プロローグ
幼馴染み(おさななじみ):幼少期の顔馴染みの事。子供のころに親しくしていたこと。また、その人。創作物においては異性であること(※1)が多い。「幼なじみ」と表記する事もある。恋愛をテーマとした創作物(小説、漫画、ゲーム等)では負けフラグ(※2)とされている。
※1 本来は同性・異性を問わない、いわゆる「竹馬の友」を指す言葉である。
※2 特に漫画や恋愛ゲーム等においては、主にメインヒロインの当て馬にされ敗北することが多いとされる(要出典)
≪第一章≫
(9月1日 水曜日)
私、萩森 江麻には、幼馴染が2人いる。そして、この2人、というか、その関係性が……最近、私の頭をしきりに悩ませていた。
まず幼馴染1人目、下迫 小都。名前からは少々分かりにくいが、れっきとした女子である。可愛らしい見た目と、誰にでも親切で優しい性格、いつも笑顔で柔らかい物腰。だからだろうか、男子生徒からの人気はなんと堂々の学年1位であるらしい(※どういう集計方法かは不明である)。一説によると、小都を狙っているという男子は、この学校内でも実に三十名を下らないのだとか。……三十名。なんとも恐ろしい。もはや1クラス分ではないか。
次に幼馴染2人目、相宮孝市。名前から分かる通り、男子である。帰宅部ではあるが、スポーツ万能であり、好奇心旺盛な明るい性格。隣のクラスなのだが、そこではムードメーカーらしく、いつも話題の中心である。顔だってまずくはない。
私は、窓からそっと外を見下ろした。ちょうどその小都と孝市が、下の小道を歩いているところだった。2人は肩を並べ、時折相手を突っついたりしながら、顔を見合わせて笑っている。……青春である。どう見ても、お似合いであった。私はそっとため息をつく。
早くあの2人、付き合えばいいのに。
もう、かれこれ3年くらいはあんな距離感である。友人以上、恋人未満というか。
付き合ったらたくさんお祝いしてあげるのになぁ、と思うのだが、外野がどうこう言う話でもない。だが……さすがにもう少し進展があってもいいんじゃないだろうか。推定30名以上の小都ファンが怖いというなら、なんなら私が親友として代わりに戦ってもいい。
私がずっと窓辺にいるのが気になったのか、友人の陽葵が、後ろからひょいと窓の外を覗き込んできた。そして、不思議そうな声で呟く。
「あの2人さ、お似合いだよね。なんでとっとと告らないの?」
「……陽葵、十五人くらいと戦った経験ある? 手伝ってほしいことがあるんだけど」
「その入りで『うん』って言う奴いる? もうちょいあんたは考えて物を言った方がいい」
後半は聞かなかったことにするとして、今の会話で分かったことがある。2人の関係性が進まないのはやはり万人の疑問らしい。考え込む私を見て、陽葵はケラケラと笑った。
「ま、小都って今日の昼休みも告られてたもんね。今月何回目だっけ」
「まだ1回目だよ」
「あ、そっか。もう月変わったもんな。一瞬「あれ少なっ」って思った自分が怖いわ。ちなみに江麻は? 通算で」
「母親曰く、幼稚園の時に友達から『大きくなったら結婚しよう』って言われたことがあるらしいよ。私は覚えてないけど。陽葵は?」
「聞くな友よ」
陽葵はおどけたようにくるりとその場で回った。そして、「まーそうだよね、はよ付き合えってあたしも思ってるもん」と楽しそうに呟いた。
「ならさ、江麻、最近噂の神社でも探してみたら? あっさりくっつくかもよ」
「……神社が噂になることあるの?」
「本当に願いを叶えたい人にしか見えない神社があるんだと。何でも叶えてくれるってさ」
にやにやと何かを企んでいるような笑みを浮かべ、陽葵はじっとこちらを見つめた。私は、そっとため息をつく。これは、もう少し真面目な話なのに。
「お手軽でいいね。この町にそんなファンタジーなものがあるとは知らなかったけど。ゲームじゃないんだから、そんな便利なものがあるわけ……」
「お手軽じゃないよ」
いつの間にか笑うのをやめ、真顔になった陽葵が、重々しい声で呟いた。その雰囲気の変化に、思わず私はごくりと唾をのむ。
「ど、どういう意味?」
「願いが叶う代わりに、たいてい頭がおかしくなっちゃうんだって。知っちゃいけない世界の真実を無理やり突きつけられるんだとか……」
「代償があるタイプかぁ」
「代償を回避するためには、自分で願いを叶えるしかないんだと」
「もうそれって呪いだと思うし、自分で叶えられるならそもそも願わないでしょ」
万一見かけたらお祈りしてもいいかな、と途中まで思っていた私は、あっさりと諦めた。それはもはや神社というか、景品付きの爆弾とかそういう類のものではないか。
その日の夜。ベッドに入って真っ暗な天井を見上げた私は、急な不安に襲われた。
「えっ? なんで陽葵はいきなりそんなの勧めてくるの? 怖いんだけど」
(9月2日 木曜日)
「ねえ、江麻ちゃん。……好きな人って、いる?」
放課後、他に誰もいない教室で。小都が突然口にした台詞に、私は少し戸惑った。
なぜなら、小都のその言葉が出たのは「食堂の秋メニューに鮭のホイル焼きは入るのか」という話をしていた最中だったからだ。担任から頼まれた書類整理の手を止め、私は小都の顔を思わずじっと見つめた。
ところが、小都は口元をぎゅっと引き締め、何やらひどく真剣な顔をしていた。どうやら真面目な話らしい。そこで私は、さっきより慎重に、言葉を選びつつ口を開く。
「好きな人はいないけど……何、急に」
「…………」
返ってきたのはあまりに重い沈黙だった。そして、小都は困ったように眉をへにゃりと下げる。まるで、怒られているときの犬みたいな顔だった。……どうしてそんな深刻そうな顔をするんだろう。私に好きな人がいないのがそんなに駄目なの……?
ともかく、この快活そうな親友が実は気持ちを言葉にするのが苦手なことは知っていたので、しばらく待ち、それでも返事がなかったので、助け舟を出してみた。
「好きな人でもできた?」
「……どうなんだろ……」
『そういやこの前、孝市も彼女欲しいとか言ってたな』と何となく隣に住んでいる幼馴染のことを思い出す。そういう季節なのかな。いやこれは、まさか、ついに、だろうか……! 私の心の中で、ドゥルルルル、という、ドラムロールの音が鳴り始める。
そのまま、窓の外にちらりと視線を向けてみた。開け放たれた教室の窓からは、運動部の掛け声が、ふぁいおーふぁいおーとかすかに聞こえてくる。中庭に植えられた木がさわさわと揺れ、教室の中に吹き込んでくる風に含まれるわずかな涼しさが、この夏の終わりを告げているようだった。ギリギリまだ夏と言えなくもない、中途半端な季節。
そして、頭の中の秒針が3周するまで待った後、再度こちらから促してみることとした。普段社交的を装っているこの幼馴染が本当は内気であることは知っているけれど、それでも今日の小都は、どうもいつもの3倍増しくらいで寡黙である。
「気になる相手はいるってことだよね?」
「その人のことを考えると、胸がきゅーっと、なって。今、何してるんだろう、とか、夜になると、つい考えちゃったりして。今も、すごく、苦しいの」
つっかえながら、そう口にした小都を見つめ、私はふむ、と首をかしげた。相手のことが好きかどうかわからないと言っていた気がするけども、これは明らかではないか。
「ごめんぶっちゃけていい? それ恋だよ」
そうなのかなぁ、と窓の外を遠い目で眺めながら、小都は呟いた。自分でも分かっていたような口調だった。それを眺めながら、なんとなく、流れが読めたなと思う。一番大事な友達、そして相談相手に私を選んだこと。この条件だけで、対象は1人に絞り込める。ついにこの日が来たか、と私の胸に熱いものがこみ上げる。
「取られたくないなら動くべきじゃない? 相手に彼女ができてからじゃ遅いでしょ」
私は小都を励ますべく、意識して声のボリュームを1.5倍くらいに引き上げた。すると、小都は、しばらく俯いてぶつぶつと何やら呟き、覚悟を決めたような表情で、突如、顔をがばっと勢いよく上げた。勢いが良すぎて、正直ちょっと怖かった。
そして、小都のくりくりとした大きな黒い目が、私をまっすぐに捉える。まるでこちらの心の底まで見通そうとしているような、透明な視線だった。小都はそのまま、こちらに顔を寄せ、まるでとっておきの秘密を打ち明けるみたいに、耳元でそっと囁いてきた。
「……じゃあ、江麻ちゃん、相談してもいい?」
「さっきから既にしてるよね……で、相手は誰。私が知ってる人?」
いちおう確認しておく。誰が相手かというのは前提だ。答えは知ってるけれど。ところが、通過儀礼として発されたはずのその質問に対し、小都は意外にも口ごもった。
「諸事情により相手は言えないんだけど。あのっ……! 江麻ちゃんから見て、わたしって、恋愛相手としてどうかなっ……?」
「相手濁すなら相談する意味あるの……? でもまあ、小都なら誰相手でもうまくいくと思うよ。美人だし、人気あるし。何より優しいしね」
せっかく至近距離に寄ってきたので、あらためて正面から小都をじっと見つめてみる。お嬢様然とした佇まい、少し猫っ毛で柔らかくふわりと巻かれた髪、整った顔、すらりとした姿形、透き通るような雰囲気。誇張抜きに、天使みたいに綺麗な子だと思う。だから、思った通りの感想を口にしたつもりだった。
「えへへへ、そ、そう……?」
嬉しそうに頬に手を当てて喜ぶ小都は、ちょっとあざとかったけれど、それを気にさせないくらいに綺麗だった。私は、自分よりちょうど頭1つ高いところにある小都の顔を見上げる。よし、この親友がいい子なのはよく知っているし、ここは背中を押してあげよう。
「頑張って告白してみたら? 私もできる限り応援するから!」
……ところが。小都はそれを聞くと、なぜか眉を寄せ、表情を盛大に曇らせた。私はその反応にちょっぴり狼狽え、「私に応援されるのはそんなに不安なの」と内心おののいた。
「ど、どうしたの?」
「……いや、別に。江麻ちゃんが応援してくれて嬉しいなぁって」
「その表情で⁉ 嘘でしょ⁉ 目が泳ぎまくってるじゃない!」
「ごめん! 3分くれる⁉ 立て直すから!」
そして、小都は、下を向いて両手で顔を覆い、一言も話さなくなった。いや、良く耳を澄ませてみると、「うおあぁぁぁ……」という謎のうめき声が聞こえる。私はいきなり立ち込めた空気の重さに、ごくりと喉を鳴らすしかなかった。
……恋バナってこんな重い空気でされるものだっけ? と思うけれど、もうどうしようもできない。鮭のホイル焼きに思いを馳せていた十分前が遥か昔のように懐かしい。あの頃は、まさかこんな未来が来るなんて思ってもみなかったのに。
そして、3分後、小都は顔を上げた。そして、なぜか涙を浮かべたまま、ふわりと笑う。
「でも、江麻ちゃんの方がいい人だよね。今日も、クラスの雑用1人でしてるし。そんなだから学級委員長じゃないのに『委員長』ってあだ名で呼ばれちゃうんだよ」
「小都も手伝ってくれてるから2人だけどね。ちょっとそれよりさ……」
「たぶん、そのうちいいこと絶対あるよ。だって、神様は全部見てるって言うもんね」
「だからなんで急に違う話始めたの⁉ それで? 告白は?」
すると、小都は、あわあわとわかりやすく焦り始めた。今ので話をそらせたつもりならさすがにあんまりだと思う。話の展開がいきなりすぎる。
そして、何度躊躇った挙句、小都はようやく言葉を口にした。
「あのね、わたし……自分の気持ちを伝えるつもりは、ないの。うん、今決めた」
「……ちなみにそれは、なんで?」
今の流れでいくと、私が諦めさせたと言っているように聞こえる。頼むから否定してほしい。私はすがるような視線を小都に送った。しかし、小都は拗ねたようにそっぽを向く。
「理由は言いたくない」
「えぇ……ここまで言っといてそれ……?」
私が恨みがましくさらに視線を送っていると、小都はしばらく黙った後、困った顔でぽつりと呟いた。
「その……わたしの恋って、世間ではうまくいかないとされてるみたいで」
「なにそれ、不倫でもするつもり?」
どうやら、私のせいではないらしい。けれど、思っていたのとまた違う展開に、私は思わず目の前の親友を2度見する。ということは、相手は、孝市ではないのだろうか?
そして、またしばらく躊躇った後、小都は私の耳元に顔をそーっと寄せてきた。これは、本当に不倫なのかもしれない。幼馴染がおかしな道に走っているなら止めなければ。
「小都、わ、私、不倫はよくないと思う。駄目だよ先生相手とか」
「違うよ⁉ 江麻ちゃん、思い込み激しいところあるよね。わたし、ちょっと心配だよ」
小都は、ひそひそと耳元で小声で怒るという、なかなかに器用なことをしてきた。それにしても、怒られてしまった。どうやら話はまだ続くらしい。
「ごめん。今度は最後までちゃんと聞くから」
「……これは、あくまで一般論として聞いてほしいんだけどっ」
仕切り直してくれた小都に感謝し、私はぴんと姿勢を正した。なるほど、知り合い相手に自分のこととして言うのは恥ずかしいと。その心情はなんだか理解できた。第三者としての意見が欲しいということだろう。よし、今から私は第三者。
やがて、小都は思い切ったように、ばっと顔を上げ、私を見つめ、一瞬で目をさっとそらした。そのままで、口を開く。その頬は、まるで林檎みたいに真っ赤だった。
「そ、そのっ……幼馴染相手の恋愛ってどう思う?」
「……え? いいんじゃない?」
結局、あの後、小都は逃げるように教室を後にした。気が付いたらいなくなっていたレベルの退避速度だった。置いていかれてしまった私は、1人寂しく家路に着き、自室であらためてふむと頷く。長くなった割に、結局、最初の結論に落ち着いたなと思う。
孝市は、私の家の隣に住んでいる同級生であり、文字通り、生まれたときからの付き合いである。そして、今日発覚した事実。小都は孝市が好きらしい。
……正直知ってた。なぜなら、小都は毎朝相宮家に孝市を起こしに来て、私も含めて3人で登校するのだ。相宮家には目覚まし時計が存在しないのだろうか。
なので、ようやくこの日が来たかという印象である。小都に、「もういっそ2人で登校すれば?」と申し出たこともある。結局、今も3人で登校しているけど、それは小都に断られてしまったからだ。確か「2人で登校するのは恥ずかしい」と言っていたっけ。
しかし、ここで浮かんでくる疑問が1つ。昼間の小都は、なんだか妙なことを言っていなかったか。確か、幼馴染の恋愛が世間ではどうとか。
「……うまくいかないの? なんで? 幼馴染ってよく結婚してるじゃない。……また小都が変な勘違いしてるのかな」
私はさっそくノートパソコンを立ち上げ、カタカタと検索してみた。小都の言うところの一般論を確認するためである。ここは幼馴染の恋の成就の可能性の高さをもって、小都の背中を押してやろうではないか。しかし、そんな予想は、悪い意味で裏切られた。
……なんと、出るわ出るわ。幼馴染がいかに恋愛を進める上で不利な立場であるかが、これでもかと言わんばかりに書かれていた。世間の風潮に、少し不安になる。
「いやいや。わからないって。なんで幼馴染が駄目なの?」
まあ、でも、そうは言っても……。そういう風潮が仮にあった、としてもだ。だから小都の恋が100%失敗するとかそういうことにはならない。当たり前だ。
私はそう結論付け、そっとページを閉じた。ただ、小都がなぜあんなことを言い出したのかは分かった。確かにこんな風潮が世の中にあるなら、ああも言いたくなるだろう。ここは、自分が親友として小都の背中を押してあげられたらいいなと、そう思った。
だって見る限り、もう2人は秒読みなのだ。きっと、数少ない例外として、2人の恋は世に刻まれることだろう。ふふ、早く明日が来ないだろうか。
たぶん10万字くらいで終わります! 中編です。