「本当にいいんですか?」
「任せてください。私、目立ちたくて仕方ないんです」
その瞬間、小都と陽葵が振り向いてじっと私の方を見つめてきた。……な、なに?
(9月22日 火曜日)
ピピピピ、という電子音で目を覚ます。「4時15分」という表示が目に入ってきたので、しばらくぐずぐずと布団の中でもがいた後、私はゆっくりと身を起こした。今日から朝に走りに行かねばならない。とりあえず10キロ走るという目標を立ててみたが……。
やってみた結果は……「しんどい」の一言だった。布団の暖かさは最後まで私を放そうとしなかったし、起きてすぐ運動したことで、脇腹はズキズキと痛み続けた。走っている間中、待遇の改善を訴え続ける脇腹をさすりながらの10キロは、それはもう長かった。1キロ時点で絶え間ない吐き気が、5キロ時点でくらくらとした眩暈が襲ってきて、最後は走っているというより、前に向かって倒れ続けていたというのが正しい。完走できたのは意地以外の何物でもなかった。当然、その後の朝食も喉を通らなかった。
そして、いつもの通り3人で登校したものの、私は自然と2人から遅れる。足が痛すぎて離されるのだ。小都が時折振り向いてそのたびに待ってくれたが、限度があった。
登校後、小都が心配そうな顔で、ぐったりと机に伏せている私の元までやってくる。
「江麻ちゃん、大丈夫? なんでそんな朝から元気ないの……?」
走る距離が長ければ長いほど、みんなの視界に映る時間が長いかと思って1500m走を選んだけれど、確かにいきなりすぎたかもしれない。だが、今後のイベントを見ると、どれも体力勝負になるのも確か。今走っておかないと、私も含めて生き残れないだろう。全ては幼馴染の勝利のため。なら、このくらい、問題はないのだ。
「なんでもない。でも、これは必要なことだから。見てて小都」
その日から、小都と孝市の後ろをひょこひょこついていく私、という図が見られるようになった。
そして、後日、来たる体育祭。
私は小都と孝市の応援を背に、圧倒的な走りを見せ、あっさりと個人1500m走で1位を勝ち取った。練習の成果と気迫だろうか。
《お前のような地味キャラがいるか》
《地味の定義壊れてきてて草》
《あとさ、頑張ってるとこ悪いけど、目立つってそういうことじゃなくない? もう少し色っぽい展開とかにできないの……?》
《ていうかよくそんな努力できるよね。関係ない第三者でしょ?正直ちょっと怖いよ》
『友情です』