同じ器
想いが伝わりますように。
ーいつも変わらない,いつも,いつも変わらない。どんなに綺麗にしていたって,どんなに汚くたって,いつもいつも変わらない。いつも変わらずに俺はお前だけを映しているー
ーあの日,あの彗星の日,どうしようもなくあなたのその顔を私に向けて欲しいと願ってしまったあの夜。あなたの瞳はまるで夜空のようで,心を乱されてしょうがなかったー
***
漫画とか小説とかによくある不幸設定。その中の一つの両親の他界。あれが嫌いだった。モノローグとかで簡単に人の両親を死なせて,読者側も,ああ,こういう設定なのねってもう飽き飽きしたかのように読み飛ばすような,そんな無関心さが嫌いだった。まあそう捻くれた思考になってしまうのは俺の両親ももうこの世界にはいないからかもしれないが。
幸い,祖母が俺を引き取ってくれたから生活はできているが,どうも愛情に関して向けるのも向けられるのも向いてないような気が最近してきた。
「瀬名くんは,一生独身かもねぇ」
と最近祖母にも言われたばっかだ。
確かに,と思ってしまう時点でもう手遅れなような気がするが。
いつか恋人ができた時,その人のことを愛せている自信がなかった。
***
体育館にバスケットボールの音が響く。どんどんどんどんうるさくて吐き気がしそうだ。その上くだらない話をぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。勉強も運動もできない奴らは慎ましやかに生きればいいものを,大きい声を出すことでしか自分の存在を誇示できない奴ら。本当に死ねばいい。
「玲央,怖い顔してるぞ」
なんていって俺の眉間のしわを伸ばそうと瀬名が顔を近づける。昔馴染みだからこの距離感。大丈夫,大丈夫,ちゃんと分かってる。
「瀬名がなー,俺ぐらい運動できればなー,俺もこんな退屈な体育の時間過ごさなくて済んだんだけどなー」
「俺もある程度は運動できるから。玲央がなんでもできすぎるだけ」
お互い軽口を叩き合って,隣で瀬名がぶすくれたようにボールをクルクルしているのを見て心の安寧を保っていると,瀬名が突然前のめりに倒れた。ボールが頭に当たったらしい。
痛ってーなんていって頭をさすっている様子を見ると思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが,それが高校2年の男同士に許される距離感でないことぐらいはわかっている,わかっているが手持ち無沙汰になった手を伸ばして立ち上がらせるくらいのことは許されるだろうと,手を差し伸べた。
*
瀬名は昔から運がなかった。小さいことから大きいことまで。こいつに帰属するものは全て負の連鎖に繋がるんじゃないかと言うくらいに,見てて哀れになるくらいには運がなかった。
小さいことは今みたいにボールが当たるだとか,雨の日に車に水をかけられるとか。大きいことでまず挙げられるのは,両親の死だったか,それも目の前で。それ以降も,死という場面に立ち会っている回数が尋常じゃないくらい多かった。
ただ,瀬名自身はそれを気にしていないのかなんなのか,なんとも思ってないような無機質な目で物事を見つめる瞳が印象的だった。
小学校5年生の時,片田舎であるこの街に引っ越してきたあの日,瀬名と目があったあの瞬間に,俺は後にも先にも一生訪れないような,強い引力で引っ張られるような感覚に陥った。瀬名の色素の薄い髪や瞳に目を奪われたのも確かだが,今にも消えそうな表情が透明で透き通っていて,それがまるで俺の一番好きなビー玉みたいで,こいつを俺のものにしたいと幼心ながらに支配欲というものが片鱗を表した瞬間だった。
そこから瀬名の後をついて回る,というよりは瀬名の手を引っ張って振り回すように俺たちは一緒に行動した。達観しているけれど,どこか危うげで,さっぱりしているけれど,そこはかとない不安定さを織り交ぜたような瀬名は俺にとって新鮮で最初から友達の枠には存在していなかった。
その後クラスメイトたちから聞いたことだが,瀬名も一ヶ月前にこっちに引っ越してきたまだまだ新入りで,でも俺とは違って両親の他界が引っ越してきた理由らしかった。ただそうなるとあの日の瀬名の表情にも納得がいってパズルのピースがハマるみたいな爽快感が伴って,ますます瀬名にのめり込んだ。
瀬名の瞳に俺が映るたびにこの瞬間を閉じ込めて一生二人でいたいなと小学生の頃から考えていたから,もうすでに重症だったのだと思う。小学校,中学校,高校と年を経るにつれてそれは多大な感情へと変貌し,思いを堪えるのに必死だった。
あいつのサラサラな髪を触ってハーフ?っていじる時も,地毛だからって拗ねたような顔を見せてくれることに感じる嬉しさも,俺より身長低いからチビっていじると,173.8はあるからってわざわざ小数点までいってくるところも,全部全部愛おしくてたまらなくて。
だからこそ,瀬名が彗に惹かれているのも,ちゃんと,ちゃんとわかってた。
***
あなたに彗ちゃんって呼ばれるのが,とてつもなく好きだったの。
*
「彗ちゃんさ,今夜のハレー彗星見る?先生が屋上開放してくれるって」
中学の頃の呼び名を,女子のちゃん付けを,高校に入ってからもこうも恥ずかしげなく言えるのはすごいなって思いながら返事を返す。
「えー見たい。瀬名くんは?」
「俺も見るよ。生きてる間にはもう見えないからね」
「瀬名が見るなら俺も見るー」
そう,軽薄そうな雰囲気を滲ませた玲央が声をかけてきた。
“あんたは来なくていい”
そう視線を送ると,
“やだもんねー。俺も行くもーん”
とでも言いたげな視線が帰ってきた。全くもって邪魔だ。まあ向こうも同じことを思っているんだろうが。
「じゃあ,夜の8時に屋上集合で」
そんな瀬名くんの呑気な声で解散となった。
*
私と玲央は似ている。お互いの顔自体の雰囲気も似ているが,何より瀬名くんへの感情の向け方が似ている。
瀬名くんと会ったのは,中学の頃だった。あの二人はもう少し前からの付き合いらしいが,私は中学からだった。中2の12月。理科での天体の授業の時にたまたま瀬名くんと同じ班になって話したのがきっかけだった。
私は,名前に彗星の彗があることもあって,昔から何かと天体の話ばっかされてた。わざわざ彗なんてつけるぐらいだから両親も星が大好きで,私もその情熱に追い縋るかのように星にのめり込んだ。
「星,好きなの?」
そう彼から問いかけられたときは,なんて答えればいいか分かんなかった。小学生の頃,星が好きだなんていうと,やーいロマンチストーって男子達に揶揄われた。そのせいで星が好きなことはお母さんにしか話さなくなった。ただなんとなく,彼から星が好きだという返事を期待されているような気がして,思わず口走った。
「うん,好き。瀬名くんは?」
「俺も好きなんだ。今度の流星群は見る予定?」
「うん。見るつもり。でも私どっちかっていうとただ星を見るよりは神話とかを絡ませて考える方が好きなんだ」
そういった時,つい余計なことまで言っちゃったって後悔した。神話が好きだなんて,星自体が好きな人からしたら嫌だったんじゃないかって。
「へーなるほどそういう考え方もあるのか。俺も今度調べてみようかな」
そう少し口角を上げた口が印象的で,魅入ってしまったと気づいたのは少し後になってからだった。
*
それから瀬名くんと話す機会は増えたけど,そこにはいつも玲央がいた。まるで俺から瀬名を奪うなと言わんばかりに。
私もムキになって,でも私たち二人がバチバチしてるなんて瀬名くんが知ったら,気にするだろうなと思って視線で会話するようになった。まあそれでも極寒の空気が流れることは多々あるが。
そんなおかしな関係だったけど,高校でも同じクラスになって仲良くやっていた。
瀬名くんが,玲央に惹かれているだろうことを感じ取っていても。
***
「やっぱり12月の夜は冷えるな。玲央も彗ちゃんも体冷やさないようにね」
「あともうちょっとだっけ。彗星」
「うん,もうすぐ」
三人で黙って空を見つめる。玲央はここに来てから一言も話していなかった。いつものおちゃらけが嘘のように,じっと空を見つめていた。
私は,知っている。玲央が星に微塵も興味がないことを。それでも,瀬名くんと1秒でも長くいたいからと,寒空の下,見たくもない彗星を眺めていることを。
私が玲央の立場だったら,瀬名くんと今一緒にいれる自信がない。恋敵の女の子の名前にも入っているような“彗星”を見るだなんて。
「あ,今,今,彗星が」
瀬名くんが吐息と一緒に言葉をもらした。
私も空を向く。空を向いて,彗星を見て,気になって横を向いた。瀬名くんの瞳は彗星をそのまま埋め込んだかのようで,この世の,何よりも,本当になによりも綺麗だった。
玲央は,空を見上げることはなかった。
***
音が聞こえなくなる。透明な世界に一人落とされたかのように,音が聞こえなくなる。何も,何も,何も,何も,何も何も何も何も。
目の前で風を切った音がした時にはもう遅かった。いつもの通学路。いつもの通学時間。いつもと変わらない俺。いつもと変わらない玲央。何にも変わったことはなかった。確かになかったのに。
目の前で,玲央が一歩,前に踏み出した。それはおかしかった。おかしな行動だった。理解できない行動だった。
なんで
言葉として形にならなかった。
玲央は,バーがもう下がっているのに,電車がもう近くまで来ているのに,踏切に一歩踏み出して。
確かに,確かに,確かに,確かに,電車に跳ね飛ばされた。
最後に俺に,目を,鼻を,口を,輪郭を,向けて。向けたんだ。確かに俺と,瞳が交錯した。玲央の顔は,玲央の,玲央の,顔は,
笑っていた。幸せそうに,目を細めて,口の端を吊り上げて,微笑んでいた。
***
なんとなく,嫌な予感はしていた。あの彗星の日,瀬名くんは気づかなかったかもしれないけど,玲央の様子はどこか常軌を逸していた。
何年も抑えてきた思いを堪えるのに疲れたかのような,諦めたかのような,そんな表情を一瞬見せていた。
瀬名くんから電話が来て,とにかく走った。冬の冷たい空気で肺が壊れそうになって。まるで戦場にいるかのようになって。もうすぐ死にそうだ,なんて思って。
違う違う違う違う。死んだのは玲央だ。私じゃない。私が死んだんじゃない。私は,見過ごしたんだ。死ぬことで,瀬名くんの記憶に永遠に残ろうと考えていた玲央を見殺しにしたんだ。
玲央はずるい。瀬名くんは優しいからずっと今日という日を覚えている。絶対に忘れない。脳裏に刻み込んで,切り離そうとするものなら,痛みを発して。
でも,でも,でも,私は,私は,
確かに,喜んだ。あの夜,玲央が瀬名くんの前から消えてくれそうな予感に。確かに,胸は高鳴っていた。
*
瀬名くんは,抜け殻のようだった。抜け殻のように,膝をついて,赤く染まった線路を,虚な目でじっと見つめていた。
近くに,近くに,そっと,近くに。歩んで歩んで歩んで。
「瀬名くん」
振り向かない。
「瀬名くん」
振り向かない。
「瀬名くん」
振り向かない。
「瀬名」
瀬名が体を震わせた。
*
私と玲央は,よく似ていた。性格も,瀬名のことが好きなことも,そして,顔も,なにより,血が同じだった。
双子だった。二卵性。私は知っていた。玲央は多分,勘づいていた。他には親しか知らない。
「瀬名,大丈夫だよ。ここにいる。ここにいるから」
二卵性の双子は似ていない。でもそれは,一卵性に比べたらって話。
「何にも,何にも起こってない。大丈夫」
離婚してて,玲央はお父さんに,私はお母さんについて行った。私たちがまだ赤子の時だった。私は,お母さんのお腹の時から,記憶があった。
「何にも,何にも見てない」
私は,玲央を知っていた。覚えていた。ほんの出来心で、同じ中学に行ってみたくなった。
「大丈夫,大丈夫だよ。瀬名」
同じ人に惹かれた。互いが憎かった。
「俺はここにいる,ここにいるから」
でも,たとえ憎くても,生涯演じよう。
「変わらない。変わってない。何も変わってないから」
たとえ,瀬名が,瀬名くんが,私を誰に当てはめて,私を通して誰を見ようとも。
「今日の体育,またバスケかなーつまんねー」
あの彗星が,私たちの関係を全て崩そうとも,それでも,それでも,
「ボール当たらないように気をつけろよ,ばーか」
私は君を,愛してる。