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「それが、私に出来る、唯一つのことだから」
「!」
びくっと、なぜかミネルバが体を震わせた。
(そうだ、これが私に出来る唯一つのことだ)
気負うのではない。己こそがと誇るのではない。見捨てられても見切られても、ユーノがユーノとして生きる為に出来る、これが唯一のことなのだ。
「……?」
不意にミネルバが馬を降り、ユーノはきょとんとした。こちらへゆっくり歩み寄ってくる、水色の衣の、長身の美女の姿を訝しく見つめる。
「剣を…納められよ……聖女王」
深く哀しい響きを宿して、ミネルバは囁いた。ユーノを見下ろす暗い眼窩の奥に、たゆとうような淡い光が瞬いた、と見えた。
「遥か……昔……同じ言葉を聞いた」
見上げるユーノに、優しく諭すように、
「我らは愚かだった。功を焦り、出陣し、味方に滅亡をもたらし……万に一つの生きる望みもないと思えた。が、聖女王は……いや、聖女王だけが諦めていなかった。愚かな我らのために、万に一つの奇跡を呼ぶべく、敵地へ出立された」
それは、ラフィンニから聞いた、『泉の狩人』(オーミノ)の伝説だ。
「供を志願した2人の部下がいた。1人を『死の長』、もう1人を『生の勇者』と称していた。聖女王は『死の長』に待つことを命じ、『生の勇者』と共に敵地へ出、その身はついに故郷に帰らなかった。彼の地で敵に嬲り屠られ……代わりに滅亡を救う秘薬を『生の勇者』に託し……。だが、『生の勇者』は滅亡から生き延びることを欲する余り、故郷に帰り着く前に秘薬を口にし、『狩人の山』(オムニド)でこそ初めて制御できるその力に操られるまま、人の世の闇を跳梁する魔となった…」
ミネルバは微かに自嘲を含ませて嗤った。
「悔いてはおらぬ……とか? 『太皇』にも『氷の双宮』にも仕えぬのは、ただ聖女王こそ我が主と思うせいではないのか? 長き年月、帰らぬ長を恋い、一人生き延びることしか考えられなかった己を恨み……。夜毎に『運命』を狩り、仲間から恥知らずな『魔』と嘲られることなぞ痛みのうちに入らぬわ。長を追い詰めた己の不甲斐なさ、闇の『魔』として人を狩り、おぞましいもの呪われるべきものと蔑まれ、切り刻まれて死ぬるその時こそ、我が長の元に行ける……と思い詰めておったのに……なあ?」
ミネルバの声はひどく頼りなく、吹雪の音に混じった。
「そなたのことをアシャから聞き、姿を見もし……ラフィンニがいくら聖女王と祭り上げようと所詮は人間、彼の地に散った長は帰らぬと意地を張っておったのに………まさか、そのそなたの口から、あの日の長の言葉を聞くとは、なあ……。まこと……ラフィンニは待つことを命じられただけある、見事、聖女王を探し当ておった…」
「ミネルバ…」
膝を折り、跪く相手を、ユーノは困惑して見守った。頭を垂れ、ミネルバがことばを重ねる。
「今度こそ、長よ……私を置いて行かれるな。伴に死ねよと命じられよ。既に『魔』と化したこの身、この上、何の汚名があろう?」
ユーノは微かに震えた。
「ミネルバ……来てくれるの?」
人を超えた力を放つ、この『泉の狩人』(オーミノ)一人で、どれほど戦局が変えられるか。
「…ああ」
「私と一緒に?」
「どこへなりと」
夢でも幻でもない、確かに相手はユーノと共に戦場へ戻ってくれる気なのだ。だが、喜びに走り出しそうな鼓動を堪え、ユーノはもう一歩踏み込んだ。
「では…」
息を吸い込んだ。
「まず『泉の狩人』(オーミノ)の神殿へ。そして東へ……『穴の老人』(ディスティヤト)が待っているから」
「ほ、ほほ」
ミネルバは顔を上げて、軽い笑い声を立てた。
「これは楽しみ、昔馴染みじゃな」
「それから…」
明るい気配は、続いたユーノのことばに再び強張る。
「一つ言っておく。死ぬ為に行くんじゃない。それを忘れないで」
しばらく沈黙したミネルバは、
「………長が」
掠れた声で応じた。
「存命ならば、やはりそうお叱りになっただろう…そなたは『生の勇者』(ミネルバ)のはず…と。……ユーノ」
「わ!」「あ!」
ひょいと軽々、ユーノに続いてジノを馬の背に乗せる。自らは降りたまま、手綱を持って嬉しそうにユーノを振り仰いだ。
「振り落とされぬようにな……少し急ぐゆえ」
「わかった」
ユーノ短く答えて唇を閉じた。