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「『星の剣士』(ニスフェル)」
「ユカル…」
左腕を肩から吊ったユカルが声を掛けてくる。リヒャルティが準備を確認して来る、と一旦側を離れる。ユカルの腕を痛ましく見やったユーノは心配を満たして問いかける。
「腕、大丈夫?」
「ああ」
ちらりとユカルの視線が、同じように夜目にも白く包帯が巻かれたユーノの左腕に流れた。
「…それより」
強いて視線を剥がして顔を上げる。
「連中の準備は済んだぜ。各々に『鉄羽根』と野戦部隊、最低1名ずつ配置している」
「わかった。レトラデス達はどこに陣を張っている?」
「昨日と変わっちゃいない。パディスより少し西寄りの窪地だ」
「格好の場所だね」
示された地図を火種のほのかな明かりで覗き込む。
「囲めば一網打尽……戦慣れはしていないね」
「『星の剣士』(ニスフェル)」
「ん?」
改まった声で呼ばれて、策の変更を申し出るのかと顔を上げる。
「奇襲とは言え夜襲だ、一歩間違えばかなりの手駒を失う」
「…ああ」
「俺は生き残りたい……そのために欲しいものがある」
「何?」
「…唇を」
「え…」
どきりとしてユーノは瞬き、相手が紛れもなく本気なのを知った。無意識に体を引くのを察したユカルが、退路を遮るように巧みに場所を移動する。
「俺は無粋な男だ。欲しいものの手に入れ方は一つしか知らない。お前の心は手に入らない、が、奪えるものもある」
「…ユカル…」
ユカルの目がじっと自分の口元を見ているのに、顔がじんわりと熱くなった。
「お前があいつに惚れているのは知っている。が、あいつは、お前をここに送り込んだ」
「…ユカル」
「俺なら自分の女は自分の腕で守る。他の奴に任せはしない。他の奴に任せるのは、その女に惚れていない…」
「ユカルっ」
遮った自分の声が悲鳴じみているのに、ユーノは体を震わせた。知らず知らず、聞くまいとするように背けていた顔を、そろそろと振り向ける。一番聞きたくなかった一言を証明されて、胸の奥がざっくりと裂かれたのがわかった。
「ユカル…」
声が掠れている。
ぽた、とどこか遠い闇の奥で、血とも涙ともつかぬものが滴る男が聞こえた。
「違う……アシャだって、そうだよ。ちゃんと、好きな人は、守るんだ」
「っ」
ぎくりとユカルが体を硬くした。ようやく自分が何を言ったのか、理解した顔で、
「『星の剣士』(ニスフェル)、俺は」
「ただ、ね」
弁解しようとした相手のことばをそっと遮る。
「アシャの好きな人が…ボク…じゃなかっただけなんだ。アシャだって…ちゃんと…大切な人は守って…」
どんなに思っても届かない遠い人。精一杯差し伸べた手はいつも空を抱く。探し求めた目は闇を見る。耳に聞こえるのは風の音、叫んでも声は砕けて形にならない。
「ニス…」
「……ユカル」
詰めた息をそっと吐く。強張った顔に必死に笑みを浮かべようとする。不安なのはわかる、守りが欲しいのもわかる、わかる、わかる、わかっている。
「…あのさ…守り札、なら上げられるよ」
唇を引き上げた。緊張に青白く見えるユカルの頬を見つめ、視線を合わせる。
微笑んだ。
そんなものでいいのなら。少しでも生き延びようと思ってくれ、戦う力になるのなら、ユーノのためらいなんて切り捨てていいことだ。
「本当なら、皆にあげたいぐらいだけど。……だから」
一瞬目を閉じた。
「ごめん、唇、は」
いやだ? 誰にも望んでもらえないのに?
あざ笑う声が闇から響くのを悲しく聞きながら、
「私…」
「…わかった」
ユカルが深く息を吐いた。
目を開くと、静かに身を屈めて来る。
背が伸びた。体格も良くなった。出会った頃の子ども子どもした気配はなくなってきている。その頬に、そっと顔を近づけ、唇を寄せる。別の顔が重なりかけ、思わず目を閉じた。
ぽた。
また何か、熱いものが胸の底に滴った。
ぽた……ぽた……ぽた…ぽた…ぽた。次第に速度を増して滴っていく雫が、体の奥に熱い溜まりを作っていく。