第一章 7 『追風怒涛』
「ミア……」
俺と黒装束の男との間に割って入ったのはミアだった。
男の切断された右手首派ボトッと地面に落ち、男は後ろへ距離をとった。
「お嬢様、それでよろしいというのですか?」
男は腕を抑えながらそう言った。
「わたしは、生きたいように生きる」
「あなた一人では無理でございます。世界はそれほど生きることを易しとはしておりません」
そう言うと、男は左手で剣を握り、構えた。
「分かってる。そんなこと、とっくに分かってた。
上には腐るほど強者がいて、生きたいように生きるためには邪魔なものが多いんだ。
だけど、これはもう、私の人生なんだ」
その声には、確かな夢の重みがのしかかっていた。
「あなただけの人生ではございません」
二人はどちらも正しい。そして相反する。
この矛盾が世界の理であると突きつけられた気分だった。
「あなた、早く剣を構えて。私一人じゃ、すぐ死ぬ」
ミアは男を睨みながらそう言った。
その足は微かに震えている。こいつだって子供なのだ。忘れていた。
俺は立ち上がり、そしてミアの隣に並ぶ。
「三人で冒険行くんだろ。だから、死ぬな」
「あんたこそ」
そして、力を爆発させ、地を蹴った。
凄まじい速さである。
おもむろに剣を右手で鋭く構えている。
男が狙うはやはり、ミアである。俺など眼中に無いというのか。
「ちっ」
がしかし、男は突然止まり俺たちの背後を見据えた。
「剣鬼ですか。面倒ですね」
その言葉を聞き、背後を振り返れば、騎士団の連中が馬に乗りこちらへ向かうのが見えた。
あの鬼族の隊長さんもいる。
時間稼ぎが成功したのである。
唯一の生きる道を辿れたのである。
「引く他ないようですね」
そう言うと、ジークと戦っていた男たちは、一斉に森の方角へと走り出した。
「お嬢様、必ず、この中立国、いえ龍聖国エアランドから連れ出して見せましょう」
そう言うと男は去っていった。
遠くから近ずく馬のかける音をきき、俺はがくっと膝から崩れ落ちた。
張り詰めた緊張が一気に緩んだからである。
騎士団の人達は到着するなり事情を把握し、そしてジークとララの治療にあたった。
「ララは少ししたら目覚めるだろう。ジークは傷がひどい。応急処置はしたが、教会に行く必要があるだろう」
騎士団の隊長である鬼族の女性が俺たち二人にそう告げた。
教会というのはこの街の病院のようなものだ。神の祈り、すなわち回復魔法や聖水、回復や解呪を専門とする施設である。
「何があった? 詳しく話せ」
ミアを横目に見ると気まずそうに黙ったままだったので、俺は何が起こったのかを話した。
クリスが失踪し、男たちの襲撃を受けたこと。
すると、隊長さんは考え込むように顎に手を当てた。
「ジークの娘に関しては森を探すしかないだろう。ララの魔力感知で見つからないとすれば、それしかない」
「クリスは無事なんでしょうか」
「わからん。だが、まずいのは確かだ。
人っ子一人で生き抜けるほど、森は優しくない。だが、探さないことには何も始まらない。
ジークとララとお前たちは馬を使って街に送る。残った人員で森を探す」
「……お願いします」
正直、俺も探したい。
当然だ。
だが、森が危険であることはジークとララから十二分に言い聞かされていた。
今の俺が行ったところで足でまといもいい所である。
「そしてお前、ミアと言ったな。お前の身の上を教えろ」
クリスの失踪と男たちの襲撃は全く別の出来事なのである。
黒装束の男たちの目的はミアであった。
だったら、ミアから話を聞くのが先である。
ミアは数度言うかどうか迷った末、諦めたように口を開いた。
「私の名前はミア・ラルート・アーガイル。ヘルメス王国第三王女だった」
いや確かに、とどこかで納得する自分がいた。
彼女は魔法の知識、そして剣術の腕、それらが年相応ではなかった。
高等的な教育が施されていなければこうはならない。
そして、真っ白な髪とルビーのような瞳。
この街にも多くの人間がいるが、自毛が白髪というのは少ないし、ここまでの純粋な赤色の瞳は見たことがない。
それにアーガイルと言えば、昨日騎士団にミアとジークと言った際、誰かが呟いていた。
———こんなところで、アーガイルのガキを見つけられるとは。
この言葉と今の状況が無関係とは到底思えない。
「アーガイル、か。なるほど。リーケインが師匠なら信憑性がある。
あの国の内情は詳しくは知らんが、やりかねんのは確かだ。狂ってるからな」
隊長が言うことはよく分からない。
だが確かなのはミアは一国の王女であり、そして、なにかの理由で国に戻るよう命じられているのだ。
「隠すつもりはなかった。だけど、こんなっ……」
ミアはある場所を見て声をふるわせた。
俺もそちらを見た。
俺たちの家があった場所だ。
黒く焼け焦げ、瓦礫が散らばり、灰が舞っている。
生まれて、育った。
たったの七年。
だが、俺にとってはここが全てだった。
その焼け跡は、俺に何かをしらしめているきがしてならない。
「ミア、家なんてまた建てればいい。それだけだろ?」
「だ、だけど……これは私のせいだ」
ミアは眉を下げ、俺を見た。
こんな顔見たことがない。
いやまだ会って一年弱しか経っていないから当然かもしれない。
その顔には罪悪感が張り付いていた。
そう。これは確かに彼女のせいなのかもしれない。
詳細は分からないが、彼女がいなければこうはならなかった。
あんな集団が、突然家を訪ねてくることは無かった。
魔法で家を跡形もなく爆発させることなどなかった。
ララが怪我をすることは無かったし、ジークが瀕死になることもなかった。
だが、俺には全てがミアのせいだとは思えなかった。
家を爆破したのも、襲ってきたのも全てあの男たちである。
それにこんな小さな子供に責任を問うのは間違っている。
ミアを再度みる。
泣きはしていないが酷い顔だ。
そりゃそうだ。まだ八歳かそこらの女の子なのだから。
「大丈夫。お前のせいじゃない。全部アイツらのせいだろ」
俺はミアの手を握った。
冷たい。そして、細くて弱々しい。
「それに、まずはクリスだろ」
「そう、だった……そのはずだった。ごめん」
俺はミアが落ち着くまで手を握っていた。
————————
「じゃあ私たちは森に行く。お前たちは街の協会で大人しくしてろ」
そう言うと隊長は、俺たちを馬へと連れていった。
「保証はできんが、人探しなら私以上に適任は居ないだろう」
「なんでですか?」
「この角があるからだ。森でも魔力感知が使い物になる」
隊長の額には一本の黒い角が生えている。
「じゃあ、クリスを頼みます」
「大人ぶるな。子供は子供らしく、大人の世話になればいい」
「あなた、お願い……します」
ミアは敬語に直し隊長に頭を下げた。
彼女だってクリスを探したいはずだ。
「む? 伝手か」
すると、隊長のもとへ一羽の鳥が飛んできて、肩に止まった。
これは、この世界の連絡手段の一つである。
ジークもこの鳥を使って騎士団へと連絡をとっていた。
鳥の足に伝手を結びつけて飛ばすのである。
隊長は伝手を開き、内容を読むなり顔色を変えた。
「これはまずい。かなりまずいな」
「な、何が書いてあったんですか?」
ただならぬ雰囲気である。
嫌な予感しかしない。
「サガラ!」
「はッ!!」
すると、隊長は騎士団の副団長を呼んだ。
その男はサガラという人間の男で、騎士団の模擬戦でもジークと張り合うほどの腕前だった。
サガラは隊長の前に跪き、何事か、と尋ねた。
「ここの反対側、街の東地域で魔獣が結界を超えたらしい。数は百を超えているという」
「ひゃ、ひゃくッッ!! そんなのありえない!! 結界はどうなったのですか?! 俺たちが毎日確認していたはずです!!」
「分からない。がしかし、もうすでに住民に被害が出ているのは間違いない。そして、これからますます拡大するだろう。あの地域の魔物はここより危険だ」
「で、ではっ!? どうしますか隊長!!」
「……」
隊長はまたもや考え込む。
しかし先程とは違う。これは決断を迫られているのである。
ひとつは、東地域へと応援へ向い魔獣の侵略を食い止める。
もうひとつは、クリスの捜索に当たる。
待ってくれ。
その二択は良くない。
こんなの考えるまでもないでは無いか。
そんなの街を守る人間であるなら間違いなく……。
「サガラ」
「はいッ!!」
「ここの軍は全員東に向かう。第二軍は街の警備に当てる。残りは総員東へ向かうように伝えろ」
「は、はい!!」
やばいやばいやばい。
これはクリスを見捨てる選択に他ならない。
運が悪いなんてもんじゃない。
まるで運命がクリスの生存を阻んでいるように思えてしまう。
「え? く、クラリスはどうするの?」
ミアがそう聞いた。
隊長は俺たちを見る。
相変わらずの無表情だが、その目には固い意思が感じられる。
「優先度の違いだ。あちらの問題の解決次第、捜索に取り掛かる」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!
それじゃクリスに死ねって言うんですか!?」
「だから、問題の解決次第——」
「おかしいだろ! あんた、さっき言っただろ?!
人探すの得意だって。別に全軍東に向かう必要ないだろ!! あなただけでもクリスを探してくれたっていいじゃないか!!」
「おい、ジークの息子。隊長は……」
「お前の妹を見つけ出せる可能性と、これから東へ向かい、拾うことの出来る住民たちの命。見通し立てれば、どちらが最善など言うまでもない」
「それは……」
ああ、この論争は無駄である。
全く持って時間の無駄だ。
ほかの団員はすぐにでも出発したがっている。
隊長の判断は全く持って正しい。
そして俺は間違っている。
だがどうする?
まずい本当にまずい。
考えろ考えろ。
「あんただけ残ればいい!!」
「確かに人探しが得意と言ったが、一人でこの森中から、小さなガキを見つけられる保証は無い」
「で、でもッ!!」
「おい、落ち着けガキッ!!」
副団長さんは俺を宥めるように押さえつけた。
このままではクリスが死ぬのは間違いない。
夜に森へ言ったのであればもうかれこれ数時間は経過してる。
あんな女の子が一人で生き抜けるわけが無い。
俺はミアを見る。
ミアも俺を見る。
考えることは同じだ。
「わたしは、行く」
「ちょ、おい嬢ちゃん!! ぅお! ガキも待て!!」
ミアは森へ全力疾走。
俺も暴れて副団長の手をすり抜け、走り出す。
しかし、
「待て、お前たちが死にに行くのは認めん。ジークに顔向けが出来なくなる」
隊長は一瞬でミアの前に立ちはだかった。
「時間が無い。今も東では住民が魔獣に襲われているかもしれない。だから、お前たちのわがままを聞いている時間は無い」
「私はクラリスを見捨てない」
「お前たちでは森の魔獣に食われるのがオチだ」
その通りだ。
完全に俺たちは間違っている。
だけどさ。
————命に変えても、守るよ。
行くしかないじゃないか。
きっと後悔する。
いやすでに後悔している。
だが、間違いなく言えることがある。
このまま俺たちは街に戻り、そして事が済んだ後、クリスの死体を突きつけられて思うのだ。
なんで、あの時、と。
このまま何もやらなければクリスは確実に死ぬ。
だがここで俺とミアが向かえば、少しでもクリスを助け出せる可能性が上がる。
だったら行くしかない。
「ミア、行くぞ」
「うん」
俺たちは再び走る準備をする。
「ちっ、これだからガキのお守りは嫌いなんだ」
隊長も俺たちを捕まえるべく、見据える。
そして、足を前に踏み出す。
だがその時、
「ォオオォォォ————————ッッッ!!」
「ッ!!」
突如。
地面が哭いた。
そう錯覚するほどの轟音と、地面の震動。
鳥の軍勢が荒れ狂う。
体の芯が震え上がるのを感じる。
生存的、本能的に危険だと警鐘を鳴らしている。
これは、災害だ。
いや、災害に近いなにかだ。
「な、なんだこれ」
こんなこと初めてだ。
団員の様子を見るが、俺と同じ感想らしい。
「まさか、孤空龍……なのか」
隊長はそう呟いた。
轟音と震動は直ぐに収まり、妙な静寂が流れた。
誰も言葉を発しようとはしなかった。
この頂上的な現象に、理解が追いついていないのである。
「た、隊長!! あ、アレをッ!!」
団員の一人が森の方向へ指を指し、叫んだ。
皆、なにがなんだかわからないままそちらを見た。
「ど、ドラゴンの軍勢でありますッッ!!」
そう。森の上空の彼方。そこにあまたの飛行生物の群れが向かうのが見えた。
大きくそして、強力であることを見ただけでわかった。
そうだ、あれは竜だ。ドラゴンである。
「クソッ、何者があの数を呼んだというのだ!!」
隊長はそう叫んだ。
ドラゴンは誰が呼べば来るものなのだろうか。
いや今はそんなことどうでもいい。
森からは異様な緊張感が漂い、みな一様に立ち尽くしていた。
みな、頭が追いついていない。
『汝、ここにいるべきに非ず』
「ぅッッ!」
突然頭の中で誰かの声が響いた。
鉛で頭を殴られたような痛みが走る。
俺はその場で蹲る。
「総員、直ぐに街へと向かえ!! こいつらは私が連れていく!」
その掛け声とともに団員は馬へと乗った。
『……ぃちゃん』
「ッ! クリス!!」
「え?」
ミアは俺の元へと駆け寄った。
確かにクリスの声が聞こえたのだ。
何故だか場所もわかる。
森の奥、少し北へ向かった所に確かに存在を感じる。
ああ、絶対にあそこにクリスがいる。
「どうしたの?」
「クリスが呼んでるんだ!! 場所もわかる!!」
俺がそう叫ぶと、隊長が舌打ちをした。
「お前、歳はいくつだったか?」
「え?」
「早く応えろ!」
「な、七歳です」
隊長は唇を噛む。
「……お前、なんだな」
この質問になんの意味があるのだろうか。
「呪うぞ、邪神。禁忌破りを選ぶなど皮肉が効きすぎで笑えんぞ」
隊長は選択を迫られたように顔を顰め、唇をかんだ。
「お前たちは街内を死守しろ。この際だ、街外は拡声石での避難の呼び掛けのみだ」
「はッ!! た、隊長は?」
「やることがある。後で向かうから先へいけ」
そう言うと隊員はすぐさま街へと向かった。
彼ら彼女らの面持ちから、この出来事がどれだけ深刻であるかを物語っていた。
「ジークの息子。案内しろ」
「は?」
「分かるのだろう? 妹の居場所が」
そう言うと俺とミアを馬に乗せて、三人で馬に乗る形になった。
「ここまでのうのうと生きてきた意味を」
隊長のその呟きは、恐ろしいほどの時間と使命感がのしかかっているように聞こえた。
そして、馬を森へと走らせた。