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セシ公の脳裏に、ミダスの裏切りを懸念した日々が蘇る。
地下の広間でシャイラに下手な芝居を打たせ、シャイラが暴走したように見せた時、なぜうかうかと『運命』が応じたのか。ミダス公が情報を流したのだ。ギヌアの配慮の良さでかろうじて敗退を乱戦に持ち込んだものの、ミダスの情報だけでギヌアが動いていたら、もっと手痛いことになっていたはずだ。それだけではない、数々のミダスの言動、考えればラズーンに対する裏切りは透けて見えるほど明確だったはず……。
なのに、セシ公は動かなかった。口を開く。
「……一つ、お答え願おう」
「何を?」
「何があなたにラズーンを捨てさせた?」
セシ公の問いに歪んだ笑みがミダス公の口元を覆った。
「何が? ……難しいことだ」
「……」
「…が…私は変えたかったのだ……何かを。この滞る流れを動かしてみたかった……もっとも、何一つ、変わりはしなかった……いつも…いつも…」
「リディノ姫の死も、か」
「…哀れだとは思うが」
ミダス公は静かに続けた。
「人の生は所詮空しいもの……そなたも……私も……な…………」
「……」
じっと耳を傾けていたセシ公は、ミダス公が沈黙するのと同様にしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと剣を引き抜いた。
「セシ…」
「ミダス公。私はラズーンの『情報屋』だ。人の誠実の虚ろさも誓いの脆さもよく知っている。確かにラズーンと『運命』のこの争い、勝敗の末はあなたの言った通りになろう。時代は新たな支配者を求めているのかも知れない」
「では…」
「だが、あなたは私の性分を少し読み損なっておいでのようだ」
セシ公はあの夜シリオンに返したことばを繰り返した。
「私の生とは『知る』ことに集約されている。私の最大の興味は、このラズーンにある。あなたも『運命』もラズーンは死すべき都市だと言う。昔語りもそう伝える。だが、私はそれも疑わずにいられないのだ、ラズーンが安泰だと言う情報を疑ったように、な。真実は何なのか、と」
「真実? それは今話した通り…」
「それは『あなたの』真実であって、『私の』真実ではないかも知れない。ミダス公、平和で穏やかな世に飽いているのはあなただけではないのだ。私は、ことばや語りの情報にそろそろ飽きてきたのだよ。『せっかくの』動乱、この手に生の、真実、と言うものを掴んでみたいのだ。そのためには、ラズーンが崩壊し尽くしては困るが、揺らぎもしないのはもっと困る。あなたや『運命』が、あの堅固な守りを崩してくれるのは私にとって願ってもないことだが、あまり易々と崩されてしまっては、真実と言うものを掴む間もあるまい?」
「セシ公…」
「私はあなたより数倍狡い男でね」
うっすらと微笑む。敵対するものを凍らせると言われ、仲間からも何を考えているのか不安になると言われる笑みだと自覚している。
「できることなら、高みの見物をもう少し続けていたいのだ。ラズーンと『運命』、価値を決するのは物見櫓が揺れた時で良い。……私が今、ラズーン側に居るのは、その物見櫓がラズーン領にあったまでのこと…」
「っ!」
つつっとセシ公が笑みを浮かべたまま走り寄り、ミダス公は慌てて剣を構えた。が、既に遅く、一陣の風が渡ったようにすれ違った一瞬後には、ミダス公の喉が紅の血潮を吹き上げていた。
「セ…ひゅっ!!」
笛の鳴るような声で吐いたミダス公がよろめくように数歩進む、振り返ることなく剣を振って血を払ったセシ公の背後で、無言でワツールが止めを刺す音が響く。悲鳴さえも上がらない、上げようにも声は奪われている。
「それに…」
背中で老木が倒れていくように崩れ落ちたミダス公を感じたまま、セシ公は低くことばを継いだ。
「人の世も満更捨てたものではないと思わせる人間に会ってしまったからな……ユーノ・セレディスと言う命の炎に…」
星の瞬き始めた空を、静かに見上げる。
「……今頃…どう…されている……?」




