第一章 4 『出会い』
「外いってきまーす」
俺とクリスは身支度を整え、玄関の扉を開ける。
「く、クリスもいくの!? 大丈夫なの?」
「うん! にいちゃんいるから」
それをきいてララは嬉しそうに俺たちの頭を撫でた。
「違うとこの子供になんか言われてもいじめちゃだめよ」
「はい」
いじめなんてクソみたいなことはしない。
「アーク。みんながみんなお前ぐらい頭がいいってわけじゃない。
同い年でも、年上でも馬鹿な奴はたくさんいる。しょうがねえ子供なんだから。
だが、それをバカにしたりするんじゃないぞ」
「はい」
その通りだ。俺は中身が大人だが、ほかの子供は中身も子供だ。
これから失敗して、反省して成長するんだ。
だから、俺は何もえらいわけでも頭がいいわけでもない。
クリスだってあと十年もすれば大人になるんだから。
「クリスも兄ちゃんがヤバそうなときは守ってあげるんだ。
それが兄弟だからな」
「うん!」
ジークはふんと鼻を鳴らし、嬉しそうに腕を組んだ。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
そうして、俺たちは家を出た。
きっとジークもララもうれしいのではないだろうか。
この五年間、外に行きたがらなかったララが、
今嬉しそうに外へと行こうとしている。
経緯は聞かない。
親は子供を見守るもんだ。
未だに、クリスの手は震えている。
怖いもんは怖い。
そういうのは人それぞれだ。
俺がとやかく言うもんじゃない。
「大丈夫か?」
「う、うん!」
力ずよくクリスは前を向いた。
この子は強いな。
怖いことから目を背けない。
だから、俺はクリスの手を握った。
「行こう」
「うん!」
そして敷地を出た。
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俺たちは畑や田んぼによってできた道を歩いた。
街とは違い喧騒もなく、鳥のさえずりや草がこすれる音が心地い。
田舎はいい。なんか落ち着く。
クリスもだんだんと落ち着いてきて、今ではあたりに興味津々だ。
跳び回る鳥に興味を持ち、鳴く虫を捕まえようとしたり、
畑の野菜を引っこ抜こうとしたり。
その時は、農作業をしてたおっさんに怒られたが、
まあ何がともあれ、楽しそうでよかった。
食わず嫌いってのは一度食べればもう大丈夫だ。
それがまずかろうがうまかろうが、恐怖は消える。
きっと好奇心旺盛なクリスのことだ。
家の外が好きになるだろう。
俺は素直に嬉しかった。
それにしても、異世界と言うのはやはり違う。
幻想的な場所ばっかりだった。
どうやってできたか分からないような、真っ二つに割れた岩山だったり、
花が咲き乱れる花畑。
いくつもの滝が重なり合い水しぶきを上げる滝つぼ。
目を奪われてばっかだ。
俺はこっちの世界に来たと言うのに、知らないものを知らないままにしてきた気がする。
もったないことしたな。
こんなことじゃ、もっと早くにクリスを連れてくるんだった。
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俺たちはひとしきり集落を回った後、休憩がてらに、
河原に腰を下ろした。
クリスも疲れたのか、ごくごく水を飲んでいる。
この様子じゃもう大丈夫だろう。
すると、クリスの長い耳がぴくぴく動く。
「なんかいるな」
「うん……」
多分ほかの種族に比べて、エルフは耳がいいのだと思う。
他の種族の子とあんま知らないけど。
聞こえてくるのは風を切る音。
一定のリズムで風を切っている音だ。
「行こうよ!」
「えぇー」
嫌な予感するんだよな。
こういう流れって、だいたい面倒ごとに巻き込まれるのが定石なんだよなぁ。
正直行きたくない。
まあこの子が外に出れた祝いとして、言うこと聞いてあげるか。
「足音立てるなよ」
「うん!」
クリスはなんだかワクワクしてる。
足音だけじゃなくて声もダメなんだけどな。
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川の飛び石を越えて、向かった場所は、木陰だった。
風を切る音はだんだん近くなる。
これはアレだ。剣を振る音だ。
やっとわかった。いつも聞いてる音だから。
どこかの剣士だろうか。
音からして、長い剣だ。
俺たちは茂みに隠れ、様子をうかがうことにしたが。
「だれ?」
「うおぉぉおおっ!」
気配も感じる暇もなく、茂みから顔を出した瞬間目の前に人がいた。
それに加え、首に剣を当てられていたのだ。
これは俺がいつも使っている木刀なんかじゃない。
マジの剣だ。
俺はすぐさま木刀に手をかけ、剣をはじく。
「———————っ」
クリスの首根っこを引っ張って、後方に跳ぶ。
真正面には、真っ赤な眼光が俺をとらえている。
やばい、やられる。
こいつはまずい奴だ。
だって俺の危険信号がビンビンなってんだから。
これは殺意だ。
紛れもない殺意だ。
死ぬ。
「や、やあ、こんにちは……」
震えながら出た言葉がそれかよ畜生。
見たところ相手は俺より少しだけ大きい。
それに強い。
多分かなり強い。このまま背を向けては逃げたって追いつかれる。
「まずは話し合いと行きませんかね。
ほら向こうの川でも眺めながらさ…………」
相手は答えない。
こっちの様子をうかがっている。
だったらせめて、
「逃げろクリス」
「え?」
「いいからはやく」
クリスだけでも守る。
相手に聞こえないように小声で言った。
多分俺じゃ無理だ。勝てない。
だがクリスだけなら…………。
くそぉ、死にたくねえ。
俺は後悔しないために生きてきたんじゃなかったのか?
こうやって後悔するなら、もっと剣振っとけばよかった。
ああ、ほんと死にたくねえ。
いや死なねえ。
そのため剣を握ってんじゃねえか。
「あっ、ごめ、こんな子どもだとは思わなかった」
だがいとも簡単に、向けられた殺意は消えた。
「え?」
声からして女だ。しかも子供の。
「怪我して、ない?」
逆光で顔はよく見えない。
だがそのきれいになびく髪だけは見えた。
色が抜け落ちたような、真っ白だ。
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「こっちこそすみませんでした」
俺はぺこりと頭を下げた。それを見たクリスも「すみませんですた」と言って頭を下げた。
目の前に座る少女、真っ白な髪に真っ赤な瞳。
俺より少し年上だろう。八歳くらいだろうか。
多分、人間だ。
「いいよ。私も考えなしだった」
「ありがとうございます」
「でも忍び足で近づいてこられたら警戒するなってのも無理がある。
気を付けた方がいい」
「あ、はい」
不愛想、と言うより表情が乏しい。ジトっとこちらを見ている。
機嫌が悪いのかそういう目つきなのか。
「おねえちゃんやっぱり怒ってる?」
だよなぁ。このジト目は不機嫌だからか。
悪いことしたな。
「そっちのお兄ちゃんは嫌いだけど、
君はいいよ。かわいいから」
そう言ってクリスの頭をなで始めた。
勝手に撫でんじゃねえ。俺のクリスだ。ぶっ飛ばすぞ。
てか、可愛くなくてごめんなさいね。
確か双子だったのに、顔もまあまあ似てるはずだけど。
そういうあんたは無駄に外見がよろしいことで。
エルフは美形っていうしララも相当美人だが、この子も相当なもんだ。
今のうちに拝んでおこう。
「なに?」
きりっと目で牽制された。おお怖い怖い。
見るのもダメなのか。
綺麗な顔がもったいないな。
「だめ! にいちゃんは悪くないもん!
私が行こうって言ったんだもん!」
そう言ってクリスは俺をかばう様に手を広げた。
なんで俺は妹にかばわれてんだよ。
「にいちゃんはすごいんだもん!
文字も読めるし算術だって得意で、よく父さんたちに頭いいって褒められてるんだもん!
剣術だって頑張ってて、母さんたちが「あの歳ですごいわね」って言ってるのを聞くんだ。
いつもいつも剣振ってて、掌なんかごつごつして……」
クリスの背中が大きく見えた。
この子は俺なんかより、ずっと強いんだ。
「とっても冷静だし、私が何やっても怒らないし、とっても優しいし。
たまにおかしなこと一人で呟いて、変だけど。
えっと、えっと……他には…………」
「わかった、わかったよ。私が悪かったね。許してよ」
少女は軽く微笑んだ。
どうやら根はいい人らしい。
それにしてもきれいな子だ。
どこかのお嬢様と言われても信じてしまいそうだ。
それに彼女が持っている剣。
かなりいいやつだ。
刀身の輝きといい、鋭さといい、装飾といい、一級品だろう。
どこかの名のある剣士の娘なのかもしれない。
「兄貴の方。私も君もお互い悪かった。
だから仲直りの証として——」
彼女は立ち上がり、手を差し出してきた。
俺も立ち上がり、握手する。
俺より10センチばかり身長が高い。
それに、手の感触からして、そうとう剣を振っている。
「———剣、合してよ」
「え?」
ああ、これは仲直りの握手じゃない。
その目は本気だ。
「君も剣士なんでしょ?
正直、一人で剣を振るのにも限界があってね。
練習相手が欲しかったところなんだ」
確かに俺だって剣を交えたのはジークくらいしかない。
あ、一度クリスとも遊び程度で剣を打ち合ってみたが、まあ遊びだ。
「でも、父さんが、人には剣を向けるなって……」
「剣の練習だったらいいでしょ。それに私だって剣士だし」
そりゃそうだ。
「でもあなたの剣、真剣じゃないですか」
「柄をはめれば大丈夫でしょ?」
断る理由はたくさんある。
やらない理由はいっぱいある。
だが、やりたい理由を探していた。
「わかりました」
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俺は剣を初めてまだ二年だ。
だがその二年、かなりの時間を剣に費やしてきた。
剣を振らなかった日はない。
マメができてつぶれて、またマメができる。
そんで剣を振るたびにこすれて血が出て、それでも振り続けた。
正直、痛かった。やりたくないな、とか思う日もたくさんあった。
やりたくない理由はたくさんあった。
やらなくてもいい言い訳は溢れるように出てきた。
だけど、やりたい理由は明確だったんだ。
何より楽しかったのだ。
剣を振るのが、めちゃくちゃ楽しかったんだ。
前世では、好きなことに打ち込めなかった。
そもそもそこまで好きなものがなかったんだと思う。
きっと将来勉強は必要になる。だからやろう。
でもサッカー? 野球? 必要ない。だからやらない。
友達。そんなん今作ったところでいつかは縁が途切れる。じゃあいらない。
こんな風にやりたいことではなく、必要そうなものを手繰り寄せていた。
そのせいで、気づいたときには大切なものでさえ無下にしていた。
だが、今はある。
俺には剣がある。
妹がいる。家族がいる。夢がある。
そんで、確かめたい。
この努力は無駄じゃなかったのか。
あの日々に意味はあったのか。
俺が今、どれだけ未熟か。
「ふぅ……」
一度、息を吐き、前を向く。
彼女もこちらを睨んでいる。
かなり態勢が低いな。
それに、片手で剣を握っている。
ああ、この緊張感は初めてだ。
ジークと稽古するときは、なんだかんだ安心感があった。
確かに、木刀が当たれば痣ができるし痛い。
だがジークは師匠である前に、親父だ。
跡が残るような傷は残さないように手加減してくれている。
だが今は違う。
相手の実力が分からない。
どんな戦い方かも分からない。
自分よりも大きい相手。
自然と鼓動が速まる。
この興奮は初めてだ。
ひらりと落ちる葉が、地面に触れる。
「———っ!」
始まりだ。
彼女が地面を蹴った。
ジークほどの速さはない。
あの時のジークの方が何倍も速かった。
彼女はその速さのまま、俺の目の前で踏み込み剣を振り下ろす。
これは普通に受けては木刀が折れる。
木刀だってやわじゃないが、この剣は絶対重い。
まともに受けちゃダメなやつだ。
「くっ———!!」
剣がそがれる音が響く。受け流そうとしても、まだ俺はそこまでうまくない。
後方に吹っ飛ばされた。
なんとか受け身を取り立ち上がると、
「え?」
彼女の姿がない。
どこだ。いや待て。落ち着け。
「にいちゃん!! う、うえ!」
ああ上か。多分見上げてる時間なんてない。
一か八か。
俺は真横に跳んで回避した。
その瞬間、地面が割れる音がした。
「ちっ」
いや待ってくれ。
あんなの食らったら死んでただろ!
頭パッカーンだろこれは。
いや、ぐちゃ、か、くしゃ、だな。
いやいやそんなんどっちでもいい!
てかなんだよ今の舌打ち。
クリスが口出ししたのはよくないかもだけどさぁ!
殺意が漏れてんだよお前!
可愛い顔して、とんでもねえ奴だ。
受けに回ったら死ぬ。
俺のメンタルは弱い。
すぐに後ずさりしちまうだろう。
じゃあ、攻めるしかない。
俺は向かってくる斬撃をよけ、彼女のわき腹に向けて、
容赦なく剣を振る。
案の定、それで終わる相手ではない。
彼女はきっちりガードしていた。
それからは打ち合いが始まった。
研ぎ澄まされた刹那の中で、剣がそがれ、欠け、
ぶつかり合う。
風を切る音が耳寸前で聞こえ、鳥肌が立つが、引かない。
すこしでも間違えれば、骨が何本か犠牲になるだろう。
「———っ」
「——!!」
なんで俺こんな時に笑ってんだ。
ああ、楽しいからだ。
剣はこんなに楽しいものだったんだ。
とここで、彼女にスキが生まれた。
これはチャンスだ。
もしかしたら疲れているのかもしれない。
そりゃそうだ。
俺は木刀だが、彼女は真剣だ。それも柄をはめたまま。
対格差があるとはいえ、比べ物にいならないくらい重いだろう。
「ぅんん!!」
俺は彼女の肩めがけて、剣を下ろした。
もらった。
そう思った。
だが。
「ぁ——————————」
彼女は頬に俺の剣が当たるかどうかの寸前で身を数ミリずらし、
そして、俺の剣は空を切り。
ああこれは、ボクシングで言うアッパーだ。
誘われたんだ。
彼女はわざと隙を見せたんだ。
「うごべェッッッ!!」
彼女は俺のあご向けて、容赦なく剣を振り上げた。
ああ、意識が飛ぶ。
マジで容赦ねえなこの女。
ぜってえいつかヒーヒーいわしたる。
ぜったい……ぜったいだ!
てか、顎砕けてるだろ。
ケツ顎はやだなぁ……。
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「ぶははははっ、なっさけねぇー。
いつもあんだけ、大人みてえな態度とっといて、くふっ
くはははははは」
こいつは後で殴ろう。
親父だからって俺がいい顔してりゃ。
殴ろう今すぐ殴ろう。
「ちょっとあなた。アークがかわいそうでしょ。
同年代の女の子に負けるってのは、年頃の男の子からすると、
ショックなものじゃない?」
天然ママも黙ろうか。
フォローになってないからね。
「ああ確かになぁ、なんてったって負けちまったら、
もう格好つけられねえからな」
女たらしは黙っとけ。
へらへら息子を笑い上がって。
「お子さん、結構強かったよ」
ジト目無愛想女も黙っとけ。
それにこのジト目、元からだったらしい。
ごめんねジト目ちゃん。
食卓には俺とクリスと、ジークとララ。
そんで隣を見ると、あの女が座っていた。
平然とご飯をパクパク食べている。
ここ人んちなのに、肝が座りすぎやしないか。
「まあ父さんもアークは同年代の子たちの中では
かなり強いんじゃねえかっておもってたんだけどなぁ」
「そうだったの?」
「ああ、少なくとも俺がガキの頃より強ええ」
「ほお」
こうして素直に褒められると、なんだかむず痒い。
まあさっきの言葉は許してあげよう。
あ、そうそう。
どうして彼女が、我が家で一緒にご飯を食べてるかと言うと。
彼女の一撃を食らった俺は、案の定顎が粉砕していたらしい。
意識も飛んでおり、クリスの慌て様と言ったらすごかったそうだ。
しかし、彼女は回復魔法が使えたらしく、それで俺のあごを癒やし。
そんで意識のない俺を、家まで送り届けてくれたそうだ。
今でも、思い出しただけで顎がうずく。
「ミアちゃん。アークとクリスの面倒見てくれてありがとね」
そう、そして彼女は、ミアと言うらしい。
「ねえちゃんの魔法すごかったんだよ!
にいちゃんのぐちゃぐちゃのあごが、ぐんりゃぐにゃなってガシャンって!」
彼女はそう言われ、ポリポリと頬を掻いた。
不愛想でわかりずらいが、気恥ずかしいのだろう。
てか俺のあごやっぱぐちゃぐちゃだったのか。
考えただけでも鳥肌もんだ。
「うちの子供とこれからも遊んでくれると嬉しい。
ほらアークと違って、クリスは可愛いだろ?」
「おい父さん。僕だってかわいいかわいいアルペディア家の長男だよ」
「可愛くねえことばっか言う」
「何言ってるのアークも可愛いわ!
なんといっても超美人な私の息子だもの」
そんな家族の会話を眺めていたミアは、
「まあ気が向いたら」
とつぶやいた。