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短編集  作者: こま
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異世界日本茶専門店茶釜堂


「はぁ~今日も仕事が上手くいかなかった……」


 いつも通り商品を落とすは、注文を間違えてお客様を怒らせるわ。その内店長にいらないって言われるんじゃないかってびくびくしながら働いているせいで余計に仕事が上手くいってないような気がするが、考え過ぎなのだろうかとため息が止まらない。


 自宅に帰る途中にふとどこか懐かしい匂いが、どこからともなく漂ってきた。


 小さい頃、友達と一緒に野原を駆け回ったような懐かしいような。それとは違うような不思議な匂い。この近くに野原なんてあったっけ?


 王都に出てきてもう五年ぐらいは経つ。


 その間、この道は何度も繰り返し通ってきたんだけど、こんな懐かしい気持ちになる香りなんて嗅いだことなんて一度もなかった。


 風なんか吹いてないし、どこからする匂いなんだろうかとキョロキョロと辺りを見回していると、見覚えのないお店が出来ていることに気付く。


 前は、ここは空き店舗で何年もお店やってなかったのに、新しくお店が出来ていたんだ。


 前のお店は知らない。あたしが王都に越してきた時にはすでに空き店舗だった。裏通りに入ってすぐの場所だから立地はそこそこなのに、ずっと空いていて気になっていたのよね。


 何のお店かな? 看板の文字はこの国の字とは違ったので読めない。


 せっかくお店を出したのだから、こちらの文字で看板を作ればよかったのに。そしたらお客さん増えるんじゃないの?


「いらっしゃいませ」

「えっ、あの……」

「一名さまですか?」


 眉をひそめて覗いていたら、中から黒髪の女性が出てきて声を掛けられてしまい、お店に入る流れになってしまった。


 ここで客じゃなくて、ただ見ていただけだと言ったらがっかりするだろうし、一応気になっていたからと自分に言い訳をしてお店の中に入る。


 店内を見れば、あたたかみのあるウッドテイストの店内。


 飴色の大きめなテーブルには若草色のテーブルクロスが掛けられ、同色の椅子に座席にはテーブルクロスと同色の若草色の布が貼ってある。


 何のお店かは外から見た限りでは分からなかったけれど、喫茶店らしい。


 店内をぐるりと見回してから大きめのテーブルにつけば、メニューが書かれた紙がある。飲み物はリョクチャという聞いたことのない飲み物。他にもあるが、どれもこれも同じような説明が書かれてあったので、店員に聞いてみることにする。


「あの、このリョクチャって?」

「あ、それはあたしの故郷のお茶です。あっさりとしていて飲みやすくておいしいですよ」


 ニコニコ笑う女性はそれ以上教えてくれる気はないらしく、注文を待っているみたいだった。


 あたしの知っている物はないかとメニューを見れば、見慣れないスイーツの名前といくつかの料理。料理もスイーツも見慣れない名前ばかりで不安になったが、店員の女性が一つ一つ丁寧に教えてくれたので、そこまでは不便を感じなさそうだ。


 耳慣れないスイーツに料理。リョクチャ自体も気になるが耳慣れない異国の料理の方が気になってくる。


「えっと、じゃあ、このリョクチャってのと、えっと、ドラ焼き? にします」


 そして注文をすませれば、店主なのか店員なのかは分からない女性が奥へと行けばふんわり緑の香りがしてくる。


 さっき外で嗅いだ香りはこれだったのかと納得する。


 その香りに癒されていると奥からカチャカチャと音が聞こえ、用意をしているのが分かった。


「お待たせしました」


 しばらくしていた音が消え、店員が戻ってきた。


「どうも。……あれ? あの、ちょっと聞きたいことが……」

「はい?」 


 さっきからこの人しか見てないし、奥に注文を通す声もしなかったのでこの人しか店舗はいないのかな?


 いや、まずはそれよりも──


「お砂糖とミルクはないんですか?」

「え」

「え」


 びっくりした顔の店員の顔を見て、こっちもびっくりした。


 透き通った緑の飲み物は分かる。注文したどら焼きっていうお菓子も焼き菓子なのは分かる。


 でも、いつもお茶とセットでついてくるはずの砂糖とミルクがないのは何でだろうと思って聞いたのに、この驚きはもしかしなくとも──


「……これは砂糖とかは入れずに飲む物だと思っていたので……すみません用意してませんでした」

「そ、そうなんですね」


 あたしは砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きだったので、欲しかったんだけど、ここでは入れないらしい。


 ちょっとショックだったけど、マズかったら残せばいいだけだからそこまで気にする必要はないと思いたい。


 仕事がクビになったらここで払ったお金ももったいなく感じる時が来るかもしれないが、まあ、ないのなら仕方ない。


 店員にそうですかと答えて一口飲む。


「!」


 あっさりとしたのど越しのため、ごくごくと飲める。


 ほのかな甘味と苦味に一瞬怯みそうになったが、口の中いっぱいに広がる緑の香りに大自然の中にいるような、


 気付いた時には殆ど飲み干していて自分が喉が渇いていたのかと気付かされた。


「すみません! おかわりお願いします」

「はーい」


 一瞬別のお茶にしようかと思ったが、別のがおいしいという保証がないので、同じお茶にした。

 

 店員さんは元気に返事をしてまた奥へと行ってしまった。


 あたし一人しかいないお店はどこか非現実的で、今まで飲んだことのない味のお茶だし、別の世界に迷い込んだとしてもうっかり信じてしまいそう。


 店員さんが戻って来る前にと、ドラ焼きという焼き菓子に目を移す。


 お皿の上に置かれた丸い焼き菓子は……?


 どうやって食べるの? ナイフは? もしかして手づかみ?


 店員が忘れた可能性もある。だったら彼女が戻って来るのを待ってから指摘しよう。よかったわね、お客さんがあたし一人で!


 他のお客が入ってる時に注意されると恥ずかしいよね。あたしもいつもお客さんの前で怒られるから恥ずかしいやら、何でそこまで怒られなきゃならないんだって悔しいやらでいつも仕事終わってから一人反省会してる。


 今日はここでゆっくり出来てるからまだマシだけど、いつもならもっととことん落ち込んでいたのよね。


 やっぱり人間リラックスする時間が必要なんだと思い知らさせれる。


「お待たせしました」


 ボーッとしていたら店員さんが戻って来た。


「あ、あの……これの食べ方分からなくて」

「ああ、手で割って食べてください。食べる前にこちらのおしぼりで手を拭いてください」

「手で……」


 おしぼりというのは濡れたふかふかの布だった。しかも、あったかい。


 これは地味に嬉しい。家に帰って同じように布を濡らしてみようかな。


 段々と冷たくなっていく布に残念な気持ちになってしまうけど、ひんやりするのは、また違ったよさもある。これから夏になるからひんやりしたしたのもあったらいいなぁ。


「!」


 そんなことを考えながらどら焼という食べ物を割ってみれば、中から赤茶色の何だこれ? 豆?


 豆なら料理よね?


 これは匂い的にお菓子なんだけど、豆のお菓子だなんて見たことない。


 おいしいのかな? 匂いを嗅いでみると甘い匂いがする。


「やっぱりお菓子だ」


 店員はそのまま食べていいって言ってたから別に食べられないってことはないんだろうけど、やっぱりちょっと勇気がいる。


 他に食べている人がいてくれたらいいんだけど、今この店の客はあたし一人だけ。


 しかもふらりと入ったから、ここの評判とか知らないし。


 選択をミスったかなと頭を抱えたくなるが、注文してしまった以上は仕方ないから食べよう。もったいないけど、まずかったら残せばいいんだし。


「!」


 そう思って食べたどら焼は思った以上に口の中で甘さが広がって、口の中でほろほろと崩れていくが、中の黒っぽい豆はねっとりとしていてやっぱり甘かった。


 おいしいけど、これはあたしにはくどいような気もしなくはない。


 すっごく甘い物が欲しい時は食べたいかもしれないけど、残すか。


 お茶を飲んで口の中をさっぱりさせて立ち上がる。ちょっと残念なお店だったけど、サービスは結構よかったからまた来てもいいかも?


 それに、今回は口に合わなかっただけで、他のはおいしいかもしれないし。


 お会計を済ませてお店を出れば、さっきまでの憂鬱な気分はいつの間にかどこかに行ってしまっていた。


 彼女は知らない。


 この店が一年後には入店困難な人気店になることを。


 そして、今の仕事を辞めこの店で働くことになることを。


 


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