5
浅い眠り、体の下でヒストが温かく息づいている。馬の背で眠るのは久しぶりだ、いつかの夜、そう、アシャと初めてやりあったあの夜も、ユーノはレノの背中に居た……。
「!」
「わはっ!」
ドッ。
気配を感じて咄嗟に跳ね起き、同時に抜き放った剣に相手が飛び退ってひっくり返る。微かな星の明かりにキラリと金の髪が光って、ユーノは思わず息を呑んだ。
(アシャ?)
閃光のように思い出が蘇る、しかし、それはすぐに幻と消えた。
「あっ…つつ…」
「リヒャルティ…」
「ひでえなあ……また切っちまった」
「ごめん! 足、大丈夫?!」
慌てて剣を収めてヒストから飛び降り、ユーノはリヒャルティの側に駆け寄った。昨日の戦いで足を捻ったと言っていたのに、またもや同じ箇所を傷めたのかと案じる。だが、リヒャルティは少しぼやいただけで長丈草の中から立ち上がり、腕にできた切り傷をペロリと舐めた。
「お前と違って、こっちはあんまり長丈草と仲が良くねえんだ、加減してくれよ」
「悪い…」
「…いいけどな」
リヒャルティは一瞬複雑な目の色でユーノを見つめた。
「そろそろだと思って起こしに来たんだ」
「ありがとう」
「縄も火種も揃ってるし、準備はできたぜ。…けど」
「けど?」
聞き咎めたユーノに、何とも言えぬ表情で続ける。
「お前、眠ってる時でも、あれだけのコトができるのか」
「ああ…」
ユーノはくすりと笑い返した。
「前にも言われた。習い性でね、うっかり近づかない方が安全だよ」
「らしいな。ったく、眠ってても安心できねえ奴だな。あんなことをされた日にゃ、ちょっとやそっとじゃ受け切れねえよ」
「そう?」
(でも、アシャは受け止めた)
くすくす笑いながら、ヒストの鞍の腹帯を締め直し、剣帯の具合を調べながら思い出した。
あの夜、レノの背中で眠っていたユーノが、やはり不用意に近づいたアシャに切りつけ、アシャも剣で応じた。月光に金の髪が煌めいて、こちらを見返した紫の瞳が、驚きとともに密かな感嘆を湛えていた……。
(馬鹿だな、どうしてアシャだなんて思ったんだろう)
アシャがここにいるはずはない。アシャは灰色塔より遥か向こう、ミダス公の屋敷にいる。
(ミダス公の……姉さまの側に)
作戦を聞かされた時、思わずアシャはどこにいるのかと尋ねたユーノに、アシャはきっぱりと答えた、ミダス公の所にいる、と。
尋ねなければ良かった。
当たり前のこと、何を期待したのかと、自分の愚かさをつくづく笑いたくなった。
詳細を聞けば、自分がどういう役目なのかは十分わかる。アシャは囮だとも捨て駒だとも口にはしなかった。だが、850名に200名、勝敗は火を見るよりも明らか、ユーノの価値は、その850名との戦にどれほどギヌア達の眼を引きつけておけるのかにある。
だからこそ、攻めはできない、少しでも兵を保たせるためには。負けるわけにもいかない、少なくとも西は、この戦いで境界が定まる。
見捨てられた、と言う気持ちがないとは言わない。たった一人の想い人、見切られたと思ってはいないなどと、強がれもしない。
ただアシャは、ユーノよりレアナが大切で、レアナを守るためにユーノに出撃を命じた、それだけのことだ。
誰にでもあることではないか、一番大切なものを守るために、他のものを犠牲にするのは。
ましてやユーノの気持ちは初めから片想いで、アシャはユーノの想いを知りもしないはず、ユーノを戦場へ差し向けたからと言って、恨むのは筋違いだ。
(それでも)
心はやるせない。
(それでも…)
ここでも『そう』なのかと思わずにはいられない。
ここでもユーノは一人で、誰の助けも当てにしてはならないわけで、傷を受ければ一人で舐めなくてはならないわけ…だ。
(期待なんかしていない。守ってもらえるなんて思ってもいない)
そうとも、少なくともユーノが出撃することで、大事なものは守れるわけだ、アシャとレアナと。いや、まだいる、レスファート、リディノ、ジノ、イリオール、イルファ、遠くセレドの父母にセアラ、『太皇』に『ラズーン』。
(そして、私は…?)
この地で果てていくのが運命なのか、『灰色塔の姫君』が己の最後を知りながら、ぎりぎりまで愛しい男性を想って、この地を駆け抜けたように。
ああそうだ、たじろぐつもりはない、引くつもりもない、逃げようとも思わない。
(それでも………)
『灰色塔の姫君』は死の瞬間、愛しい人の名前ぐらいは呼べただろうに、とユーノは微かに笑った。