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(また始まった)
ユーノは苦笑しながら手すりに凭れた。事情のわからぬレアナはきょとんとした顔で言い争う2人を見つめている。暖かい赤茶色の瞳は潤み、傷跡一つない二の腕は白く、輝くようだ。
(綺麗だよ、姉さま)
そっと小さく溜息をついた。わかっていても、美の神はことあるごとに自分の作品の美しさを、他のものと比べずにはいられないらしい。
(着替えてこようかなあ)
アシャとイルファ、今ではレスファートとレアナまで加わって笑い合うのをよそに、ユーノは夜空を見上げた。
星が光る。旅の空で幾度も見てきた星だ。青白く険しく鋭く、心を切り刻んでくるような星の色。
(『星の剣士』(ニスフェル)か)
セシ公から作戦を聞いたお陰で、苛立った心に少し余裕ができた。星の輝きに自分の称号に想いを馳せる。
(星の…剣士……戦神の娘……『灰色塔の姫君』……)
何が姫君だ。苦笑する。剣を掲げ、馬を駆り、砂塵の中を暗闇の中を、どこへともわからぬ運命を駆け抜ける、その生き様のどこを『姫』と形容するのか。
目を閉じる。
それでも自分には駆けるしかない。この命の全て賭けて、駆け抜けていくしかない。
「…」
視線を感じて目を開けると、アシャがこちらを見つめていた。眩いような瞳が淡く笑い、グラスを少し上げる。どうにも飲み干せなかった酒をようやく飲めそうになったらしい。武運を。呟く唇にユーノも笑い返し、グラスを上げる、唇にあて、ゆっくりと傾ける。
「ぐ!」
「?!」
突然、同じ動作で酒を含んだアシャが呻いてぎょっとした。瞬きする視界に、酒を吐いて崩れるアシャの姿が飛び込む。
「きゃああっっ!!」
「アシャ殿っ!」
レアナの悲鳴と同時にセシ公がアシャを抱きとめた。
「アシャ!」
イルファが叫んで覗き込む。アシャが真っ青な顔に苦悶を浮かべて倒れている。唇から目に痛いほどの真紅が這い降りるのに血の気が引いた。
(毒?! 誰が?!)
とっさに広間を振り返った目に、こちらを見たまま蒼白になったリディノが映った。アシャに異変が起こった、恐怖して当然、だがしかし、その表情は驚愕と恐怖と混乱に染まっているばかりか、口元へ白いこぶしをあてながら、漂うように首を振る。
(なんだ?)
違和感、不信感、全身の血が抜き取られるようなこの震えは何だ? そうしてなぜこの目は、リディノが震えながら絞り出している呟きを読み取ってしまうのだろう。
う、そ。
嘘?
(まさか、リディノ…?)
「ユーノ殿!」
叩きつけるように呼ばれて振り向いた。アシャは唇から血を滴らせながらぐったりと、イルファに抱え上げられ運ばれて行くところだ。医術師を早く! 『太皇』に一報を! 立て続けに指示を飛ばすセシ公、運ばれて行くアシャに駆け寄り付き添おうとしたのに、体が勝手に振り向いた視界で、リディノがよろめく、ドレスを押さえ、身を翻し、走り出す、アシャが運ばれて行くのとは別方向に。
(なぜ?)
「リディ…っ」
一目散に駆けつけて来なくてはならないリディノがなぜこの場から逃げ去ろうとする。それはもしや、この惨状が彼女自身が招いたことだからではないのか。
(なぜ…っ?)
バサバサっっ!!
背後に不意に荒々しい羽ばたきが響いた。夜闇に一陣の風のように白い影が突っ込んできて、ユーノの体に掴みかかろうとする。
「サマルっ?!」
クェアッと猛々しい声を上げて、ユーノの周囲を巡り、サマルカンドは手すりに舞い戻った。脚に通信筒がついていて、巻かれた通信紙が押し込まれている。アシャの側に一刻も早く行かねばならないと思うのに、本能が通信を確認しろと叫んでいる。
震えながら紙を広げれば、そこには乱れた文字でたった一行、
『「穴の老人」(ディスティヤト)出現、すぐにお出でを請う。グードス・アギャン』
「ギ…ヌアの奴…っっ!!」
ユーノは狂おしい声を上げた。