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頭の中の引き出し リハビリ

作者: 水瀬拓人

始まりの話


それはいつもと何も変わらない午後だった。

今の生活が定着してしまったのはいつからのことなのか。

ゴロリと寝返りを打ちながら、ため息を漏らす。視線は窓の向こうの空から部屋の入口へ向かう。

ほんの少し前までは、外に出て遊び歩いていたようなのに、いつの間にか部屋の中でダラダラしている時間のほうが長くなった。

「退屈だなぁ」

ため息とともに発する言葉は力なく、ブツブツと同じ言葉が繰り返される。

外は鳥が楽しそうに歌っている。

風が木々を揺らす音も聞こえる。

今日は……否、今日も眩しいくらいのいい日和である。

「あぁ……神様……」

枕に顔をうずめ、子供のようにバタバタと足を動かす。

「人がいないとかどういうことですか。わたしはいったいどこにいるんですか。どんなシステムでこの部屋は起動しているんですか。別の世界に行きたいとか、そんなのは単に中二病拗らせたアホの妄言だとなんで理解してくれませんかー」

「いやいや、そうは言われてもね」

「!」

いまだかつて独り言に返事などなく、いつもと違う何かに慌てたように体を起こす。

「何!どこ!誰!うら若き乙女の部屋に堂々と入るなんてどこの不逞な輩なの!!」

むんずと掴んだ枕を振り上げ、声の主を探すも姿が見当たらない。振り返るが人影はない。

立ち上がり、視界を広げてみるも姿はない。窓の外に目をやれども姿はない。

「……ふっ……は、ははっ」

体の力が抜け、枕を握りしめたまま布団の上に崩れる。天井を見上げ、口角を引きつらせながら笑顔にならない笑みを浮かべる。そう、泣くのを我慢して笑うように。

「はっ……ははっ……幻聴とか……も、むりだってぇ……。なくぅ…………」

布団に突っ伏すと肩を震わせ、笑うように泣く。

精神的に色々と限界だった。

彼女がこの生活……というより、ここの環境に身を置かれ、1週間ほどが経過しようとしていた。

地元を離れて15年。久し振りに同郷の友人と会い、気が緩んで年甲斐もなくオールし、アルコールに気持ちよく染められた記憶の中でも、素晴らしい帰巣本能で自宅に帰り着いたのは確かだった。彼女がいる場所。そこはまかりなりにも彼女の部屋で間違いないからだ。

一人暮らしの干物女を満喫している、とてもじゃないけど人を呼べない床や机に広げられた服や本。生活スペースはわかりやすく、カーペットのごとく床に敷かれた布団から、手の届く範囲が彼女の生活圏だと見て取れる。壁には好きなゲームのキャラのポスターが張られ、唯一きれいな場所といえば、陳列された酒瓶ぐらいだろう。

しかしながら、部屋の外はというと、どこまでも広がるような青い空と、身動きが取れない崖っぷちがあるだけだ。

彼女の状況が崖っぷちということもあるかもしれないが、言葉のアヤでもなんでもなく、扉の向こうが崖なのだ。よって、彼女は部屋に引きこもらざるを得なくなった。

夢だと切り捨てたかったが、覚めるはずもなく、ただ、時が過ぎていくばかり。

不思議なことに、この世界にあるのは彼女の部屋のみのようで、住んでいたアパートが一式送られてはいないようだ。何がどうなっているのか、電気は通っているし、水道もガスも使える。冷蔵庫のものもなぜか減らない。というか、むしろ増えていることさえある。

だから食事には困らなかった。

だが、それはそれ。誰もいない孤立した世界で彼女の精神がもつわけがない。

「あぁぁっぁぁっぁぁぁっぁぁぁ!」

布団に顔をうずめたまま叫び、布団を殴りつけ、ぴたりと動きを止める。

「夢オチ、来いよ。マジで……」

潤んだ瞳からは涙が溢れ、唇からは幾度目かわからない溜息が漏れる。あふれる涙と鼻水を雑にも毛布でふき取り、のそりと起き上がると四つん這いで冷蔵庫に向かい、キンキンに冷えた缶チューハイをおもむろに取り出す。

「落ち着いた?」

「ちょっとはー……」

ずっ、と鼻をすすりながらプルトップを開け、口をつける一歩手前でピタリと動きが止まる。

ギギギギギと軋むような音が聞こえてくるのではなかろうかという固い動きで顔を向けたその先には、見知らぬ何かがいた。

「…………………………」

「あ……」

スルッと滑り落ちた缶チューハイに、その何かが口を開く。

と、同時に缶チューハイは床に落ちることなく、ぴたりとその動きを止めたのだった。

「……………………な、何?」

ようやく彼女は口を開いた。頭の中は言わずもがな、パニック状態。ただ理解している事は素面であるということだ。今日はまだ、1滴もアルコールを入れちゃいない。

「ようやく思考とリンクできたから、話ができるようになったかな、と思ったんだけど大丈夫そうかい?」

にかっと笑うソレは、混乱する彼女の思考を通しては完全に理解できないあやふやな形で目の前にいた。

少女のような少年のような。人間のような動物のような。老人のような骸骨のような。多種多様に彼女の意識の‘何か‘に繋がるように、様々に形を変え、ようやくそれは定まった。

「ふむ。これで落ち着いたか」

定着した己の体に視線を這わせ、ニヤニヤと笑うソレは、人の形に落ち着いた。短い黒髪。年は10歳くらいだろうか。深い紫色の瞳を細め、彼女を楽しげに見つめている。

「とりあえず飲むかい?」

床にぶつかるままで停止していた缶チューハイを手に取ると、彼女の顔の前で軽く振って見せた。

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