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「ふ…ぅ」
「分かりましたか?」
「分かった…分かったけれど」
呆れ返りながらユーノは首を振る。
「あなた達って」
「大詐欺師と言って頂きましょうか」
セシ公はくすりと妖しい笑みを零した。ここ数日間の作戦会議で疲れ切っているはずだが、そんな様子は一瞬も見せない。グラスから酒を含み、濡れた唇をちろりと舌先で舐める。
「だから、あなたが東へ行く必要はない、無論『アシャ殿』も」
「うん…」
ユーノの頭は今聞いたばかりの作戦にまだぼうっとしている。概要と自分の役割は呑み込んだものの、どこへ戦が流れていこうとしているのかは、まだ見えてこない。
「けれど…」
「けれど、何です?」
「一体どこまでが表の作戦なんだか……どこからが引っ掛けなんだか…」
「一流の軍師です、アシャ殿は」
セシ公は淡々と評した。
「これだけの手駒、確かに動かし方に荒さはあるが、一晩で組まれましたよ」
「一晩?!」
「はい。後の数日は私どもの理解のために時間が必要だったためで……アシャ殿は『先』だけを見つめておいでです」
「…化け物だな」
「誰が化け物だ?」
「わ!」
不意に後ろから声を掛けられ、ユーノは飛び上がった。
「人のことを言えた義理か?」
振り返ると、アシャがレスファートを連れて戻ってきている。
「ユーノ!」
そのレスファートがユーノを見るや否や飛びついてきて、薄紅の裳裾にしがみついた。
「何? どうしたの?」
「っ…っ」
問いにも激しく首を振って答えない。抱きとめた体が震えているのに気づいて、ユーノは眉を潜めた。
(怯えている?)
思わずしゃがみ込んで覗き込む。アクアマリンの瞳は見開かれていよいよ薄い。アシャを振り仰いだが、よくわからない、と首を振るだけだ。
「どうしたの、レス」
「こわい…」
「怖い? 何が?」
「つかまっちゃう…」
「レス?」
か細い声で答えたレスファートは、見る見る涙を溜めた。両手を抜き出して差し上げ、ユーノの首にすがりつく。
「黒い波につかまっちゃう」
「…どうしたんだ?」
ただならないと思ったのだろう、手元のグラスを飲み干してから何処かへ置こうとしていたらしいアシャが、口をつける前に体を屈めた。
「わからない。怯えてるんだ。レス? 何に? 誰が捕まるって?」
「黒い波…」
「波?」
「リディが…」
「リディ?」
ユーノは広間を振り返った。
視線の先にちょうどリディノの姿がある。気づいたのか、手にしていたグラスを上げてにっこりと笑って見せる。特におかしな様子はない、ましてや『運命』の影も感じない。
「レス、リディがどうしたって?」
口に出すことでも災いを招いてしまうと言った様子のレスファートにもう一度屈み込むと、
「なんだ、なんだ、なんだあ?」
大きな声で尋ねながらイルファがのしのしとテラスに出てきた。側にはレアナが控えめに笑みを浮かべて付き添い、セシ公とアシャに優雅に一礼する。美人を側に置きながら、どうもいつも女に対して配慮のないイルファが、泣き出しかけているレスファートに手を伸ばし、ひょいと抱き上げた。
「あ」
「どうした? いよいよ故郷が恋しくなったか?」
「ちがうよぉ」
レスファートはむくれ、少しは安心したのかイルファを見下ろしながら泣き止んだ。肩にちょこんと乗せられて、なおも不安そうにリディノを盗み見る。
「おかしな奴だな」
わははは、とイルファは豪快に笑った。握っていた酒杯をぐいと煽る。
「そういう時は飲め飲め」
「ぼくお酒ないもん」
「残念だな、こんな美味いものが飲めんとは。さっさと早く大きくなればいい」
「なれるもんならなってるよ!」
レスファートが噛み付く。少し場の空気が和んで、アシャもグラスを口に近づける。イルファがまた空気を読まないままに、
「ところで何の話をしてたんだ?」
「残念だね、巨頭会談だよ、部外者無用」
「そんなのってありか? おい、アシャ」
「、まあ、な」
せっかくユーノが応じたのに、アシャが苦笑いしてグラスを離した。喉が乾いてきたのか、今度は飲みたかった様子だ。唇を尖らせたイルファに応じる。
「俺も結構苦労してきたつもりだが?」
「そうだな」
「古くはお前を妻にしようとしてからだなあ」
「…アシャ殿」
セシ公が妙な視線を向ける。
「その話を持ち出すな、いらぬ誤解を受ける」
「誤解をさせたのは、どこのどいつだ?」
「この際だから言っておくぞ、俺はな」