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「ふ、う」
ラズーンより遠くセレドの空の下、セアラは溜息をついて古書から目を上げた。
子ども子どもしているとよくからかわれる顔を厳しく緊張させ、夜中にもかかわらず、手にした書物を苛立たしく繰り続けている。側の机の上だけではなく、床にも棚にも山ほどの本と記録物が積み上げられ、空気までが埃臭くなりそうな中で、ここ数日ひたすら書物にあるモノの姿を探している。
「…ったく、麦でどれぐらい儲けたなんかどうでもいいんだってば」
ぼやいて数行を読み飛ばし、思い直してもう一度、目を通し直す。
だが、未だにセアラが求める相手の姿は片鱗も見えてこない。
セレド辺境で異変が起こり始めたのは最近のことだ。
始めは人の噂だった。人さらいが出たと言う。賑やかな大国の街中からともかく、こんな世界の外れの、のんびりとした小国で人さらいなどとは、ここ数十年聞いたことがないと誰もが言う。
しかもただの人さらいではなかった。さらわれて売り飛ばされるならまだしも、それらの人間はことごとく屍体で発見されていた。しかもその屍体が無残なことに、五体揃っているものは少なく、大抵は何者かに食いちぎられたような有様だ。
それほどの大型の獣などセレド周辺にはいなかったはずだ。殺され方も尋常でなければ、さらわれ方もただならず、まるで太古に眠っていた『魔』が目覚め、闇の片隅からいきなり手を伸ばして連れさらったとしか思えない、唐突な消え方ばかりだ。
さらなる噂が恐怖に拍車をかけた。赤い眼の、黒い衣服の、男とも女ともつかぬものが、夜に辺境を疾ると言う。そのものが疾った翌日には必ず人さらいの噂が出、翌々日かその翌日には、惨たらしい屍体がこれ見よがしに放り出されている。
気になって周辺諸国に使いをやってみれば、近隣でも同じようなことが起こり始めており、正体はわからないながらも自衛策を講じ始めているとのことだ。
いつかのカザドの夜営跡もセアラは気になっていた。
何かが起こっている。それも、単なるカザドなどの国家間の小競り合い程度のものではない、世界の何かを変えて行くような出来事が動いている気がしてならない。
「……ん」
ふとセアラは、一冊の詩篇に目を留めた。セレド建国以前からの伝承や伝え歌などを集めた幼子むきとされている昔話の書物だ。
「祭りの時……祭礼の意味を記したものかしら」
セレドの村々にも祭りがあるが、それぞれに意味謂れがある。それを子どもにもわかりやすく書いたものかと視線を走らせ、眉を寄せる。
『夜の闇が赤い眼を持ち走って行く
だから祭りが近いのだ
忘れられていた者達が甦る
だから祭りが近いのだ
銀の貴人は世を救い
金の魔性は世界を滅ぼす
ただ一つの祈りは
愛の絆が魔を縛ること
狩人は獲物を狩り
2つの氷は炎に熔け崩れ
祭りは人の世を極めて終わる
捧げられる命は1つで良い
それで世界は甦るのに
人はその術を忘れて久しく
だから祭りが近いのだ……』
読み終えて首を傾げる。意味がわからない、奇妙な詩だ。まるで警告のようにも聞こえる。
「夜の闇が赤い眼を持つ…」
繰り返す。不安な気配だ。何かの符号だろうか。
「忘れられていた者達が甦る…」
銀の貴人、金の魔性、狩人と獲物、氷と炎、相反するものがなぜ『祭り』と並べられているのか。
「セアラ様!」
「っ」
突然背後の戸口から緊迫した声で呼ばれ、ぎくりとして振り返った。
親衛隊の1人が真っ青な顔で書庫の中を覗き込んでいる。穏やかなセレド皇国、それもこんな夜中に親衛隊がセアラを探し回ったらしい気配、異常を感じた。
「どうしたの?」
立ち上がり、服の埃を払って近づきながら尋ねる。レアナとユーノのいない今、セアラがセレドの未来を決する鍵を握っている。その重圧に屈しはしない。だが、続いたことばに血の気が引いた。
「シィグトが負傷しました!」