衣の中の鬼っ娘、大海を見る:後編
仕事の後回しはやめようねぇ....(白髪)
「本日は生徒はこのまま個室待機。今は大学本部に連絡しているそうだ。まぁその応答を待って、我々は帰還することになるだろう。」
大ピンチだ。扉のすぐ前に男子学生が立っている。ヤブローニャが何を召喚しても、即座に騒ぎになってしまうだろう。レベル2兵装を目の当たりにした今、ヤブローニャに「人間と戦う」という選択肢はなかった。
「....と、そう言えば名前も聞かずに連れてきてしまったな。失礼した。私はズミヤ、大学の規律に倣い、家名は伏せさせて頂く。魔石学魔素学科専攻だ。君は?」
「....や、ヤブロー、ニャ....。」
「ヤブローニャ、でいいのかい?しかしまだ疲れているのかな?立ってないで少し座るといい。」
彼...ズミヤと名乗った人間は部屋中央の机から椅子を引き、自身は簡単な厨房に向かって何やら作業を始めた。
(どうする?今の内に.....)
(いや待て。どうせならこの部屋の荷物持ってっちまおう。取り敢えず乗りたいから子蜘蛛だけ召喚んでくれ。後.......)
(.....なるほど、了解。)
ヤブローニャは恐る恐る椅子に座る。ズミヤは間も無く戻ってきたが、何とか召喚を見られずに済んだ。
「落ち着くまで、間に合わせだが紅茶でもいかがかな?茶菓子も幾らかどうぞ。」
「....私物。」
「ん?」
「私物、あるじゃない。」
「はははは。いや失念していたのだ。まあこの程度盗まれても気にはせんよ。それより、砂糖をどうぞ。」
ヤブローニャはズミヤを真似して、砂糖を入れる。彼女は砂糖の甘い香りに気付き、飲めば再現出来るのではないかと思案する。結果、相当量の砂糖を入れてしまってズミヤに笑われてしまった。
「ふふふ。いや、もしかして紅茶は初めてかね?」
「...うん、飲んだことない。」
魔物だとバレぬよう、慎重に言葉を選ぶ。
「色々と不慣れなようだが、ひょっとして君は初等部かい?」
「う、うん、来たばっか。」
「ふむ。これは良ければで良いのだが、もしかして私的に師匠に師事していたのかい?」
「うん。竜様のお陰で現世に来れた。」
「お師匠殿はどのようなことを?」
「教えてくれた事はない。私はお世話してただけ。」
「古風だな。世俗を離れて暮らしているのかい?」
「うん。だから此処のこともよく分からなし。」
「それはそれは。宜しければマナーや近況についてお教えしようか?」
「うん、聞きたい。」
(良くやったぞヤブローニャ!!)
あとはディムの独壇場だった。ヤブローニャにテレパシーで様々に指示を出し、施設の作りと人の動き、社会について簡単な情報を聞き出していく。
次第に窓から差し込む光が赤く染まっていく。
「...と、随分話し込んでしまったな。もう夕方じゃないか。疲れてはいないかい?」
「ううん。楽しかった。疲れてない。でもズミヤは疲れてない。」
「はは、見抜かれてしまったか。実は気づくと疲れてしまってな....。」
ズミヤは立ち上がり、窓を向きながら体を伸ばす。夕日の眩しさに、目が眩んだ。遠くで食事の予鈴が聞こえてくる。
「.....ありがとう。」
だから、忍び寄る背後の影に、気づくはずも無かった。
「っつ!?何....を........。」
「ナイスアクション。」
天井から、子蜘蛛に乗ったディムが降りてくる。
ヤブローニャのやったことは単純だ。予めラベンダーの匂いをそれとなく発して眠気を誘い、先に手の内に召喚した転寝蝶の鱗粉を嗅がせて眠りへと突き落としたのだ。転寝蝶の鱗粉は数がないと効力がない為、予めラベンダーの匂いで眠気を誘発したのだ。
「今までどこ行ってたの?」
ズミヤをベッドに寝かせながらディムに問いかける。
「隣の部屋。それから見つからずに高い場所に行けそうな場所探してた。さぁ来て....」
ディムの案内に従い屋根に登ると、ヤブローニャは全力で誘引臭を放つ。間も無く色蜻蛉と魔腐蜂姫が飛んで来た。岩蚯蚓もよじ登ってくる。彼らは魔物の先導役だったのだ。
昼間の魔物の大行進のカラクリはこうだ。予め森の中で何日もかけて、アドレナリンを匂いとして森中にばら撒き、魔物たちをかき集め興奮させる。そして今朝蜻蛉達に旨そうな匂いを着けると、魔物たちを引き連れさせたのだ。
ヤブローニャ自身は岩蚯蚓を用いて土中に潜み、人間が密集した頃合いで地上に飛び出したのだ。
「良かった。みんな生き延びてくれた。よく頑張ったね、今度ご褒美あげる。」
今此処にいるのは初期の初期に召喚した最古参組だ。攻撃を掻い潜り、見事に生き延びて見せた。
「全員、俺の指示する物を持ち運べ。魔腐蜂姫は俺を運べ。行き先を支持する。岩蚯蚓、巣から俺の言う場所まで穴を掘れ。引っ越しだ。」
ディムの挨拶と共に、窓の空いた部屋に虫たちが入り込む。部屋の中の人間は魔腐蜂姫の毒で倒れており、部屋の入り口もディムと子蜘蛛の糸で封鎖した。時間は稼げる。
複数の部屋は無情にも荒らされ、物は悉く持ち去られていく......
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「ふぅ。思ってたより時間かかったね。」
おや。この声は誰だ?
「あんな量持っていこうって言ったのはそっちじゃん。ウチのせいにしないでよ。」
そうだ。確かヤブローニャ君とお茶を飲んでいた筈だ。その後確か....確か.....
「はぁ。それにしても制服ってキツイな。落ち着かない....」ビリビリ
でも一体なんで僕は寝ているんだ?それにやたら風が吹き込んでいる....?
目を開けた。見たものを理解して、飛び起きた。
部屋は無惨にも荒らされていた。布は引き裂かれ、物という物は持ち去られ、椅子や引き出しがそこら中に飛び散らかっていた。壁も床も傷だらけだ。だが。
そんな事はどうでもいい。
「....!!ヤベ。」
ヤブローニャは、開け放たれた窓に居た。制服を引き裂き、素肌をあられもなく曝け出している。
その絹のような肌には、不思議な模様がひた走っていた。
その細い手には、似つかわしくない鋭利な爪があった。
その妖しげな瞳は、この世のものとは思えぬ輝きを放っていた。
そのあどけなさが残る顔には....見合わぬ大きな角が生えていた。
月を背にした彼女は、間違いなく人では無かった。
目があった。僕は動けなかった。彼女もまた動かなかった。お互いに、ただ見つめていた。
「オ、オイ!?コレハナンダ!」
「「!?」」
遠くから声がする。彼女は険しげに目を逸らす。
「ま、待ってくれ!僕....!」
言葉は続かなかった。彼女は直ちに窓から跳び去った。僕は慌てて窓に飛び付く。そこにもう、姿は無かった。
「ず、ズミヤ様!無事ですか!?」
窓に、何か落ちている。
布切れだ。見たこともない糸で出来た、布切れだ。彼女の物に違いない。
布切れを握り締め、遠くへ目を彷徨わせる。あぁ、彼女は、ヤブローニャは一体....