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「お、おい…ユーノ…?」
アシャは突然始まったユーノの罵倒もさることながら、続いたことばにぎょっとした。
(レアナの想い人……? 誰のことだ? まさか…俺、か?)
うろたえて口を挟もうとする。
「ちょっと待て…」
「これが待てるかよっ!!」
ユーノは待たなかった。東の原での疲労、不安、緊張が一気に弾けたのか、爆発し続ける。
「安心しろっ! あなたが『魔』でっ、どうしようもなく危険ならっ、いつだって切ってやる! けど、それだけ正気でしゃんとしている男のどこを切れってんだ!! つまらない自己憐憫なんか真っ平だ! まだあなたはアシャじゃないか! 『魔』じゃなくて、アシャ・ラズーンじゃないか! 『魔』に抗しもしないで、何がアシャ・ラズーン、ラズーンの正統後継者だ!!」
「ユーノ…」
「わっ……私はな! 嫌なんだからな! ぎりぎりまで逃げないんだからな! あっ……あなたを切りたくないんだから! な…なのに…っ…どうして……私に切れって言うんだ!!」
喚きながらユーノの頬を涙が伝った。真っ赤になった顔に流れ続ける雫を拭こうともせず、ユーノはなおも激しく首を振って叫ぶ。
「嫌だ! まだ、諦めるのは嫌だ! あっ……あなたを切るのは……嫌……っ」
「ユーノ……ユーノ!」
思わず掛け物を撥ね退けて、アシャはベッドを降りた。走り寄り、ユーノを全力で抱き締める。あの、傷の痛みに呻き声一つ上げずに堪える少女が、今声を限りに目の前で泣き叫んでいる。腕の中で熱く震える体が眩むほど愛しくて、頭を抱え頬をすり寄せる。
「ユーノ…ユーノ…」
泣きじゃくる声が胸に響く。呟きながら囁きながら、アシャも震えている。何かが胸の内に、体の底に注ぎ入れられ溜まり、熱を放ちながら膨らんでくる。何もかもおしまいだ、何もかも消えてしまえばいい、アシャはユーノさえも苦しめる存在なのだ、そう思いつめていた心に、全く別の光が射す。
(本当に、何もかも駄目なのか?)
「アシャ…っ」
抱き締められてしがみつくユーノの声に歯を食い縛った。
(違う)
ユーノがこれほど嘆いているのは誰の為だ? アシャの身を案じ、アシャの存在を守ろうとしてくれてのことではないのか。どんなに危機的な状況をも1人で凌いできたユーノが、今アシャを失いたくないと訴えてくれる。
(違う、違う)
この体の熱は、今アシャに注がれている。『魔』だろうと思いながらも、その『魔』の中の『人』を信じてくれている。
(主)
アシャの主は誰だった? 唯一身を盾にしても守ろうとした主はただ1人。その主が、まだアシャの『人』を信じているのに、なぜ従者であるアシャがそれを否定できる。
瞬間、アシャの体から何かが剥がれ落ちていった。
ラズーンの正統後継者であることも、『人』と『運命』の間の存在であることも、美しさも強さも弱さも脆さも、男であることさえも消え失せて、ただ世界にユーノと自分しか感じ取れなくなる。
(お前は……俺の……運命だ)
頬に熱いものが伝い始める。
まっすぐ前を見つめながら、まだ泣き続けるユーノの声を聞きながら、抱き合って震え続けながら、アシャは響く声に耳を傾ける。
(俺が今まで生き延びてきたのは……お前がここで俺を肯定してくれると……知っていたから…)
孤独な旅路だった。
誰1人、アシャと同じ者はいない。
今までも、この先も。
『氷の双宮』はアシャの出現を過ちとして処理し自ら対策を施した。
『運命』の流れを汲むアシャに、その血を受け継ぐ存在はない。
アシャは永遠に、死ぬまで、死んでからも、1人だ。
今気づく。
ずっと探していたのだ、闇の空に問いかけながら。多くの命を奪いながら。
誰か。
誰か答えてくれ。
俺はここに居ていいのか。
なぜ、俺はここに居るんだ。
崩折れそうになって足を踏ん張る。
体からどんどん熱が奪われていくのを知っていた。
どんなに美しい光景も、どんなに優しい姫も、どれほどの豪奢も地位も名誉も、絵空事だ。『氷のアシャ』、ああそうだろう、当然だ、アシャは今でも、『氷の双宮』のあの透明な筒の中に浮かんで、決して触れられない鮮やかな世界を眺めている。光も熱も温もりもなく、見えない障壁に囲まれて、いつ終わるともしれない命を食い潰すしかないのだ。
そんなモノに、何が残る。
おいで、とユーノが笑ってくれた。
運命の切り開き方を見せてあげよう。
痛みも苦しみも引き受けて、笑って怒って走り出す背中、どれほどその身に成り代わりたかったか。
(ああ、そうか………俺はユーノになりたかったのか…)
アシャは薄く微笑む。
(誰より1番こいつが欲しくて、誰より1番こいつが羨ましくて……誰にもこいつを渡したくなくて…)
もう一度、ユーノを抱き締める。収まる気配のない泣き声を、アシャも泣きながら微笑んで聴く。
(お前が…俺の真実……)
「…ラズーンを…亡ぼそう…」
「……え…」
「いや…」
アシャの呟きを聞き咎めて顔を上げかけたユーノを制し、強く抱き込んで頭に頬を当てる。
(世界を終わらせよう)
その為に、アシャは生まれてきたのだろう。
「ユーノ…」
「っ……な、に…」
「………俺を…離すな」
「う……ん……?」
理由はわからないはずなのに、しがみついていたユーノがおずおずと抱いてくれて、アシャは静かに目を閉じた。